私も履歴書 12 |リョーマは一日にして成らず。
僕は2回生になり、履修登録も終わり、ゴールデンウィークも終わった頃、、
運転免許合宿の斡旋を主業とするマイライセンスは、法人成りすることとなりました。
1987年6月1日、株式会社リョーマとして登記設立されました。 資本金100万円。
代表取締役社長 真田哲弥
代表取締役専務 西山裕之
あとは、主に経理を担当する佐々木さんと僕。みんなで4人。
銀行に借り入れを申し込みにいったら、あっさりと断られ、会社を作れば融資が受けられるはずとか、、、そういう安易ないきさつだったのか、、、は今となっては定かではありません。西やんにきけばわかるかしら。
会社名は4人で考えていたときに、真田さんと西山さんが大好きだった、司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」の主人公 坂本竜馬の名前から「リョーマってのはどうでしょう。株式会社リョーマ」と僕が提案をしたので、あっさりと決まりました。
なんか株式会社を作ったってだけで、ずいぶんと大人になったような気がしたものです。(ちなみに僕自身が同書を読み終えたのは35歳になった頃だったんですけどね。)
なんか株式会社を作ったってだけで、ずいぶんと大人になったような気がしたものです。(ちなみに僕自身が同書を読み終えたのは35歳になった頃だったんですけどね。)
名刺には出来立てのロゴマークと名前と肩書き(僕はなんもなし)住所と電話とFAX。
で裏側にはナニを入れようかと。結局、せっかくはじめて作る名刺だし、最初の100枚だけってことで何か記念に残る文字を入れよう、ということになりました。
「出来たばかりの会社だし、大きくなるには結構時間もかかるやろから、『リョーマは一日にして成らず』いうのはどうやろう。」
誰が言い出したか、ダジャレではありますが、僕らの設立時の気持ちを表わすにはピッタリの言葉でした。
自動車学校への入学ラッシュは4月にはいってパタリと止まりましたが、、僕は大学にはあまりいかず、会社にばかり通っていました。
自分の大学に行くときも、授業に受けに、というよりも、夏休みの繁忙期に向けての、マイライセンスの宣伝活動でした。僕は当たり前に学内をうろつき、体育会の部室や、各学部の掲示板などに、運転免許合宿のポスターを貼ったり、5000円割引券を配ったりしていました。
他の大学にも足繁く通い、関西学院でやっていることとおなじように、我がもの顔で大学内をうろつき、堂々といろんなところでポスターを貼り、割引券をおいて回りました。
いま考えればめちゃくちゃですが、当時はなんの問題にも感じていませんでした。なんの呵責もないわけですから、実に堂々と平然とやってのけていました。
真田さんは、会社が出来た頃には、もうほとんど運転免許合宿の事業は西山さんに任せた!みたいになっていました。
月に一度くらい東京にいっては、ほいほい、と仕事?を受注してきました。
内容としてはだいたいは関西の大学内にてポスターを貼ったり、割引券を配ったり、といった、、、僕がマイライセンスの販促で、関西の大学でやっているようなことです。
真田さんは、よく事務所で何枚かの提案書を作っていました。マイライセンスの電話が鳴っても受話器は取りません。 いつも、没頭しています。
「さなさん、今回はどこむけの企画書なんですか?」
「これは、富士銀行さん宛てのな、学生向けクレジットカードの獲得戦略や。」
「今回はな、まず阪神間の大学生2回生を10人くらい集めて、グループインタビューのアルバイトをお願いするという建付けで・・・」
僕はといえば、この真田さんの書いた企画書を見たり、その説明をきくのが大好きでした。とてつもなくワクワクしたものです。
真田さんは、ふらりと会社にきては、いつも机に座り、ルーズリーフとペンを取り出し、企画書の下書きを、いろんな本や雑誌などを見ながら、スラスラと書いていました。
前の灰皿には、小説家もびっくりするような吸殻の山が出来ていました。
できたてほやほやのリョーマは、マイライセンスの販売促進だけでなく、関西一円の大学生向けのプロモーションをさまざまな広告会社や販促会社から請ける会社として、営業活動をすすめていく、ということでした。
そもそも真田さんは、この会社を創る前から、酒造メーカーや旅行代理店、リクルートなど採用情報会社、ディスコ・レストランなどの飲食店、などから、そういった大学生向けのパイプをつかった仕事のようなことをたくさん請けていたのです。
僕はたまに関西学院に行くときは、もっぱらクレジットカードの申込書やイベント割引券やチラシ、新製品のサンプル、フリーペーパーなど持っていくことになりました。
語学の教室に入ったら、先ずクラスメイトに声をかけては、「なぁなぁ、入会金年会費無料の新しいクレジットカードClub efってのがあんねんけど、入らへん?。いま申込書かいてくれたら、1000円のテレホンカードあげられるんやけど・・・」 と勧誘していきました。
もちろん違うクラスにもズカズカ入って同じことをしていき、申込書を回収するのです。
そして、面白いように取れました。そうそう学生向けのクレジットカードはだいたい一枚申込書を回収すると5000円の売上でした。
設立間もない6月の初旬、会社に着くと、真田さんのほうが先にいました。
「かとう、関関同立の大学の学園祭実行委員会のメンバーに接触してきて。」
は?。
「今月末に、東京の幕張で大規模な名刺交換会、キャンパスバンケット’87がある。
実行委員の連中は去年のバンケットの倍の規模になる、と言っているので、関東一円から大学生が2000人集まる予定や。
そこで今年は俺らで関西のイベント系、広告系、メディア系のサークルをやっている大学生を束ねて、その会場に連れて行くから、その準備をしよう。」
さなさんは、ほんの三週間ほどで関西中のメディア系サークルや同好会(放送研究会や広告研究会、企画系サークル、映像系サークル)の代表者40名に声を掛け終え、夜行バスを大阪から京都そして名古屋まで立ち寄らせて、実際に先導しました。
そして、このように東京にまで掛けられた網は、リョーマが請ける販促の仕事づくりに繋がっていきました。
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