私も履歴書  29|徳間書店グループへの流転。

 

 

ゴールデンウィークが明けて、それからも大変でした。
破綻した段階でダイヤルキューネットワークには60人ほど社員がいました。入金サイクルが長くなってしまったとはいえ売上そのものはあるし、CM事業部の日々の運営もありました。
そのためには会社ごとどこかの会社に買ってもらうしかありません
西山さん杉山さんが中心になって、再建策を練り上げ、金策、増資、株式譲渡に応じてくれそうな当時有名なベンチャー企業さんを回っていました。
マルチメディアの世界に名を馳せていたダイヤルキューネットワークという名に魅かれて興味を示す会社は少なくはありませんでしたが、経営実態を伝えたうえで、救済をお願いするのは厳しかったそうです。

そんななか、徳間書店が関心をもってくれました。それまでに一度、情報提供会社として取引していた子会社の大映を通して、出資を申し入れてきたこともあったそうでした。

西山さんと杉山さんが中心となり再建計画をつくりました。
そして社員50人を退社させ、残った10人と会社自体を引き受けてもらうという計画ができたのです。

5月末、徳間書店の社長 徳間康快さんとの面談を経て「債権については面倒をみるが、会社自体は買いとらない。」という返答が来ました。
僕らのやってきたこと、要するに情報を通信を通じて有料で売るという仕組みに関心を持って頂いたんでしょう。事業は、首の皮一枚が残ったのです。

6月、僕らは営業継続するサービスのリース(約5億円のリース残債)を徳間グループで付け替えていただくというご了解を頂き、営業譲渡という形で、3人の役員・11人の社員が、受け皿法人として新設された徳間インテリジェンスネットワークに、その事業を承継する為に移りました。

結局、CM事業部のメンバーで、新法人に移ったのは、僕と内田くんだけでした。僕は、他の部下6人には転職先すら紹介することもできませんでした。

大学卒業して就職して、そしていきなり転職、数奇なものです。
しかも僕は事業運営のための人身御供。もうドナドナ状態ですね。でも、とにかく事業を続けようと思ってました。
会社は潰れたけど、僕が運営していた事業にまだニーズがあったことは知っていました。なんかいろんな意味で悔しかったです。

突然潰れてしまいましたが、破綻以降も毎日全国から、ダイヤルQ2の電話番号にユーザーさんからかかってきてました。
その状況は、会社が潰れる前と別に変わらない、ダイヤルキューネットワークが潰れたことを、電話してきたユーザーの方は知らないんです。

営業譲渡以降も、ダイヤルQ2自体が社会問題になってた状況は続いていました。
当時は宮崎駿さんのスタジオジブリというアニメーション制作で「となりのトトロ」「紅の豚」をやっていたり、徳間書店自体も児童書とかを作っていました。
そんな中で、ダイヤルQ2という世間で問題になってる事業を子会社でやっていいのか、というのが、おいおいに議論として社内であがってきました。
結局、1年ちょっとで私が連れていった連れ子の事業は終了することになってしまいました。

そうして僕はアイデンティティーを失いました。
なんのために徳間に転籍したのか、、、そういえば俺は経営者を志していたんだ、ベンチャーを始めるために東京に出てきたんだ、ということを思い返したりしました。
もう大阪に戻ることも、フツーの就職もできなかったし、親には440万出してもらってダイヤルキューネットワークに出資してもらっていたので、その会社が潰れたことも言えずに黙っていました。ともあれ92年夏、私は会社を辞めたのです。