ステックワイアード、移転しました。

 

制作会社ステックワイアードが、この7月1日、渋谷2丁目にオフィスを移転しました。
7年ぶりの引越しとなります。
感慨深いです。
僕は2004年7月から2年間、この会社の社長を務めました。
その、日広の子会社でなくなったタイミングで、これまでの場所に移っており、7年が経ったということになります。
僕は04年6月に、日広にて同社の全株を取得して以降、子会社としてそして独立した一法人として、ステックワイアードを末永く運営していくつもりでした。
しかし、その後の06年1月のライブドアショック直後の業績の急降下も相俟って、その同社の経営方針において、当時の日広の役員会メンバーと足並みを揃える事ができませんでした。
結果として、同社の独立経営にこだわった僕が、その維持を図るために、、加藤自身が現在の経営陣(岸浪・五十畑・諸井)による日広からのMBOを推進した格好となりました。
が、3人ともMBOのための軍資金はあんまりなく、、、純資産にて決めた日広からの売却額については、加藤個人にて3名の手持ち資金との差額を資金を用立てすることになりました。
その際、僕はもし己が岸浪正典さん自身だとしたら、資金を用立てする加藤との関係は、どうなるのが最も心地いいかを考えました。
その結果、
岸浪さん自身が66.7%以上のシェアをもつ体制(現体制)を実現することを優先して、岸浪さんに手持ちMBO資金との差額を、ほぼ無利子(実質年率1%ちょい)の5年分割払いでお貸ししたのです。
画を描いた僕自身もその責任もあったので持分にして20%を、日広から取得することにしました。
同時に代表取締役から監査役へと転じました。
残りの株は五十畑さん諸井さんに貯金から買ってもらいました。
そんな岸浪さんへの融資も一昨年、予定通り完済していただきました。よくぞ立派にやりきった!と思っています。
そんなステックワイアードも、今年2月で13周年を迎えました。
山師な加藤からすると、同社のこれまでの歩みは愚直すぎる、堅実すぎるなぁ、とか思うこともあります。
もっと貪欲になってほしいな、とか、もっと積極的に新しいことに挑戦してほしいな、とか思うことも、しばしばです。
いっぽうで、いまの同社のクライアントの半数以上、売上の70%が、5年以上のお取引先からのものです。
代表取締役を降りて以降も、7年間、月に一回参加している役員会での報告を聞く度に、お得意先からたいへんな信頼を頂戴しているなぁと感心することしきりです。
浮利を追わず、家族的な経営、身の丈経営を旨としていた日広のひとつの理想型が、この会社にてしっかりと確立され、いまもすくすくと育っているなぁとも思います。
そもそも企業に、総じて適正な成長スピードなど、ありません。
一つひとつの企業がそれぞれ「らしい」成長を志せばいいのだ、ということに気づかされます。
役職員の皆さん、移転おめでとうございます。これからもしっかり成果を世に問うていきましょう。
そしてお得意先・協力会社の皆さま、今後とも何卒よろしくお願いします。