NIKKOを手離して、まる四年が経ちました。あの頃の備忘録。
これは4年前の2008年5月20日付の記事です。
■GMOインターネット、オンライン広告のNIKKOを連結子会社化
前日の5月19日15時にGMOからリリースが出て、この20日の朝、全社員の前で状況を説明しました。記事の通り、第三者割当によるNIKKOへのキャッシュインでした。
8月25日の株主総会で取締役会長を退任しましたが、実質的な最終出勤日は地味に荷物を運び出した5月23日金曜日でした。その日を最後にするつもりってことを言わずに机を離れたので、いつものように軽く『おつかれさまです』と会社を出ました。 もう4年経つんですねぇ。
当時よく周りから『EXITおめでとう』とかいわれました。でも会社への第三者割当でしたから。なんも個人的な入金はありません。
ま、たしかに2年にわたり続いていた個人的な経済危機・自転車操業からは脱出できましたけど。
本人としては愛してやまなかった会社の経営からの不本意な離脱でしたが、当時の所感としては、とにかく ほっとした、肩の荷が下りた、と感じていました。
ゴールデンウィークに入る前には、これらの発表日程が決まったのですが、、
僕は最後の機会になるので、両親や弟(2人)妹(1人)の家族に、長年、全身全霊を費やしてきた会社をみせよう!と突如思い立ちました。
表参道に購入したマンションも賃貸に出す前に見せてあげたいな。とか思ったりもして。
5月17日の土曜日は、お昼過ぎから、大阪から出てきた両親や弟妹家族にNIKKO社内をぐるりとじっくりと案内しました。
会社を16年もやっていましたが、自分の家族を社内に招いたのは、そのときが初めてでした。 土曜日なのに、出勤している社員もけっこういて、、僕が唐突に、家族に社内を案内しているのを見て怪訝な顔をしていたのをよく憶えています。
その夜のディナーの席では、親族全員を前に、これまでNIKKOでやってきたこと、経緯、成果、実績、、そして翌週19日15時に、GMOインターネットグループへの承継が発表になること、自分自身は経営の現場から退くこと、そしてシンガポールに移住し、新たな挑戦を始めようとしていることを伝えました。みんなニコニコしてました。
・・・なんか、いい思い出です。
余談ですが、
僕が役員を退任した3週間後の9月14日に、リーマンブラザーズが破綻して、日本の広告業界の底が抜けました。
完全に後付けですが、潮時は間違ってなかったのかもなぁ、とも思いました。
たまにGMO NIKKOに顔出して最近ナニやってんの?とか聞いてますが、DSPとかアトリビューションとかさっぱり訳わかんないですからね。理解の玄海灘を振り切ってます。
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さて
そんな僕が、己の持ち株全て(33.3%)をGMOインターネットに譲渡したのは、一年後の2009年5月。
GMOに第三者割当を実施した当初はずっーと残る33.3%は持っていようと思っていたのですが、、GMOインターネットの幹部の皆さんからのグループ再編への強いご要望にお応えすることに納得したのです。
その後はこの譲渡の際に伺った以下のシナリオどおりに再編が行われました。
加藤の持ち株の売却直後の6月、まずNIKKOは新株式をGMOインターネットに対し大量に発行し、資本金を14億円まで増強。そして増資で得た資金をGMOアドパートナーズ株式会社の株式の取得資金等に充当しました。
次のステップにて7月1日付で、GMOインターネットは保有するGMOアドパートナーズ株式の全部を、NIKKOに譲渡しました。
最終ステップで新設分割方式を使って、NIKKOの広告代理事業を新設会社(NIKKOの広告代理事業を承継する会社。商号は株式会社NIKKO。現GMO NIKKO株式会社)に承継させる会社分割を行いました。
これにより、中間持株会社となったNIKKOは、GMOアドホールディングス株式会社に商号変更を行い、上場企業であるGMOアドパートナーズ、及び新たにつくったNIKKO(現GMO NIKKO)を、傘下に収めるGMOインターネットグループの広告代理事業持株会社となったのです。
つまり僕の創ったNIKKO、厳密にはいまGMOアドホールディングスなんですよ。
はい。
そろそろ、このブログもまる四年てことですよね。
時の経つのは早いものです。