私も履歴書 20 |ViePlanマガジン制作スタッフ揃い踏み
11月に入って、運転免許合宿事業の繁忙期(1~3月)への準備も佳境に入ってきました。
リョーマは、いつしか未処理の伝票が山盛りとなっていき、バックオフィスがそれまでは一人だった佐々木康さんに加えて、
西山さんがミナミで運営に加わっていたバー「シンク」のスタッフだった山下伸一郎くんが、昼間は大原簿記学校の学生という理由で経理・総務担当、
あの増田宗昭さんが鳴り物入りでやってたプールバーと本屋の複合店で深夜まで営業してた蔦屋書店から転職してきた鮎川のりこさんが合宿免許の庶務全般担当、として 秋口から加わってました。
もちろん11月から、同じマンション(ライオンズマンション新大阪第3)の802号室/2DKを借りることになっていたからですが、
何の事情だったか、11月末まで借りれる時期が3週間ほど延びたこともあって、僅か11平米のオフィスは超満員になってしまいました。
そんなのお構いなしに、さなさんはViePlanマガジンのスタッフ候補を毎日のように、会社に連れてきては、向かいの喫茶店で口説いていました。
例のマハラジャ倶楽部のVIPカードを発行する権限をさなさんが持っていたこともあり、学生パーティの動員力や企画力のある、リーダータイプの大学生たちとも何人も話していたとは思いますが、そのあたりはさなさんひとりでやっていたので、僕は(自分が紹介した松本浩介くん以外は)どれくらいの方々と逢っていたのかは、よくわかりません。
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そして、続々と802号室の事務所開きに向けて、ViePlanマガジンの体制が決まっていきました。
当初は僕が担当するということになっていた 関西一円から300サークルの情報をかき集めるという キャンパス・サークル・センターのメイン担当が、何度か土日の昼間のパーティ枠を、さなさんと融通しあっていた林圭介くんに替わる、ということが決まりました。
僕はやる気ではあったので少し悔しいとは思いましたが、内心ホッとしました。
ViePlanマガジンは 大学・短大の新入生向けの「サークル紹介誌」。サークル情報は雑誌の中味そのものであり、看板でした。
しかし僕自身はサークルの代表者に、ディスコの貸切パーティ枠の販売はしたことすらあれ、サークルには参加したこともなかったですし、ぶっちゃけ興味もありませんでした。だから新入生にどんなことを紹介したらいいのかすら、よくわからなかったのです。
かたや林くんはなんというか妙に世慣れたムードで、ミナミの各ディスコの黒服や学生サークルの代表者たちともけっこう顔馴染みな感じだったので、これはいい人に決まった!良かった!と思ったのです。
(当時、たしか同志社大学の学生だったのですが、、、その後92年のリョーマ終焉まで、なんだかんだで一緒にいることが多かったのですが、ただの一度も大学に行ったのをみかけた記憶がありません。)
雑誌をつくるということで、
制作は、管理の佐々木康さんとも元々お付き合いのあった岡村茂樹さんが担当することになりました。
快活でマジメな好青年で、さなさん西山さんと同世代、頼りになるアニキって感じです。ちょうどこれからフリーでやっていくというタイミングだったようでした。
編集は、さなさんがリョーマを始める前に代表として運営していたオールラウンドサークル「なにわ倶楽部」のメンバーだった寺下光彦さんと佐々木あつこさんが担当することになりました。ふたりとも洗練されてて、独自の美学や人生観があって、僕からすれば「オットナ~♪」な感じでした。
そして、僕と松本くんがやることになった広告営業には、関西大学の広告研究会絡みで学園祭の作業でもご一緒していた高橋信太郎さんと杉山全功さんが決まっていました。
杉山さんは仏様のような温和なムードと口調でたいへん親しみやすかったのですが、
かたや高橋さんはどうも威圧的でとっつきにくかったので、僕はぶっちゃけ距離を置くことにしました。
ま、二人とも僕よりは、2~3つくらい上だったこともあって、いま思えば僕はずいぶんガキだったというか、当初は実際ガキ扱いされていたような気がします。
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結局、スタッフがなんとなく集まるようになったのは(当時の記録によると)11月27日あたりになりました。
ファッションページとかしっかり企画されていたこともあり、なんか全然関係ないのも含め、女子大生もたくさん来ていましたねぇ。
もとのワンルームの11階(1108号室)のオフィスは運転免許合宿事業部:マイライセンスとなり、2DKの8階(802号室)のオフィスがマーケティング事業部 兼 ViePlanマガジン編集部となりました。
僕は12月以降は毎朝10時に11階に行ってマイライセンスの鳴る電話を、鮎川さんや佐々木さんと受けたりしつつ、ViePlanマガジンの広告枠営業にも取り組みました。(写真は完成した 本誌 関西版)
そうですねぇ、
いま思えば高橋さんには負けたくなかったかなァ、数字で。
ほどなく802号室は不夜城となっていきました。
文化祭の制作のように和気あいあいに夜中まで賑やかでした。みんな帰らない! んですわこれが。
で、僕は11階で横になって、朝は電話を受け…