私も履歴書  30|ツーショットダイヤルと創業。

2026年1月4日

1992年夏、徳間インテリジェンスネットワークを辞めることを決めた僕には、ある誘いが舞い込んでいました。

ツーショットダイヤル業界の大手2社から声をかけられていたのです。僕は、徳間インテリジェンスネットワークを辞めることを検討しだしていた1992年3月頃から、S.Y.Nの仲間の石川清雪さんが営むレディース・コミック(成人女性向け漫画雑誌)専門の広告代理店A.I.Qの運営を手伝っていました。

そこで、ツーショットダイヤル用の広告枠の需要と供給が、広告主から出版社から双方より、とてつもなくあることを知っていました。しかも僕はA.I.Qにて、多くの広告代理店が、広告主としてのツーショット業者の連絡先を血眼になって探しているのに、みつからない状況を横目でみていたのです。

ツーショットダイヤルとは、男性はダイヤルQ²か一般電話回線(03などではじまるサービス番号。利用代金は銀行振込)の電話番号に、女性はフリーダイヤルに電話をかけて、ランダムに結線する。気に入らなければワンプッシュで別の異性につながるという、男女の会話のマッチングサービスでした。

このサービスはテレホンクラブという、電話を利用した店舗業態が発祥でしたが、ダイヤルQ²の登場と普及が契機となって、自宅の電話からも気軽に利用できるようになった事から、人気が爆発的に(社会問題になるほど)高まっていました。

ていうか、その社会問題化のお陰で、もともと私らが’89年に出資して創業したダイヤルキュー・ネットワークは生け贄となり破綻し、徳間インテリジェンスネットワークへと営業譲渡されたわけだったのですが。

多くのツーショットダイヤル事業者は、反社会的勢力や隆盛を妬む人々などの訪問を避けるために、広告を掲載している雑誌(男性向け成人誌やレディース・コミック中心)の出版社はおろか、事務所の家主、雇用している社員にまで、自らの生業(なりわい)の詳細を知る人を極端に制限していました。

彼らは、誰がその事業を営んでいるのかが分からないようにすることで、身を守っていたのです。

彼らには基本的に表の商売があって、新宿でセールスの会社をやっていたり、渋谷で飲食店を経営したりしていましたが、その裏で別の会社を作って、ひっそりとツーショットダイヤルサービスを運営していました。つまり、世を忍んでいたんですね。

ここで重要になるのが、女性用のフリーダイヤルの宣伝と、男性がかける電話番号の宣伝をどれだけ多く効率的に打てるかどうか。マッチングさえすれば1分100円で課金されるので、宣伝が全てです。ところが僕の知る大手は、表立って堂々と広告の調達ができないわけです。

そんなわけで、彼らは僕に「会社辞めるんだったら、代わりに広告買ってきて」と。

雑誌広告には正しい住所も電話番号も載せたくないし、できれば広告を掲載する雑誌発行元の出版社にも自分たちの素性を明かしたくない。だから広告を買ってくるのをやってくれないか」と。聞くと、成年誌、グラビア誌、劇画雑誌、情報誌、さらには過激な性表現がOKのレディースコミック誌などの広告枠を仕入れてほしい、とのことでした。「金はやるからとにかくやって!」。

いろいろ話を聞いていると、出版社からツーショットダイヤル用の広告枠を手配・仲介してくれれば十分だということがわかりました。であれば、広告代理の経験のほとんどない僕にもできそうだな、と。

つまり要望に沿って、お金を払って広告枠を仕入れてくればいい。それが広告取り扱いの業務なんだというのはわかりました。でエイヤー&そろり始まったのが広告代理店、有限会社日広です。

資本金は300万円。当初の広告主は2社。起業というか(そもそも志も目標もないままに)はじまってしまった第一歩でした。

もちろん……いくら優良な=金払いのいい広告主を持っていたとしても、日広が販売できる広告枠が手に入らなければ、売上げが立ちません。

だから、業種別の総量規制(一冊の雑誌に出会い系は合計何ページまで、という上限枠)があったツーショット事業者向けの広告枠を、出版社から買い取っていた広告代理店さんから「廻し」てもらうことで、日広にとってのお得意先=広告主に売ることが出来たのです。

ちょっと前からサポートしていたA.I.Qはもちろんのこと、ユニ報創、三光広告、日本廣業社、創広、毎日広告社などの雑誌広告に強い広告会社から、様々な雑誌のツーショット事業用の広告枠を廻してもらって、食い扶持を得ることになりました。

ノリと勢いでぽんとこしらえた日広でしたが、当初から単月収支が黒字でした。

どーんと広告予算の有るツーショットの大手事業者が広告主として(しかも競合の広告代理店さんは連絡が取れない……)しっかりとついていたので、出だしを滑り出すことが出来ました。

ちょうどその時期にツーショットダイヤル産業自体が大きくなっていた、というのもあったと思います。’91年頃から爆発的に市場が大きくなった当時のレディース・コミックの広告主はもっぱらツーショットダイヤルの運営会社でした。

というかツーショットダイヤルの広告主が増えまくったので、レディース・コミックの産業が大きくなった、のです。

別に広告会社を経営するノウハウなんてものは持っていませんでした。それでも、お客さんがとにかく広告出稿を必要としていたので、その広告を仕入れてくれば、とんとん拍子で仕事も増えるようになったんです。

しかし大半の出版社や、数多くの広告代理店が、’92-95年当時は創刊号の企画書(ペラ一枚)だけでも、びっしり広告を埋めていた、ツーショット業者の大手と直接接触しようとしていましたが、叶いませんでした。そんな中、私は直接のパイプラインがあった、というわけでして。

自分がそんなにたいしたことなくても、成長産業の追い風をつかむと伸びるんだ、すごいなぁと実感しました。

そして僕は、広告というビジネスの面白さに、少しずつ目覚めていくことになります。

 

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