日広/NIKKO/GMO NIKKOの20周年、おめでとうございます。

 
8月4日は、中川翔子嬢のアジアツアー・シンガポール公演の当日であったのですが、シンガポールには戻らず、約10ヶ月前から決まっていた、この8月25日に20周年を迎える日広/NIKKO/GMO NIKKOの(4年前の2008年5月のGMOインターネットグループ参画以前に在籍しており、かつ既に退職しているOBOGを対象とした)記念同窓会に参加してきました。

会場には、みんな何年も前に退職した会社の集まりにもかかわらず・・・当時のグループ(モビィリード、秘書センター、ステックワイアードの)元&現職員を含め70人弱が大集合しました!。
単なる中年のおっさんと化した元社長の日程に合わせて、集まってくれるなんて奇特すぎる催しです。感激しました。
シャンパンタワーなど、生まれてはじめてやらせて頂いたり。ほんと果報者です。

アバウトではありますが、
当日参加者の8割近くが、ネット広告の業界で現役で執務していました。そして多くが管理職になってます。

僕は、日広は『新しい時代に必要とされる新しい広告会社』を目指す、と位置づけて経営していました。
つまり当時もてはやされまくっていた【ネット系】であることよりも、僕は【広告会社】であることのほうが大事だ、と思って、メンバーを募っていました。

そして途中経過ではありますが、今回のイベントに参加した方々だけでなく、1992年8月の創業以来、加藤が退任するまでの16年の間に勤務していた方々の多く(もちろん現在もGMO NIKKOで日々大活躍してるメンバーも含め)はいまも広告会社や制作会社に在籍、あるいは広告やマーケティングの担当者として社会に参画しています。

会場では一人ひとりから現況を聴くことが出来ました。このことを改めて確認できて、、胸が熱く…ワクワクしました。
冥利です。皆ありがとう。

そう僕は広告の作業/実務がだいすきでした。

いま僕は日本人の、日本企業の、アジア進出とかもっともらしいこと云ってるけど、あの頃は一広告人として一生やっていこう、と思っていたんです。

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ハッキリしていることがあります。

それは、僕がかつて中小企業経営に失敗した落伍者であるということです。

多くのメンバーに計り知れない迷惑と心労をかけたヘタレそのものなのです。

僕は己の非力・不徳・未熟が故に、辞める気など毛頭なかった同社の経営から身を引かざるを得ない状況まで、会社を窮地に追い込んでしまいました。

ほんとにごめんね。
あの頃、会社にいた皆さんには特に!この先は上手くやってほしい、と祈っています。

その酷かった状況をそのまま引き受け、日々奮闘している、今も立派に在籍されている現職メンバーに、心から敬意を示すと共に

この4年間、経営をがっしりと後ろ支えしているGMOアドパートナーズ、そしてGMOインターネットグループの皆さんに、GMO NIKKOがいま20周年を迎えられたことを、ご祝福申し上げます。

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NIKKOの役員を退任し、シンガポールに移住し、株式を手放し、この4年間は一人からに立ち戻り、遮二無二、己の信じる道を進んできました。

そして、多くの元社員の皆さんから、このブログや、Facebookやtwitterを通じて、僕の行動を確認してる、ということを聞きました。

この中年のおっさんの近年のそれが、彼らに新しい希望や可能性を示すことができているのであるならば、それをして贖うしかない、と思っています。

当日は気恥ずかしくも、盆と正月と初潮が一度にきた感じでした。

かつて日広/NIKKOにいた、そしていまGMO NIKKOに在職しているみんなこそ、日本のインタラクティブ・マーケティングの普及伸展を担ってるんだなぁと頼もしく思いました。
これからもご活躍を。またお逢いしましょう。

お互いに達者で。

追伸;
それにしても、、、みんなひとりひとりと写真撮ればよかったよ。
次回の同窓会はそうしようっと。