3年ぶりに深センに行ってきました。で再び香港と深セン、中国について考えたりなど。

 

去る3月26日から28日、実に2年10か月ぶりに深センに行ってきました。

 

華強北でドーパミンが出まくりました。

脳髄液が耳から漏れ出ました。

 

「中国のテスラ」BYDの本社工場にも行ってきました。 

 

行ってよかったです。

 

 

 

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僕は2010年10月21日、香港から越境路をわたって、対岸の巨大都市 深センに初めて入ったのです。

 

その折、それまでに感じたことのなかった昂奮を得ました。

そのときの衝撃は(僕のいまの語彙では)言葉が見つかりません。

 

とにかく深センという街のもつ猛烈・異様な引力磁力に惹きこまれてしまったのです。

■ 深センこそ、中国ものづくりの中心地なんよ http://katou.jp/?eid=265

 

以来、僕は2014年5月まで毎年3〜4日間、深センを訪ねるようになりました。

 

仕事としては僕が往時、超注力をしていたsatisfaction guaranteed、そして現在に続いているLENSMODEグループ界隈のものづくり・フルフィルメントを果たすための遠征ではありましたが、それよりなによりその【深センという街から得られる圧倒的なインプットの量と質】に魅了されていた、と言っていいと思います。

 

 

合わせて訪ねた香港においても、多くの刺激や情報を得ていました。

そう2010‐13年の香港は中国本土からの買い物客でごった返していました。

 

急速に豊かになった中国本土の都市生活者が、内地では購入できない、高品質の生活消耗品やイタリア・フランスの高級ブランドの製品を大量に買いに来ていました。

 

そして、そのさまを横目でみながら、僕は次第に

 

深センと香港の相互の関係、中国社会における両都市の歴史と役割、陰と陽、アメとムチ。

 

世界随一のものづくり&ITのイノベーションが在るメガロシティ深セン。

中国本土とそれ以外の地球との結節点としての香港。

 

香港に元々…1997年の返還前からの居住者と返還以降の政治と文化の猛烈な推移。

40年前は人口三万人の漁村に過ぎなかった深センに全土から集まってきた2000万の人々の光と影。

 

急速に進む香港の中国化とそれに抵抗する人々。

香港と深センそして中国の様々な複雑な関係と多くの矛盾。

 

を知るようになっていきました。

 

 

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2012年の初夏、僕は大阪に帰郷して、えらく驚きました。

 

あれだけ賑わっていたはずの心斎橋筋に、アメリカ村に… 閑古鳥が飛んでいたからです。がらん洞でした。

 

理由は、簡単で複雑でした。それまで賑わっていたミナミの街を歩いていたのは、中国本土や韓国からの訪日客が大半だったからです。

それが、尖閣竹島問題によって、ぴたりと来なくなってしまっていました。

 

僕は国際的な領土問題であることを解決することはできないけれど、同じ人間同士…人と人という関係でみれば会話はスムーズにいかなくても通じ合えるはず、という想いから、リム・カーワイ監督とミナミとソウル、そして香港を舞台に『Fly Me to Minami 恋するミナミ』 http://flyme2minami.com/ という映画を急遽、製作しました。

 

翌2013年〜14年、再び東アジアの人々にミナミに、日本に来てもらおう!というメッセージを発信したのです。

 

 

2014年の秋、

香港で、選挙制度の民主化を求めた大規模反政府デモ「雨傘運動」が起こりました。

 

結果的に、 (あたかも道を塞ぐように)

深センから香港に、中国本土から香港に、買い物客が今までよりも行き難くなりました。中国本土のマネーが、香港土着の抵抗勢力界隈の人々に回らなくなりました。

 

 

やがて、

尖閣竹島の問題が風化していき、

 

それまでえらく大層で面倒だったビザ手続きが緩和され、為替も2010年には1元12円だったのが、2014年には1元20円まで円安となったこともあってか、中国本土の富裕層は香港ではなく、日本に大挙して買い物にくるようになりました。

 

かつて2010〜11年に、僕が香港で目の当たりにしていた…上海の北京の重慶の富裕層が高品質の生活消耗品やイタリア・フランスの高級ブランドの製品を大量に買いに来ていました。ミナミに賑わいが戻ってきたのです。

 

それは間違っても『Fly Me to Minami 恋するミナミ』の影響ではありませんでしたが、

 

 

さて

2014年5月に深センに赴いた直後の8月、僕は紆余曲折の果てにsatisfaction guaranteedから退くことになりました。いい経験をたくさんしました。 http://katou.jp/?eid=452

 

一方で

リム・カーワイ監督は、2014年の秋に起きたデモ「雨傘運動」を深く追っていました。リムさんはえぐるように現地で起こっておることを伝えてくれました。 http://www.webdice.jp/dice/detail/4407/

 

 

そして僕自身は深センそして香港との間にわりと大きな距離が出来てしまったのか… 次第に足が遠のくことになったのです。

 

 

 

 

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先週、3年近く間の空いた深センに行って

とても懐かしく思うと同時に、いろいろな意味でアタマの整理が進んだ自分とも向き合うことが出来ました。

 

深センはやっぱり手が付けられないほどに、更にすさまじく進化していました。3年経って一元は16円に回復していました。

 

 

かたや深センはもう『中国のものづくりの中心』といった役割も終焉しつつあることもわかりました。僕が初めて行った…あの2010〜11年の深センでがんがん製造していた無数のファクトリーは、あらゆる意味でコスト高になった深センを既に離れていっていました。

 

深センそして香港の役割もまた現在進行形で変わり続けているのだ、と感じてます。

Posted by 加藤順彦ポール | comments(0) trackbacks(0)

『何もそこまでやんなくてもいいんじゃないかな』領域にこそ商機。

 

 

昨日のマニラの夜は、サイスコーピオンズ鈴置勝さん(在住10年)に、2年に渡って参画先YOYOがオフィスに居候させてもらっていた御礼も兼ねて、お食事にいったんですよ。

 

そしたら酒宴も中盤になって、拙著「若者よ、アジアのウミガメとなれ 講演録」をすでに読んでくれていた彼からサラリと、

 

『加藤さん、去年からamazonギフト券の買取をやっておられるじゃないですか。あれはいくらなんでも、というか、加藤さんの格がさがるんじゃないか、なと思うんですよ。何もそこまでやんなくてもいいんじゃないかなーと』

 

って、いわれたんですよねぇ♪ 。

(ちなみにハッピーマネーは、僕は手伝っていただけで株主でも役員でもないですよ。)

 

 

いや〜 嬉しいことを言ってくれるなぁと。

 

 

アシカ軍曹こと西山圭さん(チケットストリート代表取締役)にウミガメの評を書いてもらったときにもコンタクトレンズ越境ECやアマギフの買取について 『またそんなアグレッシブにいかんでも…』いった愉しいナニをいただいております。 

 

http://ashikagunso.blog.jp/archives/55565849.html 

 

 

 

僕はといえば、今年でリョーマを創めて…かれこれ30年となるわけですが、

もともとの祖業が、大学生による大学生向けの運転免許合宿の販売に始まって、

ダイヤルQ2 → 

成人誌へのツーショットダイヤル広告掲載 → 

無名なISP(インターネット接続業者)広告代理 → 

いわゆるネット系企業を広告主とした広告代理業 

と河岸を推移してきた者です。

 

 

シンガポールに移ってからも、

コンタクトレンズの越境EC をメインに、いまの参画先も

 

ビットコインの取引所

新興国むけのオンライン農協

SMS(非ネット)を使った採用支援サービス

独居高齢者向けのシェアハウス運営

巨大すぎる名刺入れメーカー

民再後に電子書籍専門となった出版社  ・・・

 

など、かなり奇手っぽい業態にばかり参加しております。もちろん、そうなるべくしてなったと思うのですけど。汗

 

 

*************

 

2014年3月〜4月にかけて、僕はビットコイン界隈の事業を専門に取り組むビットチェック(現ビットバンク)の資本を集めていたんですよね。

 

 

その際に、行く先々の投資家さんに言われたのが、

『ビットコインはいくらなんでも、というか… 何もそこまでやんなくてもいいんじゃないかなーと』  っといった、ニュアンスのご指導というか、むしろ苦言ばかりでした。

 

 

背景としての、いわゆるマウントゴックス事件が発生したのが、2014年2月。

前年4月には、世界のビットコイン取引量の70%を占めていた取引所であった同社の破綻で、うち被害を届け出た人だけでも約2万4700人。その債権の総額が約2兆6630億円にまでのぼっていました。豪快でしたねぇ…

 

まぁ、その事件の直後だったので、僕には大チャンスにしか見えなかったのですけど、そうは見えなかった方々が大多数となってしまいました。

故に設立時の資金調達はなかなかしびれるものがありましたねぇ。

 

でも、今思い返しても、ビットバンクを立ち上げるタイミングとしては、あの時しかなかった(2014年5月設立)と思うんですよね。

 

 

*************

 

ここ2〜3年の間に、amazonギフト券がベラボーに流通しているのは間違いないなかで、いまネットで調べても、アマギフ買取をやってる風味の事業者はほとんど全てが詐欺まがいばかりだったんですよね。

 

だからこそ、きちんとサイトに掲示している買取率で買いとり、迅速に現金を入金する… といったある意味で『当たり前の商い』をやれば勝てるんじゃないか、と思ってハッピーマネーをローンチしてそろそろ一年。

当初の目論見以上に多くの皆さんに繰り返し、ご利用いただいてますよ。これぞ冥利ですわな。

 

 

無論、ワザといかがわしい感じのクリエイティブにしているのは『インターQ 1分で接続』のピンク金アカときと同じ発想です。クレイジーすぎると誰も寄ってこない、という。笑     参考: http://katou.jp/?eid=424 

 

 

Posted by 加藤順彦ポール | comments(0) trackbacks(0)
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