壮年期はベンチャー型家業承継に挑むと決めました。

 

現在の参画先への集中、新規の投資参画の停止、と家業への傾注 をこの場で書かせて貰ってから http://katou.jp/?eid=622 4ヶ月超が経ったわけですが、そのあたりの覚悟の腹が固まりました。

 

2015年5月そして2016年10月 http://katou.jp/?eid=552 にこのブログにも記したように

 

 

1967〜1985 ◆18歳までの少年期 (生まれてから高校卒業までの子どもイヤーズ)

1986〜1995 ◆28歳までの青春期 (リョーマ→Qネット→日広草創期の青春時代)

1996〜2007 ◆41歳までの青年期 (日広=NIKKOで、ネット広告に熱中イヤーズ)

2008〜2020 ◆53歳までの中年期 (シンガポールでウミガメ創りに挑戦イヤーズ)

 

と期限を決めて、はや数年・・・


(以降の生活拠点はまだ決めてはいませんが) 2020年6月からほぼ掛かりっきりで取り組むことを決めました。

ずばり!家業をベンチャー型で事業承継して、世界一を目指すイヤーズ とします。期限は2032年です。

2020〜2032 ◆65歳までの壮年期 (ベンチャー型家業承継で世界一挑戦イヤーズ)

 

すなわち僕の現役としての『アジアのウミガメ』の仕込みは2018年で打ち止めです。

(5月にもう止めると決めてから、DOUそしてレインボースマイルと、スタートアップに混ざるのが始まってますけれど。笑)

 

 

 

*******************

 

昨2017年4月、家業をしっかりと継いでくれていた実弟を事故で喪いました。これは僕にとってはたいへんな衝撃で、それ以来というものずっと眠れなくなってしまいました。

情けないですが、今も後遺症というか、睡眠導入剤がないと、床に着けません。

 

僕は大学4回生、22歳のときに、あとさきに起こることを深く考えきれないままに、代々続いていた家業を継ぐという自分の運命に抗い、当時のボスであった真田哲弥さん、西山裕之さんが東京で起こしたダイヤルキューネットワークに参加すべく、上京しました。そして同社に父親から500万円出資までしてもらいました。

 

かたや…僕がプイっと東京に出ていったことがきっかけで、京都大学工学部の学生だった弟が経済学部に転部し、家業を継ぐ覚悟をしていました。これはまったく想定外のことでした。しかも僕はその転部の事実も家業承継の決意も、その後27歳になるまで4年半も気づかなかったんです。僕にヘンな気を使わせたくなかった弟の配慮でした。

 

 

 

■ 投資家インタビュー 加藤順彦 長越

http://nagakoshi.co.jp/contents/reports/interview010_2.html

 

 

しかし…僕の所為で彼の人生を変えてしまったのではないか、という呵責があります。

 

僕に比して社交的でも営業肌でもない弟が、右肩下がりの関西で、ベタベタの鋼材商社(特約店)、形鋼の加工を継いでやっていくのはほんとうに大変だったと思うのです。

 

昨2017年5月8日、僕は喪なった弟の後任として、家業の代表取締役に就きました。

そして、それまでの70年におよぶ創業から足元までに至る轍を、月日をかけ、初めて理解把握整理しました。以来、家業を如何にして次代に繋いでいくのか、が生きていく最大の課題の一つになりました。

 

そんななかで2018年2月、岡山のウミガメに聴講いただいた方との結びつきが、、、4月に雷に打たれたが如く新事業アイデアへと繋がりました。

それから半年間かけて、自分のなかで繰り返し、アイデアを反芻しながら、覚悟を固めてきました。

 

2008年6月を最後に、16年務めた日広→NIKKO(現GMO NIKKO)のトップを降りて…10年が経ちました。2020年6月から再び専従することになると、12年ものギャップをあけることになります。

 

が、

やりきる!!!と決めた以上、65歳までは生き抜きたいです。がんばるでしかし、正味のはなし。

 

 

 

 

Posted by 加藤順彦ポール | comments(0) trackbacks(0)

交換業の商いは、インターネット勃興期のISP事業に準えられる、と

 

不肖加藤は、4年前から仮想通貨の取引所ビットバンクに取り組んでおります。

 

その僕が仮想通貨交換業の商いをどのように解釈しているか、というと、そのままインターネット勃興におけるISP(プロバイダー)事業に準えることが出来ると説明しています。

 

即ち黎明期のうちは 最も重要 且つ お金が動く事業、だと。

 
いまやISPをどこと契約するか悩む人もいないですが、1995~97年はネットビジネスといえばISPしかほぼなかったんですわ。

 


かつて僕が営んでいた広告会社 日広が成人誌からネット入門誌へと広告販売の矛先を替えた95年、ISP大手はパソコン通信の2強…ニフティとビッグローブでした。

 

そこにWin95発売の95〜96年、一気にISPスタートアップが20社ほど玉石混交で殴りこんできました。 朝日ネット、コアラ、ベッコ、リム、インターキュー…。

 
続けて電機関連各社と外資が参入してきました。 ソネット、サンネット、DTI、AOL、AT&T… 

 

結果として、ネット雑誌は、大手ふくめてISPの広告だらけ花盛りになったわけで、そこを攻めた日広は市場急拡大の追い風に乗れたんです。 日経ネットナビ、ヤフー!インターネットガイド、インターネットマガジン、あちゃら、NetFan…

 

 

21世紀になって、Yahoo!BBとOCNが来て、そういう構図はさーっと終わるんですが、

思うに、あの黎明期の切磋琢磨は、非常に重要な過程だったわけで。

 

なにが云いたかったというと、いまの仮想通貨産業における交換業の商いは、初期のインターネット産業におけるISP業の位置づけにかなり近似していますよね。うん。

 

 

*******

たまに『仮想通貨の交換業って、過渡期的なビジネスじゃないですか?』 とか、ツッコまれるわけです。

 

そうかもしれない、ですね。

そうだとしても、それはそれで仮想通貨産業にとっても、関わるプレイヤーとしても、重要な過程かと思うわけです。

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