若いひとこそ、新聞を読んでもいいんじゃね
この春先に、社団法人日本新聞協会さんの春の新聞週間の広報企画『IT社長も読んでいる 新聞の活用法 見えないものが観えてくる。-新自聞スタイル-』のご取材を受けました。
広告主が新聞から離れているのは、皆さんご存知のとおりですが、その原因中の原因ということである(らしい?)【若者の新聞離れが激しい】なかで、日本を代表する若きIT系企業の社長がどのように新聞を読みこなし、新聞を活用しているか?を取材する事で新聞の重要性を若者に伝える、という企画ということでした。
でこないだの新聞週間(4/6-12)のあいだに、それらのインタビューが記事になって、日本の主要新聞に掲載されていたんですけど、それらのインタビューの拡大版がwebにも上がっていますね。
残念ながら、いま日本の若い人には起業家はあまり尊敬されてはいないようですが、多くの方に影響があることを期待しています。
ひとりだけ・・既に若くもIT社長でもない加藤ではありましたが、伝えたいことは記事にまとめていただいているので、ご覧いただければいいのかな、とは思います。
昔は新聞こそ社会に起こるさまざまな事件事故の速報そのものだったんですけど、いまやそうじゃありませんよね。
新聞の機能としては、インタビューにもお答えしたように、ものの見方であったり、様々な価値観の提示が、これまで以上に大事になっている、と思っています。
事実そのものは、その場にいる事件・事故の渦中にいる当事者から「いま僕はまさに燃え盛るビルの屋上ににいます」とtwitterとかにほぼ同時にアゲちゃっているわけじゃないですか。
そういう意味で、インターネットの登場と普及によって、事象そのものを発信できる機能・機会というのは、既に地球市民全員に提供された、と思うんですよ。
誰であっても、見聞きしたことや想いを表現できる時代では、逆に無限・無尽蔵に投げられている情報を、全て受け止めることは不可能となります。
いっぽうで何を選択すべきなのかとか、何が自分にとって有益なのかということを知るために、社会の総じた問題意識・見識のゼネラルな情報って、こういう時代だからこそ必要だと思うんです。
そもそも何に興味を持っていいか分からないっていう状況で、事実情報が暴力的に大量にありすぎて吸収しきれないんじゃないのかしらん。
つまり【新聞を読まない】ってことは、もうかなり早いうちから、自分がアンテナを立てる領域を決めてしまって、それ以外の情報を取らない、という選択行動なのではないか、と。
精神的にひきこもり状態となっちゃえば、結論、自分にとって心地がいい(興味がある/物事が理解できる)ジャンルに関してだけの情報をだけを受け容れればいいだけになりますからね。
だから加藤は今まで以上に新聞社のブランドで正面きって書いている増田とは違う、ブンヤの責任ある報道を、主張を、世間に声を大にして訴えてほしいです。(※ 何故か日経・朝日・読売によるくらべる:新sあらたにす というサイトがひっそりとあるのですけど、なんで本紙サイトにはださないのかしらね?)
でも、そういう意味のあること、価値のあることを日本の新聞社はネットには出さない。本紙に書いて終わっているんですよ。しかもアーカイブにもしてない。日本の新聞社がネットにあげてるのは、事実報告がほとんどじゃないですか。
僕は人々に新聞社の価値とか新聞媒体の価値を知らしめる割といい方法は、過去記事のアーカイブ化じゃないか、と思います。著作権は保有しているわけですし。
過去の記事を公開したからといって、月ぎめ契約は減らないはず。
新聞を購読いる人は、きょうの新聞を読むためにお金出しているわけで。過去の新聞って別の価値でしょう。
僕個人はジャーナリズムはやっぱ必要だ、と痛切に感じてます。
世界中の伝統的なメディア企業が広告費頼みのネット戦略に行き詰っていますけど、ぜひ生き残ってほしい!です。いろいろ難しいとは思いますが。
いま米国では新聞各社が部数の減少や広告収入低迷で、相次いで廃刊や電子版への移行に踏み切っています。早晩、日本でもこの問題はおおきく表面化するでしょう。
米上院では新聞各社の経営悪化に言及し、経営支援に向けた税制優遇策導入や非営利組織に移行しやすくする法の導入などを検討してるようです。ほんとに「救済論」ですね。土俵際な感じ。
シンクロしてアメリカ新聞協会(American Press Institute)は、有料コンテンツへ段階的に移行するための計画を発表しましたけど・・・これはこの記事にもあるように、そうとう実現は厳しいと思います。
それでも
加藤はネットだけじゃ自分が知るべき世間の常識や問題意識は入ってこないと思うんですよ。
だから「社会の木鐸」たる新聞くらいは買って読んでおくべきだと思っています。
特に若い人!、無理してでも新聞とりましょう。 ・・・救済論?