10年越しの節目が来ました。53歳です。
2020年4月7日となりました。いま世界は新型コロナウィルスの禍のなかにあります。奇しくも本日から日本シンガポールの両国がこれまでよりも厳しい緊急事態体制に入ります。
不肖加藤順彦は 53歳を迎えました。毎年、誕生日には前後をみるわけですが、僕自身は2020年6月をこの10年絶えず意識してきたので、今年は特別な思いです。
<アルビレックス新潟シンガポール&アルビレックス新潟の大パートナー:三宝亭(Orchard St, Singapore)で一昨日撮りました。ガラガラに見えますが… Social Distancingで実は満席です。>
僕が何故このタイミングとずっと思ってきたのか。いくつかのタイミングが重なっていることがあります。
12年前の2008年6月にNIKKOを離れシンガポールに移住、その2年後にシンガポール永住権を獲得した僕は、その権利の節目となる5年の刻みを中期的な計画の座標とすることにしました。同時にこれまでの人生を取り組むテーマで捉える再定義をしたのです。
1967~1985 ◆18歳までの少年期 (生まれてから高校卒業までの子どもイヤーズ)
1986~1995 ◆28歳までの青春期 (リョーマ→Qネット→日広草創期の青春時代)
1996~2007 ◆41歳までの青年期 (日広=NIKKOで、ネット広告に熱中イヤーズ)
2008~2020 ◆53歳までの中年期 (シンガポールでウミガメ起業家創りに挑戦イヤーズ)
その後の現実では、2017年に実弟を喪ったことを契機に、僕は家業の継承と発展に残りの人生を賭すことを決め、エンジェル投資&経営参画を通じてのウミガメづくりコミットは昨2019年5月で停止し、既に次のターム
2020~2033 ◆65歳までの壮年期 (ベンチャー型家業承継で世界一挑戦イヤーズ)
に突入しています。
シンガポール永住権の前回の更新のタイミングが、この5年前のときです。(私は駄ブログを含め、SNSには家族のことを書かない主義でやってます。) あのとき13歳になった娘が今月18歳となり、6歳から通ってきたシンガポール(&ジョホールバル)のインターナショナルスクール教育を終えるタイミングです。
12年前、6歳でシンガポールに来た彼女は イートンハウス Eton House に5年通い、11歳の秋からジョホールバルにある マールボロカレッジマレーシア Marlborough College Malaysia にて4年間学びました。 当初の2年は寄宿生徒としてシンガポールには週末だけ帰る寮生活。後半の2年は私たち家族も学校の近くに引越し暮らしました。そして3年前から再びシンガポールに戻り、この3年はUWC SEA East校 に通ってきたのです。
その娘も卒業。秋からは大学生となりシンガポールを離れる予定です。お蔭さまで2月のブログエンジンの引越(Jugem→XServer)でKatou.jpドメインを娘と共用する目標が実現しました。 https://kate.katou.jp/
この先、コロナ禍とも直面していく彼女の今後の人生にご関心あらば、今後毎週日曜更新しているのでご笑覧ください。
・ 生きる証 (生きた証)を遺すため 、そして ・思いを伝える ためにこのブログを始めました。そういった意味あいは今も変わらないので、今後も都度、思いを書きのこしていこうと思います。
始めたのは誰もが情報発信ができる時代=メディアを持てる時代 https://paul.katou.jp/?eid=26 を痛感したからですが、まさにその時期がリーマンショック(2008年9月)と重なってます。 いま世の中をそれ以来となる…疫病が故に大きく行動が制限されている 新型コロナウィルスショックが襲っています。
この恐慌と恐慌の間の12年間…僕は翼が生えたかのように毎年40‐60回のフライトをこなし東南アジア各国とシンガポールと日本を飛び回り、ウミガメ育成にコミットしてきたのですが、もはや戻れない過去になったような気もしています。果たして…自転車で駅前に行くような感覚で、シンガポールからASEANの各首都にホイホイと行けていた日常は世の中に帰ってくるのでしょうか?。僕が若者に「アジアのウミガメとなれ」とアジア各地へ出向くことを勧めてきたのは、差異を知る者こそ埋めることを考えるはずだから、でした。どうもこの先の時代は、様々な地でのリアルな体験は少し難しくなりそうです。そこはVR等が補完してくれるのかなぁ…
ともあれ僕自身がこの先65歳までの壮年期をこれまでの12年と同じライフスタイル(年の半分がシンガポール、1/3が日本、残りが東南アジア)とは違う生き方を試みていくべき!ということを、お天道様に示されているように思ってます。
もともと自分を取り巻く事情=ミクロ(家族がシンガポールを離れるので、生活基盤の移管が必要)で変わることを決めていたところに、マクロ(新型コロナウィルス禍で、世界レベルで価値観・行動様式が変化する)も被さってきたわけで、大胆なチェンジを余儀なくされた、と。
さきほどシンガポールのヘアサロンNAOKIにてかっこよくカットしてきました。最近は自宅に閉じ籠ってますが、ここ1年で2度(3月12月)他家/骨髄由来の間葉系幹細胞:金太郎細胞を点滴投与してることもあり、元気ですYO!。
5月一杯までこのブログにて12年間のラップアップ的な振り返りをやりつつ、 2020後半にかけては生活様式の変更を楽しんでいきます。引き続き、よろしくお願いいたします。