スタートアップが大好きな僕。好きが高じて取り組んだ商売

2021年10月3日

89年8月。大阪から新幹線に乗って僕が訪ねていったところは、代々木駅から程近い 川田事務所 オフィス代々木 という集合レンタルオフィスでした。

広いとはいえないその場所にはまじきられた机がひしめき合っていました。試験前の殺気立った図書館の自習室のような、、その奥に、真田さんと玉置さんが見えました。

長く顔を見てないわけじゃないのに、ギラギラした自信に満ちた真田さんの笑顔を見て、頼もしい半分でなにか…彼が遠いところの修行から戻ってきたような感じを受けたものです。

改めて見せてもらったのが、ほぼ完成していた「ダイヤル・キュー・ネットワーク事業計画書」。最初のページには「マスメディアに替わる第3のメディアをつくります」と大きく書かれていました。

(因みに、この企画書は、真田氏の著書「なぜ、ベンチャーは失敗しやすいのか? 」に全文掲載されています。ご興味あれば)

情報料金回収代行サービス=ダイヤルQ²の回線を使って、あらゆる情報を提供する総合インフォメーションセンターを開設する、という構想の書かれた企画書は、2ヶ月前に大阪で見たものよりも一段とその精度が高まっていました。

僕は、そのとき初めて、集合オフィスという場所を知りました。どんな会社も一人から。そこは、本格的に事業を開始する!、その準備のために創業者がアイデアと思いを、文字に、企画書に、ぶつける場に見えました。

電話代行と私書箱と貸し机のサービスが一体となった、その場所で過ごした最初の5ヶ月が、その後のダイヤル・キュー・ネットワークの礎になったんだなぁ、と改めて思い知ることになるまで、そう時間はかかりませんでした。

このブログをご覧いただいている方、或いは加藤を旧知の方はご存知のとおりなのですが、私 加藤順彦はスタートアップ(開業前後の始まったばかりのベンチャー)が好きです。

なんというか… その噴火する直前のマグマのような、受験前の最後の一週間のような、異常な緊張感と、際限ない妄想に囚われた、半ば狂気の創業者が大好き

とにかく…そんな人と同じ空気を吸っているだけで、もう異常に僕自身もアドレナリンが沸くんですな。耳から脳髄が出そうになる。

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だからこそ、僕は08年まで16年間経営していた広告会社NIKKOでも、ベンチャーに拘りました。仕入先もお得意先も新しい会社ばっか。広告主が広告費が全くないこともザラでした。要するに僕が気に入っちゃうと、お得意とは名ばかり、実質は広告費を末締めの出世払いで用立てしているようなものです。

終いには、出来立てほやほやのお得意先や仕入先(主に広告メディアやECなどのネットベンチャー)に、個人として融資→出資→役員として参加、のパターンも数多く。
結局98年から04年までの間に30社強のスタートアップに資本を入れたり、役員になったりしてきました。

まぁ実際には、大半の会社は結局当初のビジネスモデルが立ち上がらず、貸付も回収できずじまいも、、、、結果としては8社も上場に至ったりして、運も良かったのかツーペイ以上にはなったのですが。(これはとても危険なので、良い子は真似しないでください)

さらに広告主や広告媒体になりそうな会社=将来大きく育つ金の卵の起業家を、もっともっと効率よく見つけるにはどうすればいいのか、、、03年に自分なりに考えて見出した商売が、冒頭の代々木の川田事務所 のような、電話代行業でした。

ツーショットや出逢い系用の音声応答装置やCTIシステムをつかって、在宅のオペレータによる受電代行サービスをやろう!と思いつき、はじめたのが秘書センター株式会社です。

オペレータが自宅にいながらにして受電代行をすることで、主要コストである人件費を変動費化、家賃を最小化できると、考えたのです。

玉石混交が世の常。玉はよくても100社の一社程度。秘書センターでもやってみて、多くのエントリー(スタートアップ)の量をみないと、玉を見分け見出す、ことは出来ない、と思い立ったのです。

しかし時は流れ、加藤は己の不徳の致すところが故、
05年に秘書センター、08年にNIKKOの経営から退くことと相成ったわけであります。

もちろん両社とも社業を通じた社会貢献がしっかり出来る企業。だから素晴らしい親会社の元でいまピンピン元気にしているのをみると嬉しくなります!♪。

さて前段はここまで。
次の機会では、そんな加藤がいま一度、日本のそしてアジアのスタートアップと徹底的に関わることが出来る!と小躍りしている事業とその醍醐味、可能性についてご紹介したいと思います。