日広の目指す新しい広告代理店像 |NEXT WISE 2006年5月号
勝手に文字起こし=デジタル化 する自身のインタビューシリーズの第三弾は、オープンソースを活用したシステム開発企業:株式会社ワイズノットが発行していた『 NEXT WISE』2006年5月号に掲載されたものを再掲いたします。
この広報誌に出して頂いたご縁は同社取締役だった矢田峰之さんか らのお声かけから。同社と日広はお取引はなかったのですが、 矢田さんがこちらに転じる前はイーバンク銀行(現 楽天銀行)にて新規顧客開拓の担当をされており、 日広に幅広くご用命いただいていたという経緯です。 同誌のIT列伝[NO IT,NO LIFE]という連続インタビュー企画でした。
掲載誌が届き、 表紙をみて驚いたのはフォーバルの大久保秀夫さんが!。
当時の日広が入居していた青山オーバルビル(2003~その後2009迄)に同社もまたどーんと本社 を構えておられ、実は何度もエレベータの籠中で( あ… また大久保さんが乗られてる。お声かけたい…。)と思いつつも、 なかなか切り出だせなかった僕だったので 「やった…これでご挨拶に伺えるぞ!」 なんて思ったことをよく憶えています。
その後ほどなく、2007年12月にワイズノットは民事再生を申請し企業活動を止 めてたようなんですが、NIKKOもその頃… ほぼ同様のスレスレの状況に追い込まれてたので、 気づく暇もなく。
2008年の夏、 僕はNIKKOをGMOインターネットグループの傘下とし→ 役員を退任して、シンガポールに移り住みました。
翌年、
いつしか起業されていた矢田さんから連絡を貰い、 久しぶりにお会いし、結果的に2010年7月、僕は氏の営む未来予想に出資、 同社のレンタルオフィス事業: CROSSCOOPの東南アジア進出を水先案内する取締役に就く ことになったのでした。 https://katou.jp/? eid=226
十年の月日が流れ、未来予想はソーシャルワイヤーと社名変更し、 僕は取締役を退任し、東証マザーズに上場を果たし、 CROSSCOOP(シンガポール、デリー) のDirectorも辞し、持分の一部をEXITし … と僕と同社の関係性は変わってきたのですが、、、 ひとつ凄いなー、 と10年前から気づいていて文字にしていないことをせっかくの機 会なのでここに記しておきます。
2020年7月8日現在、同社常勤取締役は7名いるんですが、 うち6名がワイズノットの元 従業員ということなんです!。https://www. socialwire.net/company/ executive
昨春まで、 LEONにて連載していたコラムを当ブログに少しずつ再掲してい ます。そちらのソーシャルワイヤーの回もあわせてどうぞ。 → https://katou.jp/?eid=post- 4454
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メディアクロスオーバーの時代を牽引する(株) 日広の目指す新しい広告代理店像
加藤順彦 株式会社日広 代表取締役社長
インターネット広告の世界はダイナミズムにあふれている。
古い広告業界のしきたりに縛られることを嫌い、 そんな新しい世界に飛び込んだ株式会社日広。
その代表取締役社長である加藤順彦氏に、 インターネット広告業界の今までとこれからを聞いた。
--- インターネット広告に着眼したきっかけは何だったのですか?
インターネット広告に着眼したのは1996年ごろからです。 最初は雑誌広告の専門広告代理店として活動していましたが、 広告業界に対して鬱々とした不満や、 秩序に対する問題意識というものをずっと感じていました。
広告業界というのは、 雑誌広告に限らず非常に秩序や序列を重んじる世界です。 一部の大手の影響力が大きく、 ベンチャー企業が広告代理店として「やんちゃ」 をできる余地がありませんでした。 どんなに良いアイデアを持っていても、 どんなにすごいプレゼンテーションをしても、結局「枠」 というものを調達できないんですね。
そんな状況の中、 1995年くらいからパソコン雑誌の広告というのを扱い始めまし た。そういう雑誌を出している出版社というのは社歴も浅く、 彼ら自身がベンチャー企業でいたので、 私たちのような新興の広告代理店にも門戸を開いてくれていました 。当然そういう雑誌は早くからインターネットに注目していて、 その流れでわたしたちもインターネットに巡り合ったわけです。
--- 初めてインターネットに触れたとき、 どういう感想を抱きましたか?
直感したのが「これは膨張するメディアだ」ということです。 膨張するということは、今日の枠を買い占めることはできても、 1年後の枠を買い占めることはできないということです。 1年後どれだけのPVがあるのか、 どれだけのマーケットインパクトがあるのかといったことは、 誰にも予測できないんですね。
これは、 それまでの広告業界の常識である枠の概念が無くなるということで す。こうなるとより面白いアイデアを持っている人、 よりスピードがある人が勝てるチャンスが広がってきます。 これは私たちのようなベンチャー企業でも勝てるということですの で、その可能性に賭けようと決めました。
--- 1996年から10年経ちましたが、 これまでの10年とこれからの10年をどうお考えですか?
これまでの10年は、 インターネット人口の増大期だと思っています。 1996年の段階で、 インターネット人口の増加やその普及率が落ち着くには、 10年から15年かかると踏んでいました。その間は、 業界として大きくなり続けるということです。 この流れに乗って私たちも成長し、 落ち着いたときにはある程度のパイを確保できる立場になっていれ ばいいと考えていました。
しかしこれからの10年、 インターネット人口が爆発的に伸びるということはもうないと考え ています。これは日本のGDPやGNP、 可処分所得などにもいえることだと思います。 そのような状況で今後何が起こるのかというと、 エンドユーザーのメディア接触時間におけるシェアの奪い合いです 。
私たちは、 朝起きてから夜寝るまで2000とも3000ともいわれる広告メ ッセージを目にしてます。その受け取り方のプロセスが、 インターネット中心に変わっていくと考えています。
先ほどインターネットはメディアだといいましたが、 正確にはメディアでもあるということです。 インターネットはツールでもあり、デバイスでもあり、 インフラでもあるのです。今まで新聞やテレビで得ていた情報が、 インターネットを経由して得られるようになると考えています。 こうなってくると、 もう従来のメディアビークル別の広告費といったような比較は意味 をなさなくなってきます。たとえば、 GyaOや第2日本テレビのようなメディアは、 テレビ型のコンテンツを持ちながらインフラはインターネット、 もうこうなるとテレビかインターネットかという区別はできなくな ってきます。
--- 今後の広告代理店のあるべき姿というものを、 どう思い描いておられるのですか?
メディアクロスオーバー時代の広告代理店は、企画力、提案力、 それらを加味したメディア複合企画力のある会社が伸びていくと思 っています。
今までの広告代理店は、広告「販売」 代理店だったと私自身は思っています。 さまざまなメディアから広告枠を買った上で、 それをお客さまにうるというビジネスでした。 しかし多メディア化の時代に必要なのは、 お客様の抱える問題を解決するためにはどういうメディアバイイン グをしたらいいのか、 どういうメディアプランニングをしたらいいのかという、 購買サイドに立った提案ができる広告代理店です。広告「購買」 代理店。これが私たちの目指す、これからの広告代理店の姿です。
Ⓒ ワイズノット NEXT WISE 2006.5