私も履歴書  35|既得権益の壁、その攻略。

2026年1月11日

僕らがそれまでいた日本の雑誌広告の産業では買占めができました。どんな雑誌も裏表紙というのは1ページしかありません。電通、博報堂、すなわち既得権益層にいい雑誌のプレミアスペースは全部売約済みでした。

僕は既にそのことに気づいていたんで、逆にインターネットの広告枠ももし買占めができるんだったら、ベンチャーの日広にもう勝ち目はない、と思っていました。

電通の成田豊社長と孫正義さんの会談で、電通がYahoo! JAPANの広告枠を全部買い取る提案をしたが、インベントリが予測できないという理由で断られた—という業界の裏話も、この時期に耳にしました。

代わりに誕生したのがインターネット広告の販売元(メディアレップ)サイバー・コミュニケーションズ(CCI)。出資比率はソフトバンク49%、電通51%でした。
日広が後に1998年のYahoo! Japan第1回セールスパートナー大賞で優秀賞を受賞できたのは、この時期からの地道な営業活動の成果でした。

創業間もないYahoo! Japanのページビューは、1日数十万PV程度。理屈ではその当時は全ての広告枠を買うことができます。ところが当時の現実は急成長しすぎて、来月の今頃はどれくらいのページビューがあるかもわからない、という状況でした。

これはすごいことです。
それまでのメディアだと買占めができた。それは全体の量ってのが決まっていたからです。
ところがインターネットっていうのは膨張する、すなわち増え続けるので、すべてを買占めること自体ができない。だとすれば、電博はおそらくある程度、買い占めようとするのを待つのでは、つまりインターネット広告の市場に参入してこないのではと思ったんです。

あともう1つ大きな事実がありました。
それは黎明期のインターネット広告産業が小さすぎて、生産性の工数が合わないこと。われわれ日広のような2、3人から5,6人の小さな会社であれば、一生懸命やって成果があって生産性が上がればいいですが、たとえば電通さんは2万人従業員がいる中でがんばって売るぞとやっても、テレビ広告でひと受注で2000万円5000万というところが、ヤフージャパンのトップページの広告を売っても15万にしかないならない。

だから、ここは我々のベンチャーの独壇場になる可能性があると感じました。いや、ひょっとしたら大手広告会社は誰も取り扱わないのではないか、とも思いました。

日広が雑誌専門からネット系の広告会社へそろり転向したのは、
背景として、
「既得権者の厚く高い壁」...雑誌広告の椅子取りゲームが全部終わっているような業界だったこと。

そして売上の限界が見えている中で、自分で仕入れて売れるものを売り切って終わり、そういうビジネスとなっていたこと。

そして雑誌広告市場での新興ベンチャーの介入出来る余地も隙間も伸び代も、そして扱える広告枠も無かったからですが(雑誌広告の商いが上手く行ってて面白かったら転向しなかったでしょう)同時に、インターネットは革命的な発明であり、広告を含むあらゆるコミュニケーションが、あらゆる商売が 変化を余儀なくされる と確信したからです。

また萌芽したばかりのネット広告はまだ黎明期で市場が小さすぎ、大手の広告会社と競合になり難い一方で、かつ爆発的な市場の伸びが期待できる
ことに希望を感じていました。
(更に枠の概念や進化の速度など、あまりにマス媒体と取扱いの勝手が違うことに加え、大手が確立している「儲けの仕組み」から外れており、大手の広告会社は取り組み難いのではないか、という推論もありました)

かたやネット広告の世界は当時始まったばかり。イス取るどころか自分でイス並べているような状態だったのです。日広の原点は雑誌広告、さして深い意味もなく取り組んだ商売です。が、雑誌広告を売ってなければ、ネットの商機は見つけられなかったでしょう。

僕はインターネットに出くわして、ダイヤルキュー・ネットワークに参加すべく上京した...あの坂の上の雲を取り戻していました。

 

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※CCIの設立とYahoo! Japanとの関係については、「インターネット広告創世記」

9話「メディアレップ『CCI』『DAC』の誕生とインターネット広告市場の幕開け」で詳しく解説されています。