2019年 10大トピックまとめ。
2019年も2週間残ってはいるのですが、早々に恒例の10大トピックを残しておこうと思います。
さすがに今年はこの先に新しいイベントはないだろう、と感じているからです。2018年のはこちら→ http://katou.jp/?eid=636
1:中年期を一年前倒しで終了。 壮年期に突入。
僕はシンガポールに来た頃から、自分の人生のステージについてけっこう考えて、何年も前から来年2020年5月末を節目とおいていました。 http://katou.jp/?eid=552
ところが、一昨年あたりから次々と自分の生き方を改めざるを得ない物事が次々と起き、遂に3月に間葉系幹細胞と出会ってしまったことで、それは決定的になりました。
そこで、シンガポール移住(2008年6月)からの自分の価値観・行動基準・優先順位を6月から設定しなおしました。ここまでの人生のフェイズ(中年期:シンガポールでウミガメ起業家創りに挑戦イヤーズ)を終え、新しいフェイズに突入することにしたのです。
・ 東南アジアで起業する若き日本人の資本と経営に参画する”エンジェル事業家”としての活動はここまでとして、新規参画は打ち止めとする。(これまで参画してきた会社へのコミットは続ける。)
・ 2017年5月から継いだ家業(大阪の株式会社マルイチスチールセンター、シンガポールに置いた持株会社ToGEAR PTE,LTD.)にて世界一を目指す。
その期間は 今年2019年の6月~2032年:65歳までの壮年期 (ベンチャー型家業承継で世界一挑戦イヤーズ) と設定しました。
でも実は一社… 辛抱たまらずに、日本人の東南アジアベンチャーへの新規参画は年末に一社だけしました。そこについては来年の早いタイミングでお知らせいたしますね。
2:講演「若者よ、アジアのウミガメとなれ」終了。
これに伴って、ここ10年ずーっと続けてきた 将来ある若者に「アジアのウミガメとなれ」と煽る講演啓蒙活動を停止することにしました。これについても、このブログでその思いを細かく書きました。http://katou.jp/?eid=645
大学の講師としてのお仕事も2009年から続いている関西学院大学商学部以外のすべての大学でのお勤めを終了とさせていただきました(関西学院は2020年以降はウミガメとは違うテーマのことを伝えます)。
長い間、楽しかったです。一生の付き合いになりそうな(往時の)大学生たちともたくさん知り合いました。
一言でいうと僕が煽るべき時期はもう終わったかな。 これからの若者はインド・アフリカを目指すべきとも思います。
3:家業でシザー事業開始
去年の10大トピックの最後でも書かせてもらいましたけど、僕は2017年5月から大阪の実家が70年営んできた金属加工と流通の会社を4代目社長として継いでいます。
僕は元々この会社を継ぐために生まれてきたようなものだったわけですが、大学生の頃にさんざん懊悩した挙句にその宿命から逃走し、東京に出ていったわけです。そのお鉢が回ってきた、と。
22の僕は逃げたのですが、51の僕は「どうしたら、どう継いだら、自分として楽しく前向きに家業が継げるか」を約一年考え、結論に至りました。それが1月から開業したシザーの事業でした。詳しくは10月に出たこちらのインタビューでお答えしています。
■「理美容シザーで世界一に」世界を奔走する事業家の新たな挑戦 http://creedo.jp/interviews/52
4:金太郎細胞と出逢い、3月8日に投与し→家業で取り組みを開始。
2月17日に菅田将暉さんのお父さんである菅生新さん主催の勉強会「サクセスファイター」でウミガメ講演をやらせてもらったんですけど、その出席者のなかに KINTAROCellsPower.co.jp の方が居られて、立ち話でピンと来て、直ぐにクアラルンプールに飛んで、他家/骨髄由来の間葉系幹細胞である金太郎細胞を静脈から投与したんです。
そしたら尿酸値が劇的に下がったり、眠りがかなり深くなったり、と僕自身の体調や血中成分に大きな変化が出たので、これは面白いと、アレクセイ・グラドコフ社長に 「株主になりたい」「シンガポールにて販売がしたい」と直談判。
7月から家業の持ち株法人と位置付けたToGEAR PTE,LTD.にてご案内を開始いたしました。「健康長寿への取り組み」を壮年期:この先12年の軸におきました。 その開始直後の心境をアジェンダノートのインタビューで語っています。 https://agenda-note.com/brands/detail/id=1344
以来半年。 当社としてのご案内はまだ20人に満たないですが(8月には母と実弟にも受けてもらいました。)どのお客様からも程度の差異はあれど、ご体調の好転や身体の変化(見た目が若返った、腎臓や肝臓の数値が正常化した、五十肩が治った、頭毛が生えてきた、血圧が下がった、健康になった)などのご報告をいただいており大きな手ごたえを感じています。
いまは2週間ごとのペースで、第二第四の土曜日にクアラルンプールに出向き、東京・大阪・アジア各国etc からお越しの皆様をお迎えしています。 お客様に喜んでいただけることがとても楽しいので、どんどん広がればいいな、と思っています。
僕自身も12月14日に2回目の投与を受けました。さらに若返り&健康になりたいです。そして来年はもっとKLにてご案内したいと思っています!。お気軽にお問合せください。
5:アルビレックスに深く関わる。
昨年12月に10年に渡り緩く関わってたアルビレックス新潟シンガポールの兄弟会社である株式会社アルビレックス新潟の取締役に就任しました。そしてアルビレックス新潟シンガポールの胸上スポンサーをLENSMODEとしてお引き受けさせて頂きました。
以来ちょうど一年!。たくさん両クラブのゲームを目の当たりにしました。正直言ってこれまでの52年分と同じ程の時間をこの一年間で観ました。わははは勉強になったわ。
日本各地そしてシンガポールでの多くのアウェイ戦も観戦しました。去年9月の初訪問から、新潟には七度通いました。ほんとにプロフェッショナルスポーツの、サッカークラブの経営/運営はわからないことだらけで、烈しく勉強になりました。わかってな過ぎて、関係各位のお力になれないことも多く、ずいぶん多くの投資をしていただいた気(そして自分自身も投資をしてきた気)もします。
今期は両クラブともに期待されている結果が出せませんでした(もちろん黒字化など成し遂げたこともたくさんあります)。来年2020年、アルビレックス新潟の取締役を続けます。そしてアルビレックス新潟シンガポールの胸上スポンサーもLENSMODEとして続けます。来年のこの10大トピックではもっと喜ばしいことをここに書かせていただくことをお約束したいと思います。
6:LEONコラム連載やりきる。
去年の12月ごろのことを思い起こせば、とにかくLEONでやってたコラム「加藤ポールの『激動の投資家人生』」 https://www.leon.jp/series/series12 の原稿に日々追われていたわけです。たいへんでした。物書きのみなさんってほんとよくやるなーと。汗
LEON堀川さんにこの連載の依頼をいただいた時期というのが、どうやら今が人生の節目ではないのか、と足元を見つめていた頃で。期せずして連載が、10年間やってきたことを振り返り棚卸することに繋がりました。ありがたいことにLEONを通じて初めて僕のことを知ってくださった方も多く、良い機会になりました。
連載はもともと24回でオファーされ、最初に全24回の主役をきめてから執筆をスタートし、24のトピックを少しずつ平行して書き足し仕上げていく、という手法を取りました。
23回で筆を折ることになったのは KAMARQのトピックについては遂に書けず仕舞いとなったからです。往時、同社グループで最も成長していた家具の日本市場でのサブスクリプション事業:sabsclifeは、コラム連載を終えた日がKAMARQからのスピンオフと資金調達が発表となる当日 https://thebridge.jp/2019/04/subsclife-jpy100m-funding となりました。今後も両社の成長を主体的に見守り、適宜チカラになっていきます。そして、いつの日か、この幻の24話をこのブログの場で書きたい、と思っています。
7:ブログのタイトル&プロフィールも変更。
このブログのタイトル「Asian視座のウミガメでいこう」を、6年ぶりに「ベンチャー型家業承継でウミガメ実践記」に変更いたしました。これからは家業承継者として、自らが海外からの凱旋帰国組としてウミガメであらん!と。これまでの11年間でシンガポールにて身に着けてきた経験や実績、ネットワークを糧に自らがウミガメ起業家として、日本で狼煙を上げ、爪痕を残したい所存です。すなわち2032年までに家業を世界一の会社に仕立てる覚悟です。KINTARO細胞を投与して劇的に顔が若返ったので、プロフィール画像も変えました。
8:帯織駅Labクラファンと出逢い、応援→達成。
9月にJR東日本がシンガポールでコワーキングを始めるということでウミガメを記念講演としてやらせてもらうことになって、予習復習したらみつけたのが、燕三条にものづくりの情報発信拠点を創るというクラファン。
なんとなく 面白そうだからアルビの試合の折に、代表の齋藤和也さんとお逢いして意気投合。家業マルイチスチールセンターとして応援することにすると共に、かなうなら関係会社の拠点もそこに移そうと決めました。
僕が応援を決めたときにはパトロンからの支援は120万円だったのですが、自分自身がいちばんクラファンに現金投入しつつ、自分のブログやソーシャルで大騒ぎし、果てにはメディアでも大きく取り上げてもらおうと知ってる記者さんに声掛けして取材してもらったことも足しになって、最終的には329万円もの支援総額に到達することができました。https://camp-fire.jp/projects/view/172423
齋藤さんは、僕がかねてから注目していた『燕三条 KOUBAの祭典』の実行委員長ということで、11月はそのお仕事でシンガポールでも合流できました。1月下旬からは30日間にわたりマルイチスチールセンターの『高即シザー買取』と『ToGEAR シザー研ぎ』の動画広告が新潟県内のJR主要駅で流れます!。そして8月の帯織駅の情報発信拠点の開業が楽しみなのです。
9:参画先4社に軍資金を貸す。
僕はこれまで60社を超えるスタートアップの資本と経営に参画を繰り返してきたのですけど、ひとつはっきりと決めていることがありまして。それは『出資はするが、貸付はしない』ということです。
出資というのは資本の一部、すなわち少数株主になる=持ち主の一人になるということです。いままで上場して、良いシナリオで売却して、出資時の何倍ものお金に替わったことは何度かありましたが、かたや塩漬けというか、出資したタイミングが最も価値があった… みたいな会社のほうがその何倍も多いのです。…とはいえ、それはあくまで株式の取得なので自己責任。お金を返してほしいとか、社長や経営陣に求めたことは一度もありません。
かたや貸付はまったく意味が異なります。つか僕は長年、参画先には運転資金は貸さない、ことにしています。何故なら、親から祖父から『貸した金はくれてやったものだと思え』と強く戒められているからです。すなわち返ってこなくてもまた『自己責任』なので追うな、ということです。それに貸してしまうと、僕と社長との人間関係が変わります。それまでは役割は違えど同じ役員として、社会、市場、メンバーに対して同じ主体性で、視座で観れていたものが、債権者・債務者という関係になった途端に、いろいろなことが利益相反してしまうからです。
2014年4月、僕は破綻寸前の状況まで追い詰められた satisfaction guaranteedに対して、2500万円の運転資金を貸し付けたことがあるのですけど、僕はその貸付日を境に同社においてはDirectorとしての役割を果たせない、ということを初めて『体験によって再確認』しました。やっぱ頭のなかがぐちゃぐちゃになっちゃったんですよね。(その3か月後、僕は2500万円を回収してから退任したわけなのですが。)
それがですね。昨年~今年は4社もギリギリまで追い詰められている(現在進行形)参画先に、運転資金を貸し付けちゃいました。文字通り、どの会社もないと死ぬ状況でした。僕も2007年の秋~冬、さんざん金策を繰り返した果て、遂にはその状況が数カ月ありましたからね。わかります。でも、今までは関係性が変わるのが嫌だから避けてきたんですよね。それがいっぺんにきちゃった。残念ではありますが、僕の身から出た錆でもある。貸してしまった以上、帰ってこないものと思うのが親の教えですが、どの先とも関係性を回復するためには、債権者債務者の相関を止めないといけない。正直、Directorという立場にいるのも居心地が悪く…嫌なんです。エンジェルを止めることにしたのもそういったことが続いた一つの潮時感と関係しています。
とはいえ、貸している各社の社長の皆さん、ちゃんと計画通りにご返済くださいね。次の資金調達ができなくなるよ。ほんとに。
10:親父の死。甥をメンバーに迎えること。
その父 加藤勝弘が12月6日5時45分、他界しました。翌々日8日に満82歳となる筈でした。晩年は16年前に起こった脳梗塞の後遺症と共に生きる不自由な日々でありましたが、事業から身を退き、母と二人で平穏に暖かく暮らしておりました。その母に看取られ、痛みもなく安らかに亡くなることとなり、僕含め家族一同、良い臨終となったと感じています。 (写真は弟と甥、シザー事業のメンバーと)
前述の通り、今年は『若者よ、アジアのウミガメとなれ』講演を止める年となったわけですが、最後にGMO NIKKOが第二拠点を置く宮崎の商工会議所から依頼があり、ご縁を感じて10月25日 https://www.miyazaki-cci.or.jp/miyazaki/news/2019/10/post-444.html に行くことにいたしました。 降って沸いた機会なので、春に専門学校を卒業し、美容師になったばかりの甥の加藤顕太郎さん(19歳)を帯同し、彼にも『ウミガメ』を観てもらうことにしました。
家業の新領域であるシザーの事業に、10月に入ったあたりから甥:顕太郎さんも加わっていること。宮崎で最後のウミガメを伝えきった僕が、その足で其れを伝えるために、翌26日に病院に見舞ったのが父と話した最後の機会となりました。40分…いつものようにただダーッと話し続ける僕の目を、父は頷きながらじっと見てくれていました。『よかったな』『がんばれよ』と声にして何度も相槌を打ってくれた父に対して、僕はシザーで世界一になるという約束をしました。その実現への歩みがなんとも楽しみで仕方ありません。
番外:田中泰延ばんざい
2013年に製作した映画『Fly Me to MINAMI~恋するミナミ~』の予告編の制作、そして2016年に世に出した書籍『若者よ、アジアのウミガメとなれ』の7000字におよぶ大巨編解説を書いてくれた、大学時代:リョーマSYNからの盟友である田中泰延さんが、6月に初の単行本『読みたいことを、書けばいい。』をダイヤモンド社より上梓されました。
同書は重版を繰り返し、今や16万部を突破!という今年を代表するベストセラーとなりました。本人の愉快なキャラクターもプチブレイクし、毎日のように全国でのトークイベントやテレビ番組、ネットでの企画もの、インタビューに頻出する昨今、まさに”時の人”状況となっています。
めでたい!!。すばらしい!!!。
僕ははるか昔から田中泰延ちんの類稀なる才能を強く感じていたので、氏に諸々と依頼してきたわけで、なんか自分が認められたようで超嬉しい。路上演奏してた頃から推しのバンドが武道館ワンマンやる感覚を初めて主観的に感じることができました。 タナカよ、ありがとう。
******************
来年はいよいよ2020年6月を迎えます。東京オリンピックも来ます (閉会式行きます。) くる年もどうぞよろしくお願いいたします。