私も履歴書 43 |日本企業のASEAN進出支援のコンサル会社を

翌2007年11月。僕は秘めてNIKKOのGMOグループの傘下入り、シンガポールへの単身移住を決めたものの、家族と役員にその決定を告げただけで、内外に対しては、通常運行姿勢で日々と対峙していました。

広告会社は年末に向けての競合プレゼンや発注、仕込みも多く、NIKKO社内もばたついていました。

 

そんななか6年以上にわたり広告主としてお取引を頂戴し、前年2006年にはNIKKOが保有していた子会社モビィリードの90%を取得してもらっていたインデックス・ホールディングスの代表取締役が、転身前(ボストンコンサルティンググループ)からの知人であり、前年12月に社長に就いたばかりだった椿進さんから、筆頭株主であり創業者の落合正美さんにばたばたと戻ったことが気になっていました。

 

椿進さんは子会社モビィリードのインデックスグループ傘下入り折衝の折の窓口でもありました。
僕はモビィリードのメンバーに対しての説明責任もあったので、11月末の臨時株主総会で退任し顧問になるという椿進さんに、僕自身の進退についての報告も兼ね、今後のことを訊くべく会ってみたのです。

 

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椿進さんは底抜けに明るい人です。基本的になんでも笑い飛ばしてる。知らないことにも全く恐れがなく、無邪気に見えます。そしていつもなんとかこなすタイプ。僕はそんな彼が、どんな事情があったのかはさておき、僅か10ヶ月でインデックスホールディングスの社長を降りちゃったのが気になってました。

 

単刀直入にずばり!訊いてみたものの、
ま、まだ臨時株主総会前ということもあったのか、(ま、その後さまざまな問題や事故が露呈したことを鑑みると、そういうことだとは思うのですけど)
その事情については、うまくはぐらかされてしまいました。

 

かたや僕が賞与、資金繰りなど12月の金策も含めて、NIKKOをある会社(GMO)に傘下としてお願いすることにしたこと、そして、早ければ4~5月にもLENS MODEを頼って、シンガポールに移住することにした、と伝えたところ、彼の目の色が変わりました。

 

「え、シンガポールで加藤さん、何をするの?」
「いや、決めてない。ただ東京で新しい会社を創業するのはナシかなってことだけ決めた。NIKKOにも残らない。」
「シンガポールってのは、そのLENS MODEがあるから、ってそれだけの理由なの?」
「うん、呼んでくれてるLENS MODEがある場所がシンガポールだから、そこにいくんよ。」
すると進さんは
「シンガポールが今後おおきく経済発展するASEANのハブになってるのは知ってます?。日本企業だけでなく、アメリカ、欧州、中国、インドの大企業やIT企業が、いまASEANで事業展開を進めてる。その中心がシンガポールで。」
「そうなんや。」
「そうなんです。」
…そして、
彼はまくしたてるように、これからのASEAN経済の爆発的な成長について、説明してくれたのでした。

 

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結局、その夜は
椿進さんは現状の境遇やモビィリードの近未来については要領を得ないことしか話してくれませんでした。要するにその時点で椿進さんはインデックスには全く行ってない。当然、モビィリード含め、本体・子会社が今後どうなっていくのか解ってないし、差配する立場でももうなかったのです。そら、そうか。

 

 

が…僕らは近いうちに、年内にも、も一度逢うことになりました。

 

なぜなら、
年明けから彼が立ち上げようとしていた新しいコンサルティング会社のシンガポール代表に僕が就くことで盛り上がってしまったから。その新会社の事業軸は
【日本企業のアジア(中国・ASEAN)への事業進出支援】コンサルティング、とのこと。
事業の立ち上げに必要な、人ものカネ情報をハンズオン型でフルコミットする、と。そのシンガポール法人の代表パートナーになってくれ、というのです。
(… コンサルティング会社!ですか。
それって、おいらみたいなずーっと広告枠を売り捌いてきたような中小企業のオサーンでもできるの?英語もたいしたことないんだけど。)
とか、不安は少しあったものの、
なにそれ面白そう!みたいな感情が、その何倍も沸いてきてました。なんか面白そうやんか、ワクワクしてきたやんか。

 

追記:
この記事  https://www.j-cast.com/2013/06/12177143.html?p=all   によると、椿進さん退任時のインデックスグループは、『連結子会社89社、非連結子会社25社、関連会社23社にまで「膨張」していた』ようで、NIKKOの子会社だったモビィリードもそのうちの一社でありました。
同社が特に三茶に移ってからの2~3年は、広告を大量にご出稿いただいておりました。この場を借りて、改めて当時の関係者に感謝いたします。