ケインズ経済学は不況時の学問
僕が関西学院大学に在籍していた86年4月~91年3月の5年間(すいましぇん^_^;、一年留年しています)は、まさにコレまでの2千数百余年の日本の国の歴史の中で「相対的に、日本が世界でもっとも豊かだった」時期でした。
はい、いわゆる「バブル経済」期です。
戦後、驚異的に復興した日本経済の近代史は、東京湾大華火祭のように徐々に大きな仕掛けへと駆け上がっていきました。そして、まさにこの期間こそ、フィナーレへと向い上がった特大の打ち上げ花火群だったと思います。
その86年4月より超右肩上がりの土地神話、株価暴騰がはじまり、88年と89年ごろには激しい騰貴となって桁外れの消費を作り出したのです。
そして91年4月、泡の如く飛び散りました。
GDPでその期間をトレースしてみると、よく分かります。
86年11月から回復過程に入ったわが国の景気が、GDPの実質成長率が87年4.2%、88年6.2%、89年4.8%、90年5.1%という超大型の景気となっています。そして91年4月を山に下降局面に入り、91年は3.8%の成長率を達成したものの、92年1.0%、93年0.3%、94年0.6%と低迷したと記録が残っています。
更にその間の株価推移を見てみましょう。
82年10月から上昇基調にありましたが、その86年春より急上昇を開始、ブラックマンデーを軽々乗り越えて、89年末に日経平均は4年前の3倍の3万8915円に到達します。そこから反落に転じ、92年8月(加藤が独立した月です)には1万4309円という大底となりました。
さて、冒頭になぜこのことを書いたのかというと、、、、
私事ながら、
加藤はバブルの予感、時代の匂いを背に受けて、大学に滑り込みました。
当時はテンポラリーセンター(現パソナ)の南部靖之さんのような学生起業の経営者が脚光を浴びるよな時代背景にありました。そして、けっこう商学部での勉強に期待して入ったのです。
ところが現実は入学直後、、失望いたしました。
・・・本気で商売の勉強をしてやろうと意気込んで、まず履修した経済学の授業で学びましょう!とされた学問がケインズだったのです。
(06年にまぐまぐさんに受けた取材でも、同じよなこと言っていますね)
大学は商売の勉強にならない・・・勝手に世を儚んだ青二才は学生ベンチャーの道に進むことになりました。
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現代の経済学は、乱暴にざっくり2つ分けられます。
市場の不完全性を前提として、行政による総需要管理を旨とするケインズ派 と
競争的な市場経済主義を万能視する新古典派、その流れを汲む80年代以降の新自由主義 です。
前者が「大きな政府」、後者が「小さな政府」と言い換えると分かりやすいかも知れません。
で、問題のこの人、ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)はイギリスの経済学者でした。
彼が開祖となったケインズ経済学ってのは、ひとことでいうと
資源の配分を市場メカニズムに任せておくだけでは危険であり、資本主義経済を安定的なものにするには、政府が様々な政策手段を駆使する必要があるのだ!というマクロ経済学です。
ケインズは、1929年の世界大恐慌から始まる30年代スーパー不況のさなかの1936年、主著『雇用、利子、貨幣の一般理論』(『一般理論』とも呼ばれてます)を発表。
それまでの主流経済学であった新古典派を根底から覆す新しい経済理論を打ち出しました。
29年の恐慌以降、新古典派のリクツ(民間人の自由な競争に任せれば市場メカニズムが働き、自動的に均衡がもたらされるはず)が、現実にはまーったく機能せず、「大不況」の中で、いつまでたっても失業(33年頃のアメリカの失業率は25%!)がなくならなかったんですね。
そんな中でケインズは、自由市場に任せたままだと全般的に需要不足が起き、失業者が大量に出たまま経済が落ち着いちゃうよ、と言いだしたんですな。(有効需要の原理)
逆に政府が公共事業などの政策をとって財やサービスへの需要を増やしてやれば、雇用も増えて失業はなくなっていくことになるのだ!と。
ハイ、つまりケインズさんこそ、ルーズベルト大統領のニューディール政策の理論支柱となった方です。
要するにケインズ経済学ってのは、不況下に生まれ通用した学問なんですわ。道理で、最近の新聞によく載っているような事でしょ。
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いっぽう86年春。バブル経済の入口。
いまや、まさにバブル経済が百花繚乱の開花を見せんするタイミングに、加藤はそのダイナミズムに乗り遅れまいと、精一杯イキがり背伸びして経営者を目指そうとしていました。
意気込んで教科書パラリ読んで、ケインズの言わんとしていることはなんとなぁくは解りました。
でもまーったくピンとはきませんでした。
正直「ナニ言ってんだ、このおっさんは」と当時思ってました。
戦後復興期、死後も世界中で普及したケインズの思想ではありましたが、80年代以降は、新古典派の流れをくむ反ケインズ派の理論(新自由主義 路線)が再び力を持ってきました。
彼らは、政府は経済のことから手を引き、市場メカニズムに任せるべきだとして、再び「小さな政府」を主張していたのです。
そして、実際に規制緩和、民営化、財政削減といった反ケインズ的な動きが世界で進行していました。
そして、日本またそうだったといえると思います。バブル経済を象徴するイベントであったNTTの東証上場は87年2月9日。それまで大借金をつくり国家経営の限界の象徴といわれていた国鉄の分割民営化は87年4月1日です。
(加藤はこの2つの国営事業の民営化が、バブル経済の膨張にいちぢるしく寄与したことは間違いないと思ってます)
そんなイケイケの時期に『不況の処方箋』ケインズを面白いと思うわけがなかった、んです。いま、倍以上の歳になった自分が当時を振り返っても、納得してしまいます。
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そして現在。
まさに100年に一度といわれている 1929年以降最大の世界規模の大不況 がやってきたんで、ケインズ経済学が注目されています。
そりゃそうだ。前の100年に一度のときに、全面的に採用されているわけですから。グリーン・ニューディールとか呼び方までそっくりだし。(相似に関しては、このコラムがオススメです)
でも近年のケインズ理論の結論によれば、ケインズ自身と異なって『政府支出を増やすことによる景気対策の効果はあんまりない』ということになっています。
どしてかというと、政府支出の増加で増えた人々の所得は結果としてほとんどすべて貨幣のまま持たれちゃうんで、消費需要の増加として拡がっていくことはないから ってことなんですよ。(造られた景気で一時的に増えた収入では、先が見えない状況は変わらないので将来に備えて貯めちゃう、ってことでしょうか)
うふふ、、やっぱ不況時の学問だよなぁ、ケインズは。
だから今は学ぶべきかもね。
そして景気が戻ったら、またどうでもよくなっちゃうんだろな。