SodaFactoryは新体制で10年目突入。フォロー投資しました。

 

 

2011年の世界一周(1回目)の旅で知り合った井上晃利さんは、当時は大阪で飲食店を複数営む若き経営者でした。

彼は僕らが世界一周すると告知した際に『ぜひ訪ねてきてほしい』と連絡をくれた北浦健伍さんの友人で、僕らがシェムリアップに入るタイミングに合わせて、大阪から来てたのです。

 
その後、そんな井上さんと連れ立って深圳を何度か訪ねるなか、彼から出てきた事業アイディアが「水や液体を炭酸飲料に変換する炭酸製造マシン」。
世界中のあらゆる飲食店が抱えるコスト=炭酸水の廃棄に関わる問題を解決することで、外食産業と顧客との関係性を炭酸化マシンの提供を通じて、新たに構築するビジョンを持って活動したい!というものでした。日本のたいがいの飲食店においてある緑色の炭酸ボンベ(通称:ミドボン)と繋ぐだけで、お水が炭酸水になっちゃう! 液体が炭酸化しちゃう!という機器をつくりたい、と。
 
2015年9月25日、そんな夢を実現するための法人としてSoda Factory Singapore PTE.LTD.をシンガポールに設立しました。建付は井上さんがCEOで51%のマジョリティ。僕もこの法人の資本と経営に加わるべく、34%170万円を出資しました。すなわち資本金は500万円ね。シンガポールでは日本円に限らず、外貨建てでも法人設立が可能なんです。
 
と、ここまでは…これまでの40年で僕には割とよくある話しです。
その後は試行錯誤、七転八倒の日々となりました。この会社はモノの型をつくって、中国で数多く製造して、日本で販売して、壊れたら修理などの対応をして、という製造&サービス業。僕にも井上さんにもことごとく初めてのことが多かったですねぇ。かたや深圳に通うのはほんとエキサイティングでいろんな体験と発見がありました。
2019年3月にはLEONのコラムでそんな頃のメモをLEONでコラムとして総括しました。  https://www.leon.jp/lifestyle/10416  
 
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やがて創業当初から深圳で製造を取り仕切ってくれてた仲間と、僕らの間で諍いがあり、袂を分かちました。
僕自身もあのワクワクしかなかった自由だった深圳の…共産党による変貌を肌で感じてた時期でもありました。他参画先の取り組みも含め、2019年迄に深圳からは全撤収したわけです。
 
(まだ中国銀行に口座と若干の貯金は残ってますけど、はて…この先の人生で中国でまた商いの仕入れを起こすことが再びあるのかなぁ)
 
いっぽうで同2019年、https://SodaFactory.co は新しいものづくりの同志を得て、役員かつ株主を迎えるなど大きな節目を迎えたのですが、新たな筐体やバルブの開発を始めたところで新型コロナウイルス禍に突入となりました。
 
中国のロックダウンと日本のあらゆる飲食店の開店休業が2年以上も続くなかで、SodaFactoryもまた仮死状態を選ばざるを得なくなりました。固定費を削り、燃費を下げ、保守的な運営で生き延びる道を選ぶしかなくなったのです。
 
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2023年10月、シェムリアップから北浦健伍さんが大阪に帰ってきました。
(2011年以降、大阪に帰ってくるまで、僕はずっと北浦さんの挑戦には参加してきたのですけど、そのあたり今回は中略後略)
 
僕はちょうど実家(丸1グループ)の商いのなかで北浦さんにぴったりのお仕事があったのでお願いすることにしました。と当時に、元々北浦さんに紹介された井上さんと取り組んでいるSodaFactoryの経営状況についてもシェアするなかで 、内心では『あれ…もしかしたら、北浦さんこそSodaFactoryのマネジメントにぴったりなのでは』とピンときたのです。
 
井上さんらメンバーにも賛同いただき、2024年は丸一年間、北浦さんにSodaFactoryの経営運営全般をみていただいていました。運にも恵まれ、北浦さん主導のもと年末にかけて新たな事業パートナーも見つかりました。
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ということで!、2025年2月、SodaFactoryは設立以来2回目の新株発行の増資を行いました。法人設立以来9年半、僕個人としては創業来の…例によって大幅パリエーションアップの根性焼き増資引受となりました(一昨年はPlus Impactでもやりました。https://katou.jp/?eid=post-6879 )。新体制のSodaFactoryはこの増資資金をフル活用して、商品力の向上、新製品の開発、販路拡大、次の増資の準備にあたっていきます!
北浦さんにはシンガポール法人、そして日本法人のCEOに就いてもらいました。僕も井上さんもその辣腕に期待しています。宜しくお願いします。