間葉系幹細胞の再生医療を、KLにてご案内します。

 

 

2017年5月に実弟より承継した家業の持ち株会社ToGEAR PTE.LTD.にて、この6月から先端医療の新規事業に取り組むことにいたしました。

ヒト骨髄由来の間葉系幹細胞の再生医療トリートメントを、マレーシアはクアラルンプールにてご案内する事業です。

御案内サイト→  https://kintaromsc.com/  

 

間葉系幹細胞というのは…人間の身体の組織や臓器、血液の元となる細胞のこと。

誰しもの体内に元来ある間葉系幹細胞の数は出生時が最も多く、年齢を経るごとに減っていきます。生まれたときを100%とすると、10代で10%、30代で4%、50代で2.5%、80代で0.5%と減少していくそうです。そんな老いていく身体に、20代の若く健康体のドナーから採取し培養した、約2億個の「ヒト骨髄由来の間葉系幹細胞」を採り入れるんです。

 

初めてきいたとき

ほうほう・・・ それってanti-aging(抗加齢)というよりむしろrevitalizing(若返り)じゃない!?。

高級なニンニク注射みたいなものかな。ま、面白そうだからやってみよう、と即決。

 

ということで、2019年3月、実際に僕もその最先端の再生医療である「細胞療法」を受けにシンガポールからクアラルンプールまで行ってきました。

この路線は世界で最も本数が多く…8社の航空会社から一日平均82本!もの便が飛んでおり、豊富な選択肢&実質40分程度で往来しています。

 

「これまでに多くの方々に1700回以上にトリートメントしてきた」など、だいじな説明を伺ってから、施術室に移動。

2週間程度かけて培養された…僕用の”ヒト骨髄由来の間葉系幹細胞”のアンプルを示してもらい、それを点滴袋に注入。

 

 

看護婦さんが右腕に点滴して、約45分で終わりました。全く痛くないし、むしろあっけない感じで終了。そのままゆっくり眠って翌朝、シンガポールに帰国。以降もなんの副作用も違和感もありませんでした。身体の負担ゼロです。

 

結果として、血圧と尿酸値がけっこう下がりました。そして最大の変化は以降は眠りが深くなり、ほとんど朝まで起きなくなったこと。これ大きい!と思っています。あくまで僕個人の所感なんですけど。

 

で、良いことしかない!ので…このたびToGEAR PTE.LTD.にて代理店契約を締結。

これより全世界の皆さまにご案内しながら…僕自身も定期的に細胞療法を施していきたいと思っています。  

 

この世界最先端の再生医療、間葉系幹細胞、サービスの内容がけっこう解りにくいこともあり、先月より不肖加藤によるオンライン勉強会登録に必要な個人情報はメールアドレスのみ)を月に2‐3回のペースにて、オンラインの『ウェブセミナー』ツールを使って実施しています。シンガポールから繋いで約80分ほどの勉強会ですが、僕もようやく慣れてきた感じです。勉強会では、参加者相互は匿名を保ったまま、スピーカー(僕)と質疑応答も実施してます。

 

勉強会では

・実は日本が特殊?世界で異なる間葉系幹細胞のトレンド

テレビや雑誌等でも取り上げられている間葉系幹細胞を使った先端医療とは。

・幹細胞の再生医療にもさまざまな種類がある。

・日本人が移住したい国13年連続癸吋泪譟璽轡△量ノ蓮

あたりをご説明しています。

 

このオンライン勉強会のご参加には登録が必要です。ご関心をお持ちの方には、ご案内させていただきますので、メアドykatou  @gmailまで、或いは僕と繋がっている方はfacebookのメッセンジャーまでご連絡いただければ幸いです。お問い合わせ、詳細案内にも個別にご対応いたしまーす。  【#シニアよKLのKINTAROでウミガメとなれ】 

Posted by 加藤順彦ポール | comments(0) trackbacks(0)

藤子・F・不二雄著「あのバカは荒野を目指す」を巡る40年今昔。

 

中学校1〜2年(1980年前後)の頃に、藤子不二雄さんのSF短編集を読みふけってたことを、31〜32歳(1998〜99年)になった頃になんかの拍子で思い出したのだろう。

  

 

22歳の時分に何度か、その内容について振り返ることになって… 

激しく印象に残っていた、或るSF短編マンガの「内容」のことを(当時、営んでいた広告会社)日広の採用説明会や社員研修で思い出しながら、語ることがあった。

 

 

いつだったか… のちに第一号たたき上げ取締役になったサトケンからこう言われたのだ。 

「加藤さんが中坊の頃に読んだっていう…藤子・F・不二雄さんの短編マンガ、ネットで調べてもみつからないです。どんなタイトルだったんですか。」  「え、そうなの?!」  

  

(いやぁ…でも僕はコマ割り・セリフまで割と鮮明に覚えていて、ないなんてことはないはずなんだけど)

と思いつつ、そのあとけっこうネットで調べてみたんだけど、残念ながら…そのSF短編マンガもタイトルも見つからず、僕はサトケンに答えを打ち返すことが出来なかった。そして、いつしか記憶から消えていってた。

 

 

 

********

 

1988年…大学3回生になったあたりから、それまで疑ったこともなかった実家の商いを継ぐコースにそのまま乗るのか、

設立から共に創り上げてきた学生企業リョーマや垣間見ていた東京でのベンチャーの彼方に向かうのか、

深く懊悩するようになった。 

  

  

親に期待されていることは分かっていた、自分でも納得していた。にも拘わらず、どうも家業後継がまったく面白くないような気がしてならなかった。しかし道理で考えても、情緒的にもそっちに行くべきだ。

 

で、其のSF短編マンガの「内容」を思い返すようになった。

もし未来の自分が目の前に現れて、いまの自分に「実家の商いを継ぐ方向にいきなさい」と忠告してきたとしたら、自分はどうするのか。

 

僕は13歳の頃に読んだ…あのマンガの「内容」を、セリフを思い返した。そして励まされた。

  

悩み悩んだ挙句、行手がたとえ荒野と判っていても、100回…同じ選択の機会があろうと、僕はその道=家業を継がず上京する、ダイヤル・キュー・ネットワークに参加する道を選ぼう、と決断したのだ。 

 

 

 

果たして、上京して半年…大学を卒業して僅か1か月で、その会社は破綻した。

 

自部署のメンバーは1名を除いて全員、営業譲渡先に連れていけないことが決まっていた。

ゴールデンウィークの直前、24歳で部長だった僕は歳上の6名の社員ひとりひとりに会社も仕事も御仕舞であることを半泣きで伝えた。かたや自身の受け皿会社への転籍は、僕の居ない席で決定していた。ドナドナの仔牛だ。

 
でも僕は一年以上懊悩して出した決断に従って、東京に留まる肚は括っていた。大阪のザイルはとうに切っていた。

だから実弟が家業の行く末を慮って己の人生のコースを変更するって想定外の事象が起こることもあり… のちになって幾つか反省はしたけれど、あの決断についての後悔はなかった。

 

http://nagakoshi.co.jp/contents/reports/interview010_3.html  

 

********

 

昨日(2019年6月28日)、引っ越しの作業で書類を整理してたら、99年に岡本呻也さんからの取材で僕が喋ったことについての、文字起こし正誤確認の一部がひょっこり出てきた。20年も前のメモ…懐かしい。

  

!「あのバカは荒野を目指す」 !

  

なんと岡本呻也さんは、僕がばーっと喋っていた…あの或る短編SFマンガのタイトルを調べ至っていたのだ。

そのマンガだ。急ぎググってみたら出てくる。藤子・F・不二雄先生の。取り急ぎ、購入してダウンロードしてみた。間違いない。40年前の、あのときのままだ。

 

 

コマは潤む。タイムマシンか。

 

このマンガに出てくる貴方は誰なんだ。

 

 

僕は嬉しすぎて、facebookメッセンジャーでサトケンに繋いだ。

 

 

岡本さんは、あのバカにやらせてみよう、と思った?のかな。

 

嗚呼とにかく… なにかをやってみたくなった。ひと花さかせられないものでもあるまいよ。

 

 

 

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