私も履歴書 22 |日々が文化祭の前日。
2022年3月8日
1988年も2月に入り、リョーマのサークルカタログViePLANマガジンの制作・編集・営業の拠点だったライオンズマンション新大阪第三の802号室はいよいよ誰かが24時間常時いる状況となってました。
僕だけは1108号室のほう、すなわち運転免許合宿の斡旋事業MY LICENCEのほうも兼務しており、2月1週目からはほぼ毎日、関西一円の大学短大で行われる合格発表の時間に合わせたパンフレット配りにも参加していました。こちらも現地配布隊の頭数の手配、待ち合わせ時間の調査と調整、クルマでのパンフレットの校門前配送があったのです。
サークルカタログは全ての制作工程が後ろに倒れており、なにもかもが間に合いそうになかったのですが、なんせみんな大学生でもあったので(進級するつもりのない=諦めている真田さん西山さん以外は)年度末のテストやレポート提出期限とも格闘しており、事務所はみな鬼気迫る様相…のはずがそうでもなく、和気あいあい&元気はつらつの「毎日が文化祭前日」ムードでした。
若かった!という言葉だけでは済ませないはずですが、たぶんそれしか妥当な理由が思い当たりません。
僕は1年目(関西では…大学生は1年次を1回生、2年次を2回生と呼びます)の成績がズタボロだったこともあり、この年はとにかくレポート捏造と代返の根回りだけは綿密にやったことをよく憶えています。
2月中旬からはMY LICENCEはまさに繁忙期となり、運転免許合宿の申込金、教習費用が銀行口座にじゃんじゃん振り込まれるようになりました。西山さんはMY LICENCEの広告宣伝も、2月3月の入校枠の取り付けも、1987年の比ではない程に準備していたのです。
一年で一番需要が集中するこの時期は最も利益額/利益率の高い時でもあります。需要が集中する時期の入校枠が埋まらないことはありません。この時期の枠をひとつでも多く仕入れるために日頃の閑散期に取れたお客様を丁寧に自動車学校に振り分けつつ…その度にゴマをすり、自分たちの集客力をアピールをして、枠を割り当ててもらうのです。1-3月の売上目標は昨対3倍以上でした。
僕はまた9時ちょうどに西中島南方駅前の三和銀行のATMに並び、鳴りやまない通帳記入の機械音の美しさに酔いしれながら気持ちのいい朝を迎えるようになりました。
そんな免許合宿の受付とブッキングに目が回るようになっていくいっぽうだった西山さんと佐々木さんの詰める1108号室でしたが、同じ頃、真田さん率いる802号室サークルカタログ制作チームは文化祭前日状態が何カ月も続いてるさなかとなっていました。
どちらにおいても役割の合った僕は行ったり来たりしていたのですが、
次第に西山さんがリョーマの経営について根本的な問題を思いつめていたことには、全く気がついていませんでした。
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西山さんは運転免許合宿の枠をひとつでも多く取り付けるために1-3月の繁忙期にむけて新規取り扱いの自動車学校を一気に増やしていました。それらの学校へのお支払いは、生徒さんのほぼ入校と同時か直後だったので、資金繰りは文字通りの自転車操業です。
いっぽうのマーケティング事業部が作る無料配布のサークルカタログは4月発行 … 収入源=広告費はメインスポンサーの日本信販さん含めて、ほとんど全て発行後の後払い。
6月から株式会社となったリョーマは、11月から西山さんの運転免許事業部=MY LICENCEと、真田さんのマーケティング事業部はカタチ上は分かれてはいましたが…当たり前に米びつはひとつでした。おそらく3月末の支払は満足にできなかったのではないでしょうか。
いま思えば、僕はなんと鈍感…いや無邪気だったのか、と。