私も履歴書 41 |シンガポールに移住しませんか。
日広を退く、と心に決めた2007年8月以降は、
・日広の新たな株主を決めること
と並行して、
・己の往く途を決めることも考えるようになりました。
自分が支配株主のまま、代表権と社長の肩書を橋口誠さんに譲ったことで、僕自身が日広の新体制に留まる可能性を消していました。
そのうえで新しい株主と合意する前提でしたが、、、では僕は退任してどのように生きていくのか、ということについては、特に いまいちど東京でなにがしかの商いを己の身一つで起すことはあまり現実的でない、と思考していました。恐れたことは、社員や顧客の股裂きです。僕がどのような商いの看板で始めても、ある程度それはあり得る。が、望ましくありません。
となると
・東京を離れ、遠隔地(例えば大阪)で起業する。
・東京で就職する。(誰かの起業した会社に参画する)
もあるだろう…
日広の新たな株主候補は絞られていました。
日々の折衝の合い間で、これまで個人としてエンジェル出資してきた投資先や、日広が合弁会社等を作ってきた協力会社の方に、株主変更/役員からの退任をやんわりお伝えしてくなかで…10月頃になって二人の方から『先の人生の過ごし方』についての提案が相次いだのです。
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2003年2月に設立した、 シンガポールのコンタクトレンズの個人輸入代行会社(2023年現在は越境EC会社ともいう業態)LENS MODE PTE.LTD.のCEO楢林悦朗さんから『次の仕事がはっきりと見えてないのであれば、シンガポールに移住しませんか。』というけっこう突飛なアイデアを貰いました。
LENS MODEは設立以来、毎年前年対で4倍程度の急成長をしていたのですが…一方で利益率の低い リテール業態にも拘らず、創業~黎明期は仕入がほぼCash On Deliveryだったので資金繰りは激しい自転車操業でした。
2006年のライブドアショック以降は日広の資金繰りが急速に悪化したことで、それまでの3年間でなんやかんやと累計1億円以上の運転資金を日広から貸し付けていたのですが…それを全額返済してもらってた始末で。正直、LENS MODEも資金繰りも厳しいだろな、と思ってたさなかでの…申し出でした。
訊くと、要するに借入してきた事業運転資金を日広に返済するため、大きく値上した上で&広告をストップせざるを得なくなった。すると売上の成長は止まったが、逆に資金繰りはみるみる好転し、遂に2007年は創業来初めて『利益』が出せそう、と。
僕の持分は34%、残りは楢林さんに持ってもらってたのですが… 曰く 加藤さんには1000万円は配当できると思います!と頼もしい。
『シンガポールは株主配当は非課税なので、加藤さんがシンガポールに移ったら満額渡せます。かたや日本で配当を受け取ると、海外法人からの配当の場合は20%課税されます』
なるほど、それはおもしろいかも。
気持ちが大きくシンガポールに傾いていったのでした。
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