あのバカがビットバレーでやってみて10年

2020年6月1日

週刊ネットエイジの読者の皆さん、本号はきわめて重要な配信となります。

なぜならここから日本のインターネット界にひとつのムーブメントを起こすことになるかもしれないからです。

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と書き始められた、99年3月11日の「ビターバレー宣言!」から10年が経ちました。

この週刊ネットエイジを読んで超興奮したのを昨日のことのように思い出しています。この日以来、日本のネット系ベンチャー企業の大躍進が始まったのです。

4月22日木曜日、僕はドキドキしながら、初めてのビットな飲み会(後のビットスタイル)が開催される渋谷の東急文化村地下1階のカフェ「ドゥ・マゴ」に出向きました。

あいにくの小雨で中庭には出られない状況の中、集まったその数はゆうに100人以上いました。集まった年の頃はちょうど当時の加藤(32歳)くらいが中心だったと思います。

そしてこの場に顔を出した人の中に、後のビットバレー系・ネット系と呼ばれる中心人物の多くが集結していました。
ぼく自身、その日に交換した名刺は約50枚。

まだ小さかったネット業界だったので、そんなにも多くの関係者といちどきにお逢いすることが出来たのも初めてだったこともあり、必死になって挨拶して回ったものでした。
顔は初めて見るけれど、ネットのなかではもう何ヶ月も前から知っていた人たちがたくさん参加していたことも印象深いです。

この日以来翌2月まで、ほぼ毎月、第一木曜日に行われたビットスタイルに全回フル出場しました。

行くたびに えもいえぬ高揚感が得られたのも事実ですが、

なにより一回行くだけで、当時経営していた日広のお得意先候補と仕入先候補がスズナリになって集まっているわけでして。営業の場としては最適でした。

ネットビジネスとはユーザーがいて初めて活性化するもので、いくらお金を調達していても(しようといても)、展開しているサービスを利用するユーザー、広告主を増やさなければ、投資家にもマーケットにも評価を得られないことを説いてまわっていたのです。・・それにしても効率が良かったです。あの場は。

ビターバレー宣言から11ヶ月後の2000年2月2日夜。
加速/加熱の果てに手がつけられないくらいに膨れ上がり、最後の開催となった六本木ベルファーレでのビットスタイルには2000人(?)が集まりました。西川りゅうじんさんのレポートが当時の雰囲気をわりと残していて面白いです。

「インターネットでこのイベントを知ったんですが、ここが最先端じゃないですか、とりあえず行っとかなきゃって」(大手家電メーカーOL)・・・って、アハハハ。

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ここで当時の様子や時代背景、そしてビットバレーの息遣いまでも克明に遺している岡本呻也さんの「ネット起業! あのバカにやらせてみよう」をご紹介したいと思います。名著です。

同書の絶版に際し、ご本人がその全文をネットに公開していますので、ご興味があればビターバレー宣言からビットスタイル終了までの物語をちらりご覧ください。

この本はビットバレーの熱狂だけを描いた本ではありません。

僕たちが大阪で初めた学生企業リョーマから、その後上京して取り組んだダイヤルキューネットワーク、更に日本のネット広告の始祖鳥ハイパーネット、そしてこのほどサービス開始10年を迎えたiモードの黎明期をドコモのゲートウェイビジネス部とサイバード などを通じて、情報通信革命とベンチャーの活躍を一連の流れと捉え、活躍した人々の息吹と想い、大きな流れとその意味を描いています。(実は加藤も随所にチラチラ出演しています)

ネット起業!あのバカにやらせてみよう
ネット起業!あのバカにやらせてみよう
岡本 呻也

一つの結果として
あの頃、永遠に利益が出ないのでは?とさえ危ぶまれていたアマゾンは、今やなくてはならない世界の主要企業となりました。そして、この本は絶版になって久しいにもかかわらず、ここアマゾンで普通に手に入ります。

私たちは確実に新しい時代を生きています。

新しい時代に至った道程の遥か手前の轍には、ネットがいったいナニなのか評価が定まらず得体が知れなかった頃に(だからこそ)それに果敢に挑んだベンチャー企業がいたのです。

そう、楽天もヤフーもグーグルも、そしてアマゾンもかつてベンチャーだったのです。インターネット革命は幻ではなく、確実にそこにありました。

ベンチャーかっこ悪くなってしまった今だからこそ、あの熱かった萌芽の時代を肯定したく、一筆。