私も履歴書  36|まぐクリックと西山さん

 
99年初夏、世の中がビットバレーで浮かれまくっている頃、当時の日広の最大の得意先であったISPのインターキューの店頭公開(現ジャスダック)が確実となってきました。

同社のIPOはまさに「ビットバレーIPO第一号」でした。そして、ここんちこそダイヤルQ2を使って、インターネットのお試し利用を促した、まさにグレーゾーンを突いた会社でした。

僕はといえば、日々相変わらずインターキューの、ピンク地にキン赤文字で『一分で接続』とか書いたww大手が絶対競合したくないグレーゾーン感満載の広告をつくっていたわけです

 

 

で、いつものように熊谷さんとの週一の定例MTGに伺い、一通りの打ち合わせが終わったあたりで、唐突に

「かとちゃん、まぐまぐの広告枠を独占的に取り扱うことになったんだけど、相談にのってよ。」 と一言。

! え、それ、どういうことですか。 まぐまぐの広告枠を独占!?

 

たまげました。メールマガジン広告というのは、この時期のインターネット広告の花形でした。

メルマガスタンドとして圧倒的な存在だったまぐまぐが発行していた『ウィークリーまぐまぐ』という週刊の新刊メルマガ紹介のヘッダー(いちばん上に掲載される広告枠 およそ300万部/300万円)は3ヶ月に一度、電通系のサイバー・コミュニケーションズ(cci)と博報堂・アサツーDK系のデジタル・アドバタイジング・コンソーシアム(DAC)のメディアレップ(広告代理店向け広告枠の卸売会社)2社が向こう三ヶ月のお申し込みをまとめて受けつけ、広告主/広告代理店は枠を割り当ててもらうのを待つ…といった超人気媒体でした。

「まぐまぐさんと合弁会社をつくって、クリック保証型のメールマガジン広告の販売会社を作るんだよ。」

 

 

!! クリック保証型のメールマガジン広告。

その最大手は、前年の1998年12月からサイバーエージェントとオン・ザ・エッヂが業務提携して行っていた、クリック保証型広告付き電子メールマガジン配信事業クリックインカムが行っていたサービスでした。なるほど、メルマガスタンドとして後発でありながらも、急伸していたクリックインカムに、対抗するサービスをまぐまぐと組んではじめる、というナニだったのです。

「日広にメチャクチャ売ってもらいたいんだけど、どうしたらいいかな。営業もたくさん雇ってよ。応援するから。」

僕は、広告の商売というのは、属人的な商売で、営業マンの人数の乗数が売上と相関する、と思っていましたし、僕はその当時、よくそんな話を熊谷さんにもしていました。だから、たくさん雇え、ということだったのでしょう。

「合弁会社の社長は西山裕之さんだから。よろしくね。店頭公開したら、すぐに一発目のトピックとして発表するつもりなんだ、これ」

!!! えー!西山さんですか。・・・道理でよく逢ってる、と思ったw。

 

リョーマの創業者であり、ダイヤルキューネットワーク、徳間インテリジェンスネットワークでも上司として仰いだ西山裕之さんを、僕は、その何年か前に熊谷さんに紹介していました。しかし、ここで西山さんを登用とは。

 

 

これは楽しくなってきました。僕は、どうしたら、その新会社「まぐクリック」の売上を伸ばせるのか、をネット広告業界を俯瞰して考えました。

というのも、ネット広告会社として日広はヤフーやmsnの取り扱いでは、既にかなり成果を挙げていましたが、この99年当時はサブ・アンド・リミナル(後のセプテーニ)やオプト、トランス・コスモスなども躍進し、それこそ雨後の竹の子のように自称ネット広告会社が出現し続け、競争も激化しつつあったからです。

 

 

一方で、そのようにネット広告会社が増える中でも、cci、DACの2大メディアレップ、さらに米国からのアドネットワークサービス ダブルクリックや、クリック保証型の広告ネットワーク バリュークリック、そして先に紹介したクリックインカム、そしてサイト掲載のクリック保証広告サイバークリックを営むサイバーエージェント×オンザエッヂ・・・・と日広のような広告会社にとっては、仕入れ先であったメディア会社/メディアレップが乱立し、業界も過熱混乱気味でした。

 

 

ネット広告の売上は、営業の人数に比例して伸びている ・・・。

ネット広告業界のプレイヤーは把握出来ないくらい急速に膨張している ・・・。

ウイークリーまぐまぐのヘッダー広告枠は、日本一の人気枠 ・・・。