私も履歴書 14 |学生企業リョーマ

2020年2月15日

リョーマは87年6月に法人成りしていきなり、現役大学生がやってる会社だったにも関わらず、けっこうお仕事が創れる、とれるようになっていました。

大前提として西山さんと真田さん両名の超絶コミュニケーション力が4割はあったと思います。
西山さんは地方の自動車学校を、真田さんは東京・大阪の広告代理店、販促会社や就職情報会社にきっちり食い込めていました。いま思い返しても、そこはやはり凄かった。
 
でもそれだけではありませんでした。
実はこれは・・・かなり後になって、すなわち自分で広告会社(NIKKO)を営むようになってしばらく経ってから、気づいたことなんですけど、、ひとつにはやはり僕ら自身が大学生であることを知ってか知らずか100%以上に活かしていたことがある、と思います。
 
当時19~20歳の僕は、大学の構内(敷地内)でマイライセンスやクライアントのポスターを貼ったり、割引券、ビラ、試供品を配ったり、合宿制の自動車学校のパンフレットを設置したりしまくっていましたが、まったくもって白昼堂々とやっていました。ほんとになんの疑念も迷いもなかった。逆にだからこそ、誰からも咎められることもなかったんだと思います。
試供品の配布なんて、堂々と酒やタバコの新製品を撒いてましたから。
関西学院大の前だけじゃありません。関西のあらゆる短大の校門とかで2トントラック横付けにして、荷降ろししてましたからね。これって良く考えなくても、不味いですよね。でも当時はそんなこと考えたこともありませんでした。嘘みたいな話しですが。
 
実際、何度か大学の職員に叱られたこともありましたが、単なるバイトだ、って言ったら直ぐに許して貰えました。未成年でしたしね。
で、ちょっと離れたところで活動再開ですw。
 
逆にそんなの普通の会社がやってたら、下手したら逮捕です。
またバブル絶頂期の87~89年当時は、とにかく若者の青田買いも凄まじかったんですが、まだ個人情報保護法もなくて、高校生や大学生の名簿はたいへんな高値で流通していました。
僕らはリクルートの関連会社や学生援護会、UPUなど専門学校や就職先の情報誌会社からけっこうな予算を戴いて、名簿のコピーをかき集める仕事もやっていました。
校門でひっ捕まえた高校生に5.000円あげれば、全校生徒の住所電話番号つきの名簿のコピーがとれる。それを50.000円で売るといった商売です。
更に平行して、同世代や下級生の中から、僕同様にちゃんと手や足が動くスタッフも集めました。いちばんの報酬は「かっこいい学生企業リョーマの名刺が持てる」ことでした。マジです (笑。
関西の各大学の、学園祭の実行委員やインターカレッジサークルやパーティサークルの代表者も主なリクルーティングの標的でした。彼らは集客力、強制力があるので、スタッフにはもってこいだったのです。
そして採れた暁には、【大学生の分際にもかかわらず、かっこいい仕事がやらせてもらえる(実際にはビラ配りや試供品配布、ポスター貼りでしたがww)のだから、お金なんてでなくて当たり前なんだっ!】 という論法(ロジック?!) ・・・交通費すら出さないケース、が大半でした。
だからコストも劇的に安かった。とにかく僕を筆頭に人件費が限りなく0に近かったですしね。
そして、そのコスト安を、販促のお仕事を用意してくれる広告代理店や販促会社に出していた見積もりに反映させていたので、相見積もりには滅法強かったわけです。しかもリョーマなら大学の構内でもやってくれるし。そら受注できるわけですよね。
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更に調子に乗って、翌88年には 「学生企業リョーマ」とか名乗り出て、関西キー局のニュース番組や新聞で取り上げられるように、自らを売り込みにいきました。
でニュース番組などに取材についてもらうときも、大学生らしいカジュアルウェアではなく、スーツに革のビジネス鞄、そしてショルダー携帯電話を肩から提げて、関西学院大学に通っていました。
僕らと同じようなスタイルで、「学生企業ではたらくビジネスマン」に憧れる大学生を見つける為です。
そう・・・かつて僕自身が真田さんに魅了され、巻き込まれたように同じように手を挙げてくれる人がいるはず、だと。