私も履歴書 36|新しい広告会社への転換。

2026年1月11日

日広は、これからの広告新時代を拓く—インターネット時代に必要とされる『新しい広告会社』を目指す道筋を、はっきりと見い出すことができていました。

この頃、経営者仲間との議論で重要な洞察を得ました。「加藤よく考えろ。今、大きく成長している企業があるのはルールのない業界だけだ」と。パソナ、光通信、ソフトバンク—めちゃくちゃ伸びてくる会社は、揃いも揃って業界ルールのない産業なのだと。

ルールがないということは、業界団体が未成熟で、勝ち組がまだ定まっていない業界。業界の歴史が新しすぎて、どうやれば大きくなれるかという定石がない産業だということに気づかされました。

翻って「雑誌広告の産業というのは、成熟した産業だった」のです。成熟産業では、どんなに頑張っても先にいる業界リーダーが業界のルールを作っているから、そのルールを変えない限りは動かない。ベンチャーを起すのなら、新しい市場を作る側、ルールメーカーになれる産業を見つけなければいけない、と。

95年まで成人誌の雑誌広告会社だった日広が、なぜ短期間で成長できたのか。
インターネットは「わけのわからないシロモノ」だったことが大きかったと思います。

世の中には白と黒があり、その間にグレーゾーンがあります。インターネットはメディアや広告業界の既得権益層から「どうもわけがわからん、それは敵か味方か、テレビやラジオを脅かすものなのではないか」と思われていました。また多くの大企業の人々は、インターネットをやることによって自分たちの商売を貶めるのではないかと疑問視していたのです。

NTTはISP事業自体を否定していました。なぜなら、電話は通信時間と距離で料金を取るというベル、エジソン以来の通信のルールが存在したから。業界団体の決めたルールを凌駕するものが現れたら困る。だから、そのルールに従わないものは非であり、無視するしかなかったわけです。

電通や博報堂などの広告業界大手に対して、サイバーエージェントや日広が伸びた理由は明確でした。彼ら業界大手がなかなか来なかったのです。

より大きなプレイヤーがイノベーションのジレンマに巻き込まれることを怖がって参入してこなかった。これが、非常に自由に成長できる産業となった最大の理由でした。

急成長の本当の理由は、僕が他と違っていたからでも、社員が優秀だったからでもありません。インターネット広告産業自体が大きく伸びたからです。追い風をつかむこと、成長の波に乗ることが、企業の成長において最も重要だったのです。ベンチャーとは産業全体が成長しているところでしか、成長できない、ということを私は再び強く感じたのです。

よく考えてみれば、インターネット以前も、ありとあらゆるベンチャーと呼ばれる会社は、新しい市場の作り手、担い手でした。すでに業界団体があるような産業が、すでにその業界の大手と呼ばれてるような会社があるところに戦ってはいけないんだということを私は知ったわけです。

日広は小さな会社でしたが、ビットバレーと呼ばれた渋谷を中心とした熱狂の渦の中で、新しいネットビジネスの新市場に参加することができました。インターネットのベンチャーをやれば、大手の競合にならず、自由に堂々と成長できる新しいネットビジネスのマーケットに乗れるんだと100、200と多くの企業が東京渋谷に現れました。

そんなネット企業の創業者たちの中で、僕は広告の商売を展開しました。彼らがネットビジネスを大きくするために「もっとユーザーを増やさなければ!宣伝をやろう!」という流れを一生懸命作っていったのです。そしてビットバレーを軸にしたネットバブルがやってきました。日広が大きくなった背景には、こういったムーブメントに乗っかったことでお客さんがすごく増えたということもありました。

なぜ大手代理店との取り合いにならなかったのか。それは回収リスクがあったからです。電通や博報堂は、帝国データバンクに載らないような新しい会社とは、回収リスクを考慮して取引をしません。

しかし日広は、その会社がやろうとしている商売の意味が分からなくても、リスクを取って「この会社は伸びる」「この会社は伸びない」を見極めることができました。旧来の広告代理店は、そもそもネット企業が何をしようとしているのかすら分からず、よく分からないのでビジネスができない状態でした。

いちばん伸びた2003年から04年頃は、年に200社以上の新規得意先との取引がありました。そしてほとんど全部がベンチャー、新しい会社でした。

この経験を通じて確信したのは、ベンチャーは産業全体が成長しているところでしか成長できないということ。すでに業界団体があるような産業、すでに大手と呼ばれる会社があるところに戦ってはいけない。

日広が目指すのは、インターネット時代の新しいルールを作る側に立つことでした。もはや既存の枠組みの中で戦うのではなく、全く新しいインターネットがもたらす価値観とビジネスモデルを広告会社として歩んでいく—その決意を固めた転換点が、この時期だったのです。

 

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※この時期のビットバレーブームとまぐクリック/メディアレップドットコムの成功については、「インターネット広告創世記」

第16話「20日連続ストップ安!米国のインターネット・バブル崩壊と楽天によるInfoseek Japan買収」で当時の市場環境と併せて詳述しています。