私も履歴書 9 |「合格しました」と顔に、書いてある。
その日がやってきました。1987年2月10日の朝、関西大学。
僕らは8時過ぎに西中島の事務所に集合しました。さなさんも西やんも眼がランランとしてました。自信がみなぎっているようにも見えました。
そして西山さんのHONDA CITYに、会社から刷り上ったばかりのパンフレット2000部を詰んで関大前に持っていきました。
僕は、その夜は眠れませんでした。
ほんとうにさなさん西やんの仮説があたり、今日から一気に自動車学校から預かっている枠が売れるのか、、心配だったのでしょう。
ぼくらの運転免許合宿のブランド【MY LICENSE】は、ふたりは以前から使っていました。
そもそもの運転免許合宿にテニスやスキーのレジャーを組み合わせて訴求する、というアイデアは、そのちょうど一年前('85年秋)に、さなさんが自動車学校に教材を売る会社に持ち込んで実現し、その会社=産通の事業部としてはじめたものでした。集客は真田さん、西山さんが担当。産通が自動車学校との合宿生受け入れの折衝、という役割分担だったそうです。
しかし、僕がふたりの起業で合流した'86年11月の直前に…その教材販売会社は、取引先の自動車学校に運転免許合宿の仕入れ代金を支払わないまま経営破綻してしまってました。その額、3000万円。
すなわち、このマイライセンスは、その前の仕入れ代金未済のカルマを引き受けた西やんさなさんが、その産通から譲り受けたブランドでした。
だからこそ、今年はどうしても負けるわけにはいかないんや、という気魄もふたりから伝わってきていました。ふたりは、起業せざるを得ない状況で創めたということだったのです。
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僕らは校門前でバイトたちと合流し、まだインクの匂いのするオールカラーの【MY LICENSE】の運転免許合宿と大きな文字で書いたパンフレットを片手に握り締めていました。出てくる人を待つのです。
そして9時半ごろから、少しずつ、、続々と吸い込まれていくように、関大前の駅から、関西大学の校門に人の流れが入っていきます。
多くの受験生が不安と期待で入り混じった表情です。父兄がつき沿っている人もかなりいます。
みんな高校の制服を着ています。
口を閉じ、大学のほう一点を見つめ、ザッザッと靴が音を立て入っていきます。
10時になりました。 そう…たったいま、合格した人の受験番号が校内に貼り出されているはずです。
大学の構内から、 ワーッ という歓声が聴こえてきました。
そして
少しずつ、人が出てきました。
上を向いている人、
笑っている人、
楽しそうに、周りと話している人、
すなわち、今日、いま大学に合格した人を見極めて
「合格おめでとうございます!」と声を掛けながらパンフレットを渡すのです。
集合したバイトの子たちに、明らかに「合格した」と判る人にだけ、声を掛けながらパンフを渡してください、と自分で説明しながらも(判別できなかったどうしよう)とか、少し心配していました。
でも
まったくの杞憂でした。
こりゃ誰でも判るで、はっきりと。
間違えようがない。「合格しました」と顔に、書いてある。
「合格おめでとうございます!」
あっという間に、1時間もしないうちに、パンフレットはなくなりました。