小さい会社が勝つ方法 グレイゾーン商域こそ参入障壁
「どうすれば、直接お取引ができるようになりますか」
と出版社の課長さんに訊ねたら、
「うちは、実績主義だから・・・・来世紀中はちょっと難しいかもよ」
冷たいコトバを引きずりながら、
広告稼業とは斯くも面白くないものか、と嘆いていました。
95年3月、僕が営んでいた日広は雑誌専門、総勢4名の小さな広告会社でした。
そして雑誌広告という商売は、そんな泡沫会社には冷たいシマでした。
新しい会社だから出版社とまだ取引はない。
取引実績がないから直仕入れはできない。
廻し代理店さんを間に入れても、いいスペースは取れない。
だからナショナルクライアントは扱えない。
本誌記事内容と連動した企画広告も、観音開きや特色印刷などの斬新な表現アイデアも、実現できません。
仕入れの改善にまったく見通しが立たないのは、雑誌広告の業界ヒエラルキーが成熟しきっているからでした。
その隙に滑り込む間もない現実を突きつけられてました。
これではいくら筋の良いお得意先に恵まれても商売にはなりません。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
翌96年、日広が雑誌専門からネット系の広告会社へそろり転向したのは、
背景として、こんな雑誌広告市場の新興企業の介入出来る余地の無さ があったからですが
(雑誌広告の商いが上手く行ってて面白かったら転向しなかったでしょう)
同時に
インターネットは革命的な発明であり、広告を含むあらゆるコミュニケーションが、あらゆる商売が 変化を余儀なくされる と確信したからです。
また萌芽したばかりのネット広告はまだ黎明期で市場が小さすぎ、大手の広告会社と競合になり難い一方で、かつ爆発的な市場の伸びが期待できる ことに希望を感じていました。
(更に枠の概念や進化の速度など、あまりにマス媒体と取扱いの勝手が違うことに加え、大手が確立している「儲けの仕組み」から外れており、大手の広告会社は取り組み難いのではないか、という推論もありました)
そして、
僕にもっとも重要な勘所だったのは、当時は
まだインターネットそのもの(あるいはインターネット広告)が、
シロかクロか、はたまたグレイか、はっきりしていなかった ことも大きかったことです。
19歳からベンチャー企業の経営の現場にいたので、
その当時も自分なりに 小さい会社が利益を出すための黄金律 を持っていました。
それがコレ↑
商売自体の社会的評価がはっきり固まっていない ことでした。
(言い換えると、需要は確実にある一方で、事業を社会悪とみなす人もいる。
業界自体の歴史や規模がなく、ルール自体が未整備 という状態)
もちろん違法は駄目・論外ですよ!!(だからこそ経営者の倫理観は大切)
グレイゾーン、即ちギリギリこそ、守るものが少ないベンチャーの聖域。
何故なら参入事業の社会的評価が定まるまでは、大手企業はレピュテーション・リスクを恐れて参入してこないからです。そして逆にそれこそが大きな参入障壁になるのです。
合宿免許斡旋も大学構内プロモーションも大学新歓パーティへの協賛も、ダイヤルQ²サービスも、FAX伝言板も、成人向け雑誌の広告も、ツーショットダイヤルの広告も、そして・・・このインターネット広告も、
僕にとってはすべて同じ観点でイケていたのです。
日本ソフトバンクもテンポラリーセンターも光通信もTSUTAYAもファンケルもフルキャストもブックオフも、、名もなきカネもなきベンチャーが創業期に猛烈に伸びた理由のひとつに、これがあったと思います。
僕は実際、広告作っている頃、アイデア系のベンチャー広告主さんに大手企業の競合参入を牽制すべく、わざといかがわしそうな営業広告を制作することをお奨めしたことも多くありました。
ビットバレーのころ、加藤は”on the Edge”と黒く細長い名刺に書いてある経営者と知己に恵まれました。
その会社名を見て正直「やられた」と思ったものです。
この確信犯ぶりに彼のセンスの良さが滲んでいますね。
edgeってのは「ふち」のことで”on the edge”で「ギリギリのところで」という意味になるんです。
そして、もうひとつ「最先端の」って意味であったりもするのが、Coolなんだけど。