大学生活はモラトリアムで万事挑戦可能
新入学の皆さん、おめでとうございます。
いいなぁ、初々しいなぁ。新しいスタート、頑張ってくださーい。
「大学生の4年間はモラトリアム。人生で唯一、何もしていなくても、何をしていても、いい期間なんや」
僕はこのコトバを、入学直後の大学のサークル新歓説明会場で、そのへんのセンパイから聞かされ、ハンマーで殴られたよな衝撃をうけました。
そのサークルにはなんの興味もありませんでしたが「モラトリアム」というコトバに無性に惹かれ、まま立ち止まって、他の学生に熱心に説明するそのセンパイの同じ話を繰り返し、立ち聞きしていました。
モラトリアム(moratorium)とは「しばらくの間やめること」を意味します。元来は金融法律用語で、戦争・恐慌等の非常時に社会的混乱を避けるため「金銭債務の支払いを一定期間猶予すること」をさします。
それを心理学者エリク・H・エリクソンという人は『大人になるために必要な猶予期間』と概念定義していました。
オトナになったら、
社会に参加しなくちゃいけない。カイシャで働かなくちゃいけない。
休日は休まなくちゃいけない。寝るべき時間に寝なきゃいけない。
納税しなきゃいけない。社会保険料納めなくちゃいけない。
立派な大人にならなきゃいけない
・・・・ことは分かっていたつもりでした。
いっぽうでコドモはコドモのうち、一切の生産性を求められません。
もう既に生きているだけで尊い 日本の、社会の、地域の、我が家の宝です。
なぜならば、これからの世界を背負って立つからです。未来の価値を創造するのは、若い人だからです。つまりコドモは社会から投資を受けるべき存在なのです。
カイシャも個人も働いて納税します。それをコドモは消費します。
公立の小学校・中学校・高校を出た僕は、それまでの学校を含め社会生活にかかる多くのコストを、親からの直接投資と、社会の先人の納税という名の投資によって賄ってもらっていました。
そして社会に出たら、
今度は新しいオトナである僕が、次代のコドモの育成に投資をするために、カイシャで働かなくちゃいけない、のです。それが生態系です。
・・・・ってことは全然分かっていなかったですな。
僕は、サークルの説明会場を後にしてからというもの、、、『何をしていてもいい』のであれば、どこまでナニをやってやろうか!と意気込んでいました。
まぁ、実際に行き着いたところはまずはパーティのパー券売りだったわけですが・・・(^_^;。
でも、もし大学に行っていなければ、今の自分はまったく別の人間、別の人生を歩んでいたのではないか、とはっきりと思います。
その後の大学5年間(一年多くてすいません)、遮二無二遊び、働き、挑戦し続けました。
いま思えば、僕はオトナになることをしばらくの間やめ、最後のコドモでいられる猶予期間を活かすことに挑んでたんですな。
有り難いことに衣食住は普通に事足りてて、特にお金を稼ぐ必要もありませんでした。
だから それからはただ楽しそうだ、遣り甲斐がありそうだと思うことだけ取り組みました。モラトリアムなわけですから、別に何の経済的価値・社会的意味もなさそうなことでもいいわけです。
結局、大学では年度末以外ほとんど勉強しません(何もしなくてもよかった)でしたが、在籍した5年間は僕の人生に二度とない、貴重な日々でした。
大学に行かせてくれた親と社会、勉強しない僕に学位を赦してくれた大学に感謝しています。
さて
そんな感謝の念に耐えない母校 関西学院大学より、不肖加藤が商学部講師を拝命し、教壇に立つことになりました。
担当させていただく講義は、関西学院OBOG経営者をメンバーとする関西学院経営者研究フォーラムによる講座、商学部専門科目「実践経営者論」です。
本新学年、早々の春学期(4/9-7/9)の毎週木曜日の4限(15:10~16:40)で開講です。
我が商学部の授業ではありますが、2回生以上の全学部の方も受講可能(250名入る大箱教室)です。単位あります。関西学院大学生のみなさま、ぜひ履修してください。
毎週、多彩な現役経営者/講師による内容は
経営の現場での経験に基づいた「経営実務」「経営者論」をめぐる講義を行い、併せて多様なキャリアの可能性について提示しつつ、商学部におけるアントレプレナーシップ(起業と事業承継)の醸成に努めることを目的として開講されます。
レポートの評価もさせてもらえるんだもんね。嬉しいな。
フンフンフ~ン。頑張っちゃいますよ。