私も履歴書 7 |2月になったら、わーっと来るんや。なんぼでも来る。

 
11月15日の事務所開きから一週間は経ったでしょうか。

毎日、朝10時の始業の鍵を開けるのは僕の仕事でした。
受付のフリーダイヤルの留守電を解除して、一日の業務が始まります。

関西地場のローカルタウン誌だったLマガジンに縦長三分の一ページの面積の広告を載せていました。それを見た方からのお問い合わせ・資料請求を戴くのです。一年に6回掲載する約束で、一回あたり9万円、です。

もちろん、いきなり電話で成約ということにはなりません。先ずは電話のトークで資料請求へとこじつけます。それが僕の仕事でした。

ていうか、
毎朝 鍵を開けるのも、留守番電話を再生し内容をメモするのも、鳴った電話を取り、資料請求を受け付けるのも、その資料を見てお申し込みのために頂戴した電話を受け付けて予約にもっていくのも、18時に留守番電話にセットして事務所の鍵を閉めるのも、僕以外の誰かが出勤したときに三和銀行に通帳記入しに行くのも、、、僕の仕事でした。

西山さんは、自動車学校の営業のようなことをされていました。

さなさんはふらり来ては… なにやらいろいろといろいろな種類の「企画書」を書いていました。
最初の3,4日は「お名前は?、ご住所は?」とフリーダイヤルも我先に取ってたのですけど、一週間もすると全く取らなくなってしまいましたww。

どうやら…ふたりは、やがてくる2月の準備をしています。
もうすぐ「書き入れ時」 ということなのです。

20時を過ぎた頃、彼らはミナミの街に流れていきました。
僕も夜な夜なつれてって貰うのです。んで、僕はといえばもうそれだけで日々、心躍っていました。

12月になって、僕は流石に不安になってきました。僕は来る日も来る日も、資料請求依頼の電話を取っています。その資料を見たお客様から、合宿免許のお申し込みの電話を戴くこともあります。
… しかし、少ない。お申込なんて、一日1、2件=利益は2~3万円 がせいぜいです。

これでほんとに家賃や人件費払えるのかなぁ…。
僕は心配になってきました。

「あの、 西山さん」

「なんや」

「えーと」

「なんや」

 「なかなか、お申込が入らないですけど、いつかわーっと来るんですかね。」

 「来るで。」

(↑写真は1987年2月。西山さん、加藤、経理担当の佐々木康さん)

西山さんは、合宿免許の資料請求があった際に、パンフレットに同封する日程表を固めるために、自動車学校に交渉して、枠を確保する作業をしていました。

・・・とはいえ、枠って言っても、そもそも11月も12月も1月も、入校する人は数えるほどしかいませんでした。ぶっちゃけお金さえ払えば誰でもいくらでも入校できるやんか、と思いました。

「2月になったら、わーっと来るんや。なんぼでも来る。いまは自動車学校にたくさん集客を任せて貰えるように、閑散期の集客を頑張って、認めてもらう時期なんや。だから2月・3月のお申込があったときも、うまいこと言うて12月・1月の入校クロージングしてほしい。」

「もうすぐ推薦入試の結果が出だすから、2月の申し込みは来だすやろ。特に推薦決まった感じのコから電話あったら、2月中旬以降は7万は高くなるといって、1月中の入校を薦めてくれ。」

「みんな、進路が決まってから、自動車免許を取ろうと思うんや」

あっ!!そうか。おれの2月の気分と一緒だ。 

僕は、猛烈に楽しい気分になりました。