私も履歴書 18 |梅田のBIGMAN

2024年5月1日

さなさんが夏に入ったあたりから東京に頻繁に行くようになったこともあって、

9月くらいからは、リョーマとしてバルクで仕入れて手配を仲介していたディスコパーティの斡旋まわりの作業や、パーティ・学園祭当日のサンプリングの実務、協賛品の移送は僕が担当するようになっていました。

各ディスコの支配人やパーティサークルの幹部たちとの打ち合わせも、僕にお鉢が回ってきてました。

さなさんは、自分の名代として事務所を出て行く僕に声をかけては
「今日も名刺を配りまくってこい。面白い学生を見つけたら連絡先をききだすんやで。」 と日々ゲキ飛ばしてました。

・・・この頃の手帳をみると、ほぼ毎夕毎晩、キタかミナミのディスコに出て行ってはサークル代表者と打ち合わせ(?)している記録が残っています。

並行して、僕は

NHK大阪の土曜倶楽部にてレギュラー出演してたり、

パーティツアーのスタッフとして沖縄や三朝温泉に添乗してたり、

吉本が始めたデッセジェニーで開催した京阪神バンケットの実行委員をやってたり、

西武百貨店つかしんが企画していた総合学園祭=ワヤクチャ学生王国の準備をしたり、、、しつつ

リョーマの名刺を配りながら、運転免許合宿の宣伝をしながら、僕もさなさんと同じように、12月から借り増した新しいオフィスで、春のViePlanマガジンの発行に向けて、一緒にやってくれるメンバーをみつけなければならないミッションを与えられていたのです。

しかし
当時の心中は、実は穏やかではありませんでした。

さなさんから、新しく増えるというメンバーの情報を聞かされるたびに、、、

(なんかスペックだけできくと、先輩だし、とても優秀っぽい雰囲気だなぁ。
有名なサークルの代表だったみたいだし・・・。あっという間に抜かれてしまうんじゃないだろうか。)

とか、、
コドモらしく、自分の立ち居地の保全みたいなことを考えていたのです。
故にけっこう優秀っぽい人と知り合っても、自分の中で難癖をつけては、「まぁ、あの人はリョーマには向いてないわ」などと思い直し、お誘いしなかったりという体たらくでした。

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10月7日火曜日16時。

僕は梅田の紀伊国屋書店の前の待ち合わせ場所、BIGMANに立っていました。
この日もいつものように、DD.HOUSEのキタマハで、これからパーティを主催するつもりの学生団体の代表者と待ち合わせをしていたのです。

そして、そこの場ではいつも、僕らだけではない・・・多くの若者が待ち合わせをしていました。

目の前を様々な人々が往来していくなかで、

パーティサークル的な男子2名が女子大生を数名集め、パー券を手売りしている光景が繰り広げられてる・・・ 人々のなかに、どうも・・・いや間違いなく、見覚えのある人が網膜に飛び込んできました。

!!!!

「まつもと 、、、、松本浩介では!」

僕は思わず大きな声で、その見覚えのある顔に声を掛けてしまいました。

彼が僕のことを覚えていたのか、それは今、思い返してもよくわかりません。

でも、僕はすぐにわかりました。
BIGMANの前に立っていた、彼こそはパックマンの名人、松本浩介そのひとでした。

あの同じ水曜日の7時の、小学校5年の類塾でAクラスだった松本くんです。
(かたや僕はBクラスだったので、教室は違った・・・)

類塾の前の文房具屋の(1台しかなかった)パックマンが上手すぎて、7時になってもぜんぜんゲームが終わらなくて(囲んで観ていた皆が時間だから、と教室に入っても)構わずにパックマンを延々続けていた松本くんです。

忘れもしません。
何故なら、僕だけはゲーム機の前に残って、彼の秀逸なパックマンの腕前を、類塾の授業が始まっても毎週横に立って観ていたからです。

 

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