私も履歴書 21 |スーツ着て営業に行く学生を謳って、煽ろうと。

 

 

年が明けて1988年になる頃には、僕はマイライセンスで合宿免許の問い合わせ対応をやりながら、合間にサークルカタログの広告営業をやる日常になりました。

さなさんや西山さんについて営業に行くことはありましたが、いつも同行でした。これからは自分でアポをとって、一人でいくことになったのです。

 

その頃の僕は、さなさんに弟子入り(?)してからというもの、真似をして、装いはすっかりイタカジ系でした。

 

上は大胸筋を強調する肩パットがっつりのブルゾン。中はイタリアン風味の派手なシャツを第三ボタンまで開けて着る+下着なし。

下はステッチがしっかり入ったGMVのデニム。靴は薄いスリッポンで靴下なし。ハンティングワールドのショルダー鞄。

 

(当時の心斎橋、アメリカ村界隈は、とにかく大阪イタカジの全盛期でした。

GMVことジャン・マルコ・ベンチューリに、ヴェルサーチ、フォンタナ、トラサルディ、アルマーニ、ミッソーニ、フェレ… 

 

まホンモノは高いので、だいたいアメリカ村のコピーでしたが。

 

つか、あの頃はDCブランドも大ブームだった。つまりあの頃は、ほんとうにお洒落な人が多かった。

50年生きてきたけど、あの頃ほど日本がお洒落だったときはないと思う。)

 

でも8階で営業部が出来てからは、さなさんだけでなく、ありゃりゃ…高橋信ちゃんも杉山さんも、スーツ着て営業に行ってる!ので、僕も入学式のときに親に買ってもらったペイトンプレイスの濃い焦げ茶色のスーツを出して着ていくようになりました。

 

サークルカタログに加えて、11階では大学の合格発表にあわせた運転免許合宿のパンフレット制作が平行して進んでいましたが…2月に入れば、例の其のパンフ配りがほぼ毎日、大学の合格発表に合わせてあります。2月末までにはサークルカタログの広告も売り切らないといけません。

 

つまり、これから先も僕と同じような学生社員が要る!。

 

かたや9月以降に友人知人の大学生を勧誘しだして、よく解ったことがありました。

 

リョーマのような大学生ばかりの企業ごっこ(いわゆる学生企業)、僕は楽しくて嬉しくて朝から晩まで仕事(?)をしていましたけど、みんながみんな面白いと思うものでないようなのです。

 

まぁ、そもそも時給なんぞありません。一応タイムカードのようなものはありましたが、実質意味なし。一日14〜16時間働いても給料(?)は月3万とか。要するに新興宗教の細胞と一緒です。

つまりお金にはならない。お金がほしい人には向いてない。

 

 

…であれば、ナニが動機の人に向いてるのか。

ズバリ特殊に 個性的な人 との関わり です。

 

それは僕自身が身をもって知っていたこと。実際、僕がリョーマに毎日朝から晩まで居た理由は、それだけでした。

 

とにかく真田さん西山さんと一緒に居たかった。

二人は僕にとって刺激のカタマリでした。全てが新鮮で、己がぐんぐん成長している感じが足にキテました。

 

しかしながら、同じような生き方に興味を持ってくれる人は多くない。いや…かなり少ない。

 

で、あるならば普通に募っても見つからない。

 

給与の設定がないので、そもそも求人媒体に広告出せない。

 

そこで、さなさんの提案で、

僕自身が制作中のサークルカタログに 自分自身が紹介される側の人として出ることになりました。

 

僕が日々どのように生きているのかを記事にすることで、同じように生きてみたい人を募ることにしたのです。

 

 

なんせサークルカタログは公称10万部を刷り、大学入学式の当日に校門前で新入生に配るわけですから、きっと…絶対数的には僅かな変わった感性の人が記事を読んで連絡をくれるはずです。

 

その特集では「関西で頑張ってる大学生のセンパイ」として、さまざまな人を取り上げました。

フリスビーで世界一になった人、アメフトで大学日本一になったチームのQB、アイセックの活動で世界中飛び回っている人、、、その中に僕の紹介も混ぜることになりました。

 

スーツを着て名刺を持ってショルダー携帯電話を抱えて大学に行き、授業に出ずに学内で企業の宣伝やイベントのポスターを貼ったり、学内でグループインタビューをやったり→

大学帰りに営業に行き、クライアントと打ち合わせ→

そのまま会社に出勤して営業会議&フォロー電話→

夜はミナミでディスコまわり、店長や学生サークルの代表とVIPルームで打ち合わせ→

そのまま先輩のおごりでカラオケ行って、終電ないので、朝まで事務所で寝る→

そのまま朝礼出てから、また大学へ→ …  (無限ループ)

 

といった(当時の)日々の僕の生活を文字にしてもらい、結びに新入生へのリョーマ学生社員の勧誘文句を入れることにしたのです。

 

で、僕は入学式に買ったスーツとは対照的な崩れたかんじの…黒に近いグレイのYin&Yangのスーツを正月あけの心斎橋BALのバーゲンで買いました。

 

両手に黒電話の受話器を持った満面の笑みの僕の写真を、佐々木あつこ副編集長に撮ってもらいました。

 

 

さて、これで4月にどれだけ新しいスタッフが集まるか、ね。

 

サークルカタログの制作は続きます。

 

Posted by 加藤順彦ポール | comments(0) trackbacks(0)

私も履歴書 20 |ViePlanマガジン制作スタッフ揃い踏み

 

 

11月に入って、運転免許合宿事業の繁忙期(1〜3月)への準備も佳境に入ってきました。
リョーマは、いつしか未処理の伝票が山盛りとなっていき、バックオフィスがそれまでは一人だった佐々木康さんに加えて、
 
西山さんがミナミで運営に加わっていたバー「シンク」のスタッフだった山下伸一郎くんが、昼間は大原簿記学校の学生という理由で経理・総務担当、
 
あの増田宗昭さんが鳴り物入りでやってたプールバーと本屋の複合店で深夜まで営業してた蔦屋書店から転職してきた鮎川のりこさんが合宿免許の庶務全般担当、として 秋口から加わってました。 
  
  
もちろん11月から、同じマンション(ライオンズマンション新大阪第3)の802号室/2DKを借りることになっていたからですが、
何の事情だったか、11月末まで借りれる時期が3週間ほど延びたこともあって、僅か11平米のオフィスは超満員になってしまいました。
 
そんなのお構いなしに、さなさんはViePlanマガジンのスタッフ候補を毎日のように、会社に連れてきては、向かいの喫茶店で口説いていました。
 
例のマハラジャ倶楽部のVIPカードを発行する権限をさなさんが持っていたこともあり、学生パーティの動員力や企画力のある、リーダータイプの大学生たちとも何人も話していたとは思いますが、そのあたりはさなさんひとりでやっていたので、僕は(自分が紹介した松本浩介くん以外は)どれくらいの方々と逢っていたのかは、よくわかりません。
 
 
*******
  
そして、続々と802号室の事務所開きに向けて、ViePlanマガジンの体制が決まっていきました。
 
当初は僕が担当するということになっていた 関西一円から300サークルの情報をかき集めるという キャンパス・サークル・センターのメイン担当が、何度か土日の昼間のパーティ枠を、さなさんと融通しあっていた林圭介くんに替わる、ということが決まりました。
  
僕はやる気ではあったので少し悔しいとは思いましたが、内心ホッとしました。
ViePlanマガジンは 大学・短大の新入生向けの「サークル紹介誌」。サークル情報は雑誌の中味そのものであり、看板でした。
しかし僕自身はサークルの代表者に、ディスコの貸切パーティ枠の販売はしたことすらあれ、サークルには参加したこともなかったですし、ぶっちゃけ興味もありませんでした。だから新入生にどんなことを紹介したらいいのかすら、よくわからなかったのです。
かたや林くんはなんというか妙に世慣れたムードで、ミナミの各ディスコの黒服や学生サークルの代表者たちともけっこう顔馴染みな感じだったので、これはいい人に決まった!良かった!と思ったのです。
(当時、たしか同志社大学の学生だったのですが、、、その後92年のリョーマ終焉まで、なんだかんだで一緒にいることが多かったのですが、ただの一度も大学に行ったのをみかけた記憶がありません。)
 
  
雑誌をつくるということで、
制作は、管理の佐々木康さんとも元々お付き合いのあった岡村茂樹さんが担当することになりました。
快活でマジメな好青年で、さなさん西山さんと同世代、頼りになるアニキって感じです。ちょうどこれからフリーでやっていくというタイミングだったようでした。
 
編集は、さなさんがリョーマを始める前に代表として運営していたオールラウンドサークル「なにわ倶楽部」のメンバーだった寺下光彦さんと佐々木あつこさんが担当することになりました。ふたりとも洗練されてて、独自の美学や人生観があって、僕からすれば「オットナ〜♪」な感じでした。
  
そして、僕と松本くんがやることになった広告営業には、関西大学の広告研究会絡みで学園祭の作業でもご一緒していた高橋信太郎さんと杉山全功さんが決まっていました。 
  
杉山さんは仏様のような温和なムードと口調でたいへん親しみやすかったのですが、
かたや高橋さんはどうも威圧的でとっつきにくかったので、僕はぶっちゃけ距離を置くことにしました。
 
ま、二人とも僕よりは、2〜3つくらい上だったこともあって、いま思えば僕はずいぶんガキだったというか、当初は実際ガキ扱いされていたような気がします。
  
 
 ***********
  
  
結局、スタッフがなんとなく集まるようになったのは(当時の記録によると)11月27日あたりになりました。
ファッションページとかしっかり企画されていたこともあり、なんか全然関係ないのも含め、女子大生もたくさん来ていましたねぇ。
もとのワンルームの11階(1108号室)のオフィスは運転免許合宿事業部:マイライセンスとなり、2DKの8階(802号室)のオフィスがマーケティング事業部 兼 ViePlanマガジン編集部となりました。
   
 
僕は12月以降は毎朝10時に11階に行ってマイライセンスの鳴る電話を、鮎川さんや佐々木さんと受けたりしつつ、ViePlanマガジンの広告枠営業に取り組みました。
 
 
そうですねぇ、
いま思えば高橋さんには負けたくなかったかなァ、数字で。
 
 

ほどなく802号室は不夜城となっていきました。

 文化祭の制作のように和気あいあいに夜中まで賑やかでした。みんな帰らない! んですわこれが。 

 
 
で、僕は11階で横になって、朝は電話を受け…  
 
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