1990年に帝国DBに家業を調査依頼した僕が受け取った報告書抜き書き

2021年10月3日

報告書にある… 依頼日の平成2年4月19日とは、すなわち1990年である。
本来であれば、この月…4月1日に川鉄商事に(実父の差し金で)腰掛け新卒入社する予定だった僕は、計画的に留年し、関西学院大学の5年次を迎えていた。
帝国データバンクが作ってきた調査報告書の内容を、当時の(23歳の)僕がどの程度読み込めていたのか、今となっては思いだすことができない。
ただ1年以上懊悩した挙句に袖にすることを決めた家業後継の道を最後に改めて眺めてみよう、と思いたち、帝国DBに家業の経営状況の調査を依頼したのではないか、と今更にながらに思う。
僕が東京でダイヤルキューネットワークに勤めるべく、上目黒のレオパレスに引っ越したのは…この報告書に目を通した3ヶ月後の8月下旬だった。
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昨秋、75周年を迎えたマルイチグループの祖業である丸一商会は、戦後間もない1945年(昭和20年)10月に加藤源太郎によって創業と、会社保管の記録にある。 (が、この帝国DBの調査報告には翌46年1月となっていた。)
3年後の48年12月17日に丸一興産株式会社として法人成りしている。
僕がこの調査を入れた頃、本社ビルは大阪市西区新町2丁目1-15にあった。法人成りの際に取得した所縁の土地で、1997年8月まで保有していた (跡には翌年に集合住宅が建っている。)
報告書によると、調査時の社員数は 24名。帝国DBの挙げる特色として【鉄鋼2次問屋で、業況は市況悪化により低迷しているものの、内部留保は厚い。】とある。
でも、数字だけみれば凄い業績伸びてるよね。これ低迷って評価するか?!って… 今は思う。
その証左に信用=すなわち帝国DBの評点は67点!とかなり良い。
少なくとも僕が日広をやってた頃、この点ついてたら迷いなく売掛は作っていた。
実際の足元の業績はというと、↑ 報告書のとおり。 自己資本比率24.4%ともある。
86年(昭和61年) 売上64億     申告所得  4775万
87年(昭和62年) 売上 81億     申告所得  7527万
88年(昭和63年 )売上 98億    申告所得  4244万
89年(平成元年)  売上 113億   申告所得  4472万
営業種目としては
鋼材、特殊鋼材、鉄鋼二次製品の販売 80%  (条鋼が主体)
広巾帯鋼の精密加工 20%
主要仕入先および外注先(支払先)には
三菱商事(35%)、川鉄商事(15%)、住友商事(4%)、奥小路製鋼
が挙がっている。
三菱商事の国内鋼材部門は創業来の太い取引であり、2代目社長:父および3代目社長:弟の腰掛け(後に家業に戻ることを前提に預かる)先でもあった。2番目の取引先だった川鉄商事(現JFE商事)は、前述のように不肖の僕が戴いた内定をお断りした会社である。
伸鉄メーカーの奥小路製鋼とは、三菱商事の縁組で遡ること1984年に業務提携していた。この調査時点で売上の内訳20%(25億円)を占めた「広巾帯鋼」はほぼ同社の加工によるものだった。
(93年に社名をマルイチスチールセンターと改称。2003年には丸一興産と社屋を共にする運びになっている。同社は今年2021年3月に創業70周年を迎え、社名をToGEAR MSCに改めた)

調査報告書には業績の推移と最近の動向と見通しも記載されていた。

以下にそのまま転記する。

【業績の推移】  平成元年12月期は、加工および販売部門の拡販および扱品種の多角化と内需拡大策による建築需要増大もあって売上は大きく伸び、通期売上高は前期比16.9%増の113億178万円を計上出来、一方、収益面では市況安定の一方で経費増もあり経常利益は3451万円、当期利益は938万円にとどまった。
【最近の動向と見通し】  今後としては、安定した営業基盤のもとに、現状維持については支障のない見込みである。今平成2年12月期に入っても引続き建築需要の増大もあって通期売上高は前期比15%増の130億円内外を目標としている。
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この1989年(平成元年)12月期こそが、日本のバブル経済の絶頂期であった。
報告書はいま客観的にみれば、驚異的に業績が伸び続けていた丸一興産の伸長状況を、不思議なほど淡々と説明している。
このころの僕は、この調査報告書をみても、バブル経済を背景に建築需要増の様子をみても尚、取締役を務めていた学生企業リョーマの運営、東京での垣間見てた同世代の豪快な挑戦ぶり、なによりNTTの新規事業:情報料金課金代行サービス(ダイヤルQ²)を使った事業に、無我夢中だった。
そして、あの頃の大阪を覆っていた空気と、バブルに踊っていた「護送船団方式」日本株式会社の振舞いと驕りが気に入らなかったことをよくおぼえている。
■ 日本を出てシンガポールに行こうと決めたのは    https://katou.jp/?eid=29
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丸一興産株式会社は、1990年(平成2年)12月期の売上は120億円に届かなった。赤字決算だった。
現在は僕が経営するマルイチグループ https://maruichi.group/ だが、この年以降は1990年次の売上を超えることは一度も出来てない。