『インターネット広告創世記』に”語り部”として参加しました。

2024年末から、あの!web担当者forumにて、杓谷匠さんが連載されてる『インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~』の”語り部”のひとりとして参加しておりました。第8話から先週の第33話で僕が語るのは区切りとなりました。

僕自身はこの連載のナビゲーターである佐藤康夫さんとは、氏がインフォシークジャパンのサービス開始のタイミング(1996年)で名刺交換!して以来のお付き合い。2004年あたりからは10年ほど新年会をご一緒していたりなど。…で!この連載の第1話をfacebookのTLで見かけて、とっさに佐藤さんにメッセでお声掛けした経緯です。そして、その日のうちに作者の杓谷さんにご連絡したというナニで。

僕としては是非、連載を通しで全文を読んでいただきたいです。

 

 

とりあえず試しにお読みいただけるのであれば、ぜひ最初の8話9話と最後の32話と33話をどうぞ。

・第8話 来世紀中は無理!?  https://webtan.impress.co.jp/e/2024/12/26/48131
・第9話 インターネット広告市場の幕開け https://webtan.impress.co.jp/e/2025/01/09/48214
・第32話 日広のGMO傘下への顛末 https://webtan.impress.co.jp/e/2025/07/10/49582
・第33話 新時代への号砲 https://webtan.impress.co.jp/e/2025/07/17/49666
 
第8話から第33話にかけて、“加藤順彦氏”がどのように活動し、成果を上げたのかを、Perplexityにまとめてもらいました。
 
**活動のスタートと紙媒体での実績**
加藤順彦は1992年に日広を創業し、雑誌広告の販売業務からスタート。ツーショットダイヤルの最大手顧客を抱え、成年誌やコミック誌を中心に広告枠を確保・販売。開業後わずか数カ月で1カ月30ページ超、2年後には月300ページ規模に急成長しました。

 

**ネットとの邂逅と事業コンセプトの転換**
1995年、米国インターネット市場の動向を知り「マッチング産業は電話からインターネットに移る」と直感。以降は“インターネットサービスプロバイダ―”(ISP)への広告斡旋へシフトします。「もう絶対こっちや!」と感じた加藤は、ネット企業への広告販売を積極的に仕掛けていきました。

 

**インターネット広告代理ビジネスの確立と業界貢献**
日広は、ネット市場の黎明期に、バナー広告・メール広告・キーワード広告・クリック課金型広告にいち早く対応。他社に先駆けて効果測定・効果最大化を追求し、Overture、Google Adwordsの日本市場への普及にも早期から尽力しました。インターネット専業代理店のパイオニアとして、広告主―媒体社の“間”に立つビジネスモデルを確立するとともに新たな価値観を広告業界にもたらします。

 

**環境変化への対応と経営判断**
業界が急拡大する一方、「グレーゾーン金利」撤廃やライブドア事件など、外部環境の大きな逆風にも直面します。そのなかで加藤は、2008年に日広の経営権をGMOへ譲渡します。

 

**総括**
加藤順彦の成果は、日本におけるインターネット広告業の「草創期のプレイヤー」として、1.ビジネスモデルの先取り、2.運用型広告へのパラダイム転換、3.業界の透明化と成果可視化の定着、という三点に集約されます。
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Screenshot
ですってよ!奥様。ぜひお願いいたします。なお、連載はまだまだ継続中です。ぜひ34話以降も毎週、ご覧ください。ちなみにこちらの写真は、2005年頃の僕(38歳)です。