リバーストンの取締役に再任となりました。がんばります。
4月19日、石川清雪さんとほぼ明け方まで呑んだのですが、
昨夜は、僕の雑誌広告の仕事を1から教わったリバーストン石川さんと。4軒目位までは憶えているが気づけば朝であった。
この時間帯の麻布十番には梅さんは居ない。彼はまだ寝ているだろう。 @ 麻布十番商店街 https://t.co/L4z8BR3eYU— 加藤順彦ポール (@ykatou) 2016年4月20日
1997年11月30日付で退任しているので、18年半ぶりの復職となります。日本で広告の仕事をするのもNIKKO会長退任以来8年ぶりです。ワクワクしています。
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1992年8月、
で…実際に始めたのですけど、いろいろとたいへんでした。
そこで仕入れ先の情報から業界のしきたりまで、
彼はSYNをいつの間に卒業したあと…
同社は通販会社でスタートしましたが、
しかしながら’95年になる頃には、
僕が雑誌広告の商いに集中していた92年~95年こそ、質(予算も青天)、量(ピンキリ含)グラビア雑誌の最盛期ではなかったかと思います。Goroはもうなかったですけど。素人投稿カメラ誌も幅広く百花繚乱でした。広告も激売れました
— 加藤順彦ポール (@ykatou) 2009年10月21日
かたや唐突にWindoews95とともにインターネットが光臨し、
A.I.Qとして出来ていたお得意先や仕入れ先の筋よりも、
でも、なんだかんだ付き合いは続き、有限会社A.I.Q 改め 株式会社リバーストンの取締役は’97年の秋まで続けていたのです。
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その後…2000年にかけて、
NIKKOから退いてからも、
いまも、雑誌や雑誌広告、そして雑誌の編集者や広告マンが大好きです。たまに売りに出ている雑誌広告会社や出版社をなんとかしたくなります。
— 加藤順彦ポール (@ykatou) 2011年1月25日
石川さんとは、一年に一度は酒を酌み交わす付き合いがずっと続いていました。その度に、日本に軸足を戻すことになったら、再び、雑誌やスポーツ紙の広告をどーんと大風呂敷でやりたい、また石川さんと仕事がしたい、と思ってきました。
二年半がんばって、シンガポール永住権の更新申請終わったら、日本の雑誌広告の仕事を再開したいなぁ。
— 加藤順彦ポール (@ykatou) 2012年10月7日
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僕自身は、まだもう少し『日本を外から揺さぶり刺激を与える』 べく、シンガポール・ジョホールバルを拠点に、ウミガメ創りの活動を続けていきます。
一方で、販促広告の仕事をしたい、雑誌や新聞の広告枠のお取り扱いにもう一度向き合いたい、という気持ちが抑えきれない自分がありました。
一昨年、シンガポールで求人広告会社 SMS247をはじめたときに感じた高揚感を、今度は日本でも形にしよう!、と思っています。 先ずはよろしくお願いいたします。