プレジデントビジョンでのインタビュー 2004年4月 再掲
明けましておめでとうございます。2023年もよろしくお願いいたします。
今日1月31日、突然に初出2004年4月以来…19年近くずっと掲載されていたウェブサイト『プレジデントビジョン』の小生インタビューが消去されてることに気づきました。それをtwitterで書いたら、北の達人の木下勝寿さんが記録とってるので、と5分で全文テキストをおくってくださいました。すげぇ。折角なので、ここに再掲いたします。インタビュアの増永氏は同サイトを運営するライブレボリューションの社長です。
2003年初頭より、日広は子会社3社とあわせ、クエスト・ネットワークス・グループを名乗っていました。メディアレップジェイピーはその後、社名をモビィリードと改めて一時代を築きました(現在はCAMの一部に溶けています)。秘書センターはこのインタビューの直後に、イーステムの子会社となりました。いまも創業当時の事業のまま https://hishocenter.com/ に元気です。ダブルオーワンの手がけていた個人情報保護事業は、その後日広の子会社となったステックワイアードと統合となりました。ステックワイアードは日広がGMO傘下となる際に、経営陣によりMBO。同社と共に個人情報保護事業も健在です。往時のダブルオーワンはいまも同社 https://001.jp/ のドメイン名にその名残を遺しています。
2004年頃はこんな顔でした。
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■なるほどこれは魅力やな
(株式会社日広の加藤社長にインタヴューしてきました。 学生の頃からビジネスをはじめ、グループ年商50億円にまで育て上げました。 インターネット広告業界、モバイル広告業界を代表する企業のひとつです。 ビジネスのコツやヒントを教わりました。)
【増永】 現在の事業についてお伺いできますでしょうか?
【加藤】 私どもは去年2月クエスト・ネットワークス・グループという総称に呼び方を変更いたしました。 元々は日広という会社が母体でしたので、日広グループとしていたのですが、あまり親会社・子会社といった相関関係は好きではないのです。 新しい事にチャレンジしようという気持ちから新会社を設立したりするわけですが、その際に子会社に飛ばされるといった受け止め方をしてほしくないという事で、どの会社名でもないグループの名前に変えました。
現在5つほどの事業を手掛けております。 92年に日広という会社でスタートしたのですが、もともとの事業は雑誌広告の代理店でした。 今では日広・メディアレップジェイピーのインターネット広告、モバイル広告の売上げは9割弱ぐらいあります。 残りの10数%が雑誌広告となっております。 年商は全社で50億円くらいです。
他に秘書センターという会社があります。 いわゆる秘書センター業務をやっているんですが、昨年4月からスタートしています。
弊社のお客様は、eコマースを手がけている会社が非常に多いのですけれども、結局Eコマースというのは、大体夜の10時ぐらいから1時ぐらいが一番のホットタイムなんですね。 ところがその時間帯というのは、通常、大部分の従業員の方が帰られていて、電話での申し込みなどに対応できないんです。
やはり人の声で対応してほしいという需要が潜在的に凄く大きいと思いまして、秘書センターという会社を始めました。 インターネット広告の日広とは別々に営業しておりまして現在130社ぐらいのお客様に秘書センター業務を提供しております。
また、ダブルオーワンという会社では、プライバシー・プログラムのライセンシー事業を行っております。 個人情報保護法の制定に合わせて、プライバシー保護第三者認証の国際規格であります「TRUSTe」という規格があるのですが、この規格を日本で普及させる活動をやろうという事で取り組んでいます。 既に10社程が私どもを通じてTRUSTeライセンスの認証を受けております。
● 加藤社長のこれまでのお話をお伺いできますでしょうか?
私は67年生まれの36歳で、もうすぐ37歳になります。 大阪の豊中生まれです。 箕面高校を卒業し経営の勉強をしようと思って関西学院の商学部に入りました。 親が経営者で祖父も経営者、親が祖父の会社を継いでいましたので、私も幼いときから大学に入る時点においても、親の会社を継ぐという認識が強くありました。
でも実際、大学は経営を教えてくれる所じゃないですよね。 一ヶ月ぐらい経つと大学にいても意味がないなと感じてきました。 かといって、サークル活動やアルバイトというのは全然ピンとこなくて、学校をうろうろしていました。
その時に商学部の掲示板で「ウェルカム・ダンスパーティー実行委員募集」というポスターを見つけました。 私は中・高校でも実行委員会みたいなのが好きだったので問い合わせをしてみました。 学校の会議室で開かれた説明会に参加しました。 そしたら、なんてことはない、パーティー券の手売りだったのです。 でも当時私はウブでした(笑)気づかなかったんですね。 一個人が企画しているパーティーであると気付いたのはパーティーの3週間前でした。 その主催者が現在のサイバード副社長である真田哲弥さんだったのです。
結局実行委員という名のパー券さばきが、新入生の私を含めて50人ぐらいがかき集められました。 おそらく一番売ったのは私だったと思います。 それがきっかけとなって真田さんと親しくなったんです。 彼は当時、有名な学生パーティー仕掛け人でして、パー券を売りながら私は、毎晩マハラジャのVIPルームに座っている彼を間近に見て男惚れしたんですね。 これが19歳の私にはすごく刺激的なわけですよね、彼はミナミの顔だったので誰もが知っているわけです。
ディスコも一晩に3、4件はしごして「まいどおはよう」とかいってゴォーッと入って行っちゃって、店内で勝手に食べて「じゃあね」と言って帰っていく。 そんな真田さんが格好良かったので、弟子入りではないんですけど腰巾着みたいな感じで付いてました。 ところが彼自身が「これからは学生企業やで、知ってるか?」と言いだしたのです。
関西の学生起業家として非常に有名だったテンポラリーセンターの南部靖之さんがいらっしゃいました。 南部さんは現在のパソナグループの代表ですが、当時はまだ30前後で、派手な言動とベンチャー企業をたくさん創るということがマスコミでいろいろと報道されていました。 これからは学生が起業する時代なんだと言っておられました。
86年11月15日、新大阪の駅前のワンルームマンションを借りて、「マイライセンス」という名前で学生向けに運転免許の合宿の取次ぎをはじめました。 マイライセンスというのは真田さん主役の事業ではなくて、彼の中学・高校時代の同級生との共同事業でした。 真田さんから合流して2人で始めるから加藤も参加しろといわれました。 そこで出会ったのが、現在のまぐクリック社長の西山裕之さんだったのです。
私は幼稚園の時から郵便貯金でお金を貯めていました。 ところが大学に入る一週間ぐらい前に、これまで貯めていた郵便貯金の口座にあった25万円を、全額免許の取得に使っていました。 私もそうだったように、みなさん免許の合宿前にお金払ってくれます。 逆に当方は合宿してからかなり経ってから学校にお支払いしますので凄くキャッシュフローがいいわけです。
キャッシュフローが良いという事、同じ世代を対象にした商売であるという事、非常に高単価が見込めるという事で、手数料率が7、8%と安かったのですが、そこに参入優位性を感じて始めたんですね。
私もやっていくうちに「なるほどこれは魅力やな」と思うようになりました。 お金がないなか、それでもどうやって宣伝するかという事を考えました。 当時の大学の合格発表は郵送ではなかったので、合格発表の当日にビラを持っていって、校門から出てくる人の顔を見ながらビラを配ろうという事になりました。 理由はビラの制作費が結構高かったので、顔が下を向いている人には渡さないで「やったー」といってはしゃいでいる人だけに渡すのが効率的だと思ったからです。
という事で、関西大、関西学院大、同志社大などの合格発表の会場に行ってビラを配るということを毎日やりました。 ビラを配って事務所に急いで帰って、机の前で電話が鳴るの待っていましたね。 そうしましたら案の定、夜中まで電話が鳴り響くわけですよ。 みんな大学に合格したらもう運転免許を取りたいんだなと思いました。 一年前の自分の気持ちと同じなんだと。
まだ商売とは何たるかということはわかりませんでしたけれども、ビラを配ったら申し込みがあって、7、8%の利益率といえどちゃんと利益が出るというのが面白いなと思いました。 これがビジネスを始めたキッカケですね。
■新卒社会人になってわずか20日で会社が破綻
(私も新卒で大和証券に入ってから1年4ヶ月で辞めて、独立起業しましたが、入社してすぐに会社が破綻してしまったら、どうしていいかわからず、パニックになっていたかもしれません。 波乱万丈な人にはさまざまなエピソードがありますが、自分ではどうにもならないようなことも乗り越えていける力が、本当の実力なのかもしれません。)
【加藤】 3人ではじまった学生企業、実態は会社ごっこでしたが87年6月1日に株式会社リョーマを資本金100万円で登記設立しました。
私たちは入学時期に運転免許に限らずいろんな学生の想いが集約するという事を一冬でわかりました。 大学合格の発表や入学の直後に、消費の大ボリュームがあるということ。 そこで真田さんが考えたのが新入学期の大学生短大生向けにインターカレッジのサークルカタログを広告媒体にして配るということでした。
真田さんが広告主集めに東京まで出て行きました。 今般UFJカードに買収されることになった日本信販さまは当時ViePLANカードという大学生向けのカードをやっていて、彼は学生向けのカードを訴求するのなら入学式に配る我々のサークルカタログに載せるのが絶対良いですよと言ってスポンサーを決めました。
日本信販は東京でカード販促のために、『ViePLAN』のフリーペーパーを検討していました。 そこで、真田さんは今度作るサークルカタログを関西版の『ViePLANマガジン』として僕らがやりますということで受注してしまったのです。
関西はリョーマが事業主となり広告主を募り『ViePLANマガジン』の制作をはじめました。 このため学生のスタッフが必要だということになりまして、私も大学生を集めました。 事務所も手狭になり、同じマンションの8階も借りることになりました。
そんな過程で高橋信太郎さん(現まぐクリック取締役)、森輝幸さん(現ユーキャストコミュニケーションズ代表取締役)、山下伸一郎さん(現サイバード取締役)、松本浩介さん(現 時刻表情報サービス代表取締役)・・・といった方々が加わっていきました。
その後、真田さんはリョーマの経営から離れ東京に行き、アメリカで行なわれていたダイヤルQ2(アメリカではダイヤルイットという名称)、要するに情報料金回収代行サービスが日本でも始まるということを知りました。 そこで、それを利用したサービス提供の為に会社を創ろうということで、その提案を携えて帰ってきました。
で89年9月28日、東大の2年生だった玉置真理さん(現ザッパラス代表取締役)を代表取締役社長に株式会社ダイヤル・キュー・ネットワークを設立いたしました。 年末には五反田駅前のマンションを借りて真田さん、西山さん、山下さん、狭川元秀さん(現サイバーファーム常務取締役)など10人前後での本格スタートとなりました。
そのうちダイヤルQ2が社会現象となりました。 キュー・ネット社は結構しっかりとした番組の企画をやっていたのですが、嘘を書いてダイヤルQ2回線の企画審査を通してからツーショット回線に変えてしまう業者が大量に横行しました。 当時はNTTの伝言ダイヤルも1000億円以上の凄い大きなマーケットになっていましたので、PTAなどから結構叩かれていましたね。
我々の商売は売上も鰻登りで順調だったんですけれども、青少年利用や偽造テレカ等の対処のために突如NTTは公衆電話からのダイヤルQ2の利用を停止してしまいました。 これで売上の40%がなくなりました。 さらにCP(コンテンツ・プロバイダ 情報提供者)への支払いサイクルを変更してしまいました。
結局不良CPを根絶やしにする為には、ある程度の資金力があるしっかりした会社以外はやっていけないようにするといったことだったんでしょう。 当時ダイヤルQ2は2ヶ月サイトでしたが予告もなく入金サイトが4ヶ月になってしまいました。 で、キャッシュフローが劇的に悪化してしまいました。
あっけなかったですね。 ちなみに私が関西学院を卒業したのが91年の3月、キュー・ネット社が破綻したのが4月ですから、新卒社会人になってわずか20日ぐらいで入社した会社がつぶれてしまったわけです。 親の会社を継ぐのを振り切って、この商売にかけ潰れた時点で24歳。 で当時は8人も部下がいました。
それからが大変でした。 破綻した段階でキュー・ネット社は60人ほど社員がいて、入金サイクルが長くなってしまったとはいえ入金そのものはあるし、日々の運営もありますから、営業を続けなければならないわけです。
そのためには会社ごとどこかの会社に買ってもらわなければなりません。 西山さんが中心になって、当時有名なベンチャー企業さんをまわって、会社を買ってくださいという交渉をしました。 そこで名乗り出てくださったのが徳間グループの徳間康快会長だったんです。
徳間会長も既に結構お年でしたが、キュー・ネット社のやってきたこと、要するに情報を通信を通じて有料で売るという仕組みに関心を持って頂きました。 大方のリースを徳間グループで付け替えていただくというご了解を頂いて、営業譲渡という形で徳間グループの新会社である徳間インテリジェンスネットワークに、その事業を承継する為に移りました。 そしてその翌92年夏、私は意を決して会社を辞めました。
■10年前と同じメンバーが業界を動かしていた
(過去の経験が現代に役立つ事は、誰にでも容易に想像できると思いますが、まさしく、それを実践したのが、今のモバイルビジネスに携わっている方々なのだなと感しました。)
【加藤】 それから創ったのが今の会社で、雑誌の広告を扱う事業からスタートしました。 インターネット広告を扱い始めたのは、ハイパーネットが97年に「ハイパーシステム」というサービスを始めたことがきっかけでした。 社長の板倉雄一郎さんと副社長の夏野剛さんが開発した無料インターネットプロバイダサービス&サービス利用中に常時広告を同時に見せる、というこの仕組みを、新しい広告媒体として注目していたインターキュー(現GMO)の熊谷正寿社長から「日広で取り扱わないか」という声を掛けていただいたのです。
また同じ頃、仲良くしていただいていた仕入先のソフトバンク出版事業部代理店課の課長だった須田哲史さんが、電通とソフトバンクが合弁会社をつくることになって転籍になるというお話がありました。
「電通とバンクがサイバーコミュニケーションズという会社をつくって、そこの取締役になることになりました」と。 「それはハイパーネットみたいなものですか?」とききましたら、そうではなくて、ソフトバンクがアメリカの検索ベンチャーのYahoo!という会社に出資して日本法人をやる事になった、と。 そしてサイバーコミュニケーションズというYahoo!の広告の総元締め代理店みたいなものを合弁で作ったわけです。 それもタイミング的に大きかったですね。
ネット広告スタート当初はYahoo!を中心にポータルサイトのサーチワード系の広告を一番得意としていました。 やはりお得意先はベンチャー企業が多かったですから、私の同世代、その下の世代が新たに起業されてインターネットを使ってお客さん集めたり、会員を増やしたり、売上げを伸ばしたりしていました。 そんな中で、どうすればもっとうまくやれるかといったマーケティングの部分をお手伝いしてきました。 例えばワインと検索すると、検索結果の上に「ワイン買うなら○○ワイン」といったようにバナー広告を出すわけです。 これが一番訴求力が高いんですよ。
99年8月に最大の得意先であるインターキューさんが店頭上場しました。 「ビットバレー上場第一号」みたいな感じでした。 私はその頃ACCESSで働いていた真田さんから「これからはケータイでインターネットに接続する時代が来る。 」というお話を聞きました。 課金機能を持っている携帯キャリアがインターネット接続のゲートウェイになるとPCとは異なる市場形成が考えられるぞ!とモバイル広告マーケットの勃興を確信しました。
夏野さんがコアメンバーになって開発されたドコモのiモードがはじまったのが99年2月なんですが、私はその時点で真田さんからパケット代無料のメールサービスであるメッセージフリーの登場等について教えてもらっていました。 翌2000年春、ドコモさんと電通さんの合弁メディアレップであるディーツー・コミュニケーションズ(D2C)の会社設立が新聞発表されました。 ピンと来ていた私はすぐに藤田明久社長に「D2Cさんの商品売りますから」みたいな宣誓をお電話いたしました。
勝算がありました。 私がケータイの広告枠を買うであろうと想定していたのはCPでした。 CPといってもダイヤルQ2ではなくて、今度はiモードのCPなんです。 要するに仕組みはQ2と同じで情報を有料で売ると。 iモードのCP事業をされている顔ぶれもキーマンは10年前と同じ方が多かった。 情報を電話で課金してやっていたビジネスモデルを今度はパケットに置き換えてやっているわけです。
この領域で広告代理をやればいけると思いました。 自分にはどういうサービスをやっているCPがイケているのかといった土地勘もあるし。 甲斐あって現在はD2Cさんを含め携帯3キャリアの公式広告枠のお取扱高では、いずれも2,3位の実績であると伺っております。
最近、日広では「リスティング」とか「SEM」とか呼ばれるYahoo!・msn等のポータルサイトの検索結果の上位表示入札広告、具体的にはovertureやGoogleADWORDSのプロモートに注力しています。 この広告手法はまだまだ始まったばかりで米国と同時並行的にどんどん技術や手法が革新を続けています。 ダイナミックな伸長に飛び込んで巻き込まれ、社員も楽しみつつ苦しみつつ取り組んでいます。 一ヶ月前に学んだことが使えなくなることも多くて、勉強を常にしなければいけないのがたいへんですけど。
■人生いたる所に青山あり
(加藤社長の読者メッセージは必見です。 「若いうちは焦らず腐らず経験を積んでいけば時は来る」そして、前向きに誠実に精一杯努力すれば、いつか大きなチャンスが訪れ、ものに出来るのだと思います。)
【増永】 加藤社長の好きな人物はどなたですか?
【加藤】 影響受けている人物は、私どもの会社のビジョンやビジネスの仕方とも直接的に影響を受けているのですが、ミスミ創業者の田口弘さんです。 もう痛いくらいに受けています(笑)。
素晴らしいお考えをお持ちで、私は講演を聞きに行ったり、本も何度も読んで、勉強しています。 「マーケットアウト」の発想や「持たざる経営」といったお言葉は会社を経営していく上で非常に大きなキーワードになっています。
● 好きな言葉はございますか?
「人生いたる所に青山あり」という古語ですね。 ちょっと気の抜けた座右の銘ですが、「まぁ、なんとかなるさ」ということで、大好きです。 要するに心の持ちようで、いつでも自分の目の前には青い山がそびえているんだよという事だと思います。
藤子F不二雄さんの漫画の中でみたのがきっかけで。 小学校のときに読んだのですが、きっと生涯コマ割まで含めて忘れることはないというほどの短編漫画※があるんですよ。 この漫画に載っていたことが、その前後のシチュエイションも含めて、あまりにも印象深くて好きなんです。 まぁ、いろんな事があるんですよ人生(笑)。
良い事もありますし、悪い事もあるのですが「ケセラセラ」といいますか、人生いたる所に青山はあるのだから、あんまりネガティブに考える必要はないというふうに思っていますね。
● 加藤社長の今後のビジョンをお願いいたします。
弊社はプライベートカンパニーです。 IPOについては今まではそういう所とはかなり意識的に無縁だと思ってきました。 事業構造的に資金調達をあまり必要としない商売だった事が大きかったと思います。 売ると同時に仕入れるので、在庫がありません。 そういう意味では、今まで必要なかったのです。
でも今後は上場して資金調達をするからこそ社会貢献ができるみたいな企業・事業にもチャレンジしたいなと思っています。
冒頭に新規事業をどんどん始めていって、新規事業をやる人が会社の活力になるようなスパイラルをつくっていきたいというお話をしたんですけど、割と営業のスタイルやポリシーのようなものを各社でそれぞれ結構ガッチリ固めてほしいと思っているタイプなので、新しい事をやるのであれば、また新しい箱からつくって、それやる人を決めてやっていきたいと考えていますね。
経営がわかる人材、戦略が立てられる人材、仮説が立てられる人材というのをつくっていけるような風土や、新しい事業をやる事に対して、褒め叱ることができる組織をつくればイノベーティブな人が内側から沸いて出てくるはずだと思っています。
「0を1にする、ときこそ助走が必要」ということ。 よく独立開業相談とかあるのですが、若いうちは焦らず腐らず経験を積んでいけば時は来る、と思っています。 いたずらに飛び出さず、目の前の「いま」を熱く大切に誠実に過ごしてください。
● プライベートカンパニーでここまで急成長されている要因をご教授いただけますでしょうか?
急成長はしてないですよ。 弊社は12年目です。 全然ゆっくり遅々としたものですよ(笑)。
● 50億円規模にした手腕をお持ちですが、加藤社長がここまでになられた経営のコツというものをぜひお伺いしたいのですが。
「身の丈経営」というコトバがあって、これはいい意味も悪い意味もあるんですけど。 ネガに考えると、身の丈を決めてしまうとそれ以上になれないですし、定義する事で成長の角度とか決まってしまいますので、経営していく上であまり頻出するのは良くないと思ってます。
ただ私自身にとっては「その時点の」身の丈を知る事は大事で、「よく身の程を知れ」という罵倒の言葉がありますけど、自分が出来る範囲をどう思っているか・どう伝えられるかということと、他人が私をどう見ているかということは別の問題ですよね。 それは言葉を変えると相手が私にどういうアウトプットを期待しているかみたいな事を知る、理解するって事で、それに誠実にお応えしていく努力が、おそらく商売を11年続けられた秘訣じゃないかと思います。
私はむしろ売上が50億円になったとか、70人になったとかということよりも身の丈ペースを維持拡大しながら11年間続けたという事に対して割と自己満足していています。 離職率も超低いですし、自分でいうのもなんですけど非常にいい人財が育って残っているってのが自慢なんですよ。
あとはやっぱり本当に人付き合いです。 広告業は特に人付き合いが大事ですよね。 我々の商売は結局在庫もなく腐りもせず値段も同じでマージンレートも同じですから、極論すればインターネットの広告枠を、私が広告主としてどこから買うかという事になれば、やっぱりシンパシーを持っている方なんですね。
良くしてもらっているとか、言っている事に説得力あるかといったところでみても、結局人をジャッジしているわけです。 そうすると本当に選択される余地というのは人間力しかないんですよね。
● 読者の皆様にメッセージをお願いいたします。
見て頂いてありがとうございます。 今回は創業経緯を中心にお話しましたが、お伝えしたかったのは「0を1にする、ときこそ助走が必要」ということ。 よく独立開業相談とかあるのですが、若いうちは焦らず腐らず経験を積んでいけば時は来る、と思っています。 いたずらに飛び出さず、目の前の「いま」を熱く大切に誠実に過ごしてください。
加藤はまだまだいい仕事いい人材に飢えております。 あまり有名な会社でないですが、ご興味持っていただければ一報頂ければ!と思います。 よろしくお願いいたします。
【完】
2004年4月掲載:Ⓒ ライブレボリューション
※)この漫画『あのバカは荒野を目指す』についてはこちらです。https://katou.jp/?eid=654