2026年1月11日
99年初夏、世の中がビットバレーで浮かれまくっている頃、当時の日広の最大の得意先であったインスタントISPであるインターキューの店頭公開が確実となってきました。同社のIPOはまさに「ビットバレー第1号」でした。
そして、ここんちこそダイヤルQ²を使って、インターネットのお試し利用を促した、まさにグレーゾーンを突いた会社でした。
僕はといえば、日々相変わらずインターキューの、ピンク地にキン赤文字で『一分で接続』とか書いた大手が絶対競合したくないグレーゾーン感満載の広告をつくっていたわけです。
で、いつものように熊谷さんとの週一の定例MTGに伺い、一通りの打ち合わせが終わったあたりで、
唐突に「かとちゃん、まぐまぐの広告枠を独占的に取り扱うことになったんだけど、相談にのってよ。」 と一言。
! え、それ、どういうことですか。
まぐまぐの広告枠を独占!?たまげました。
メールマガジン広告というのは、この時期のインターネット広告の花形でした。
メルマガスタンドとして圧倒的な存在だったまぐまぐが発行していた『ウィークリーまぐまぐ』という週刊の新刊メルマガ紹介のヘッダー(いちばん上に掲載される広告枠 およそ300万部/300万円)は3ヶ月に一度、電通系のサイバー・コミュニケーションズ(cci)と博報堂・アサツーDK系のデジタル・アドバタイジング・コンソーシアム(DAC)のメディアレップ(広告代理店向け広告枠の卸売会社)2社が向こう三ヶ月のお申し込みをまとめて受けつけ、広告主/広告代理店は枠を割り当ててもらうのを待つ…といった超人気媒体でした。
「まぐまぐさんと合弁会社をつくって、クリック保証型のメールマガジン広告の販売会社を作るんだよ。」
!! クリック保証型のメールマガジン広告。その最大手は、前年の1998年12月からサイバーエージェントとオン・ザ・エッヂが業務提携して行っていた、クリック保証型広告付き電子メールマガジン配信事業クリックインカムが行っていたサービスでした。
なるほど、メルマガスタンドとして後発でありながらも、急伸していたクリックインカムに、対抗するサービスをまぐまぐと組んではじめる、というナニだったのです。
「日広にメチャクチャ売ってもらいたいんだけど、どうしたらいいかな。営業もたくさん雇ってよ。応援するから。」
僕は、広告の商売というのは、属人的な商売で、営業マンの人数の乗数が売上と相関する、と思っていましたし、僕はその当時、よくそんな話を熊谷さんにもしていました。
だから、たくさん雇え、ということだったのでしょう。
「合弁会社の社長は西山裕之さんだから。よろしくね。店頭公開したら、すぐに一発目のトピックとして発表するつもりなんだ、これ」
!!! えー!西山さんですか。・・・道理でよく逢ってる、と思った。
リョーマの創業者であり、ダイヤルキュー・ネットワーク、徳間インテリジェンスネットワークでも上司として仰いだ西山裕之さんを、僕は、その何年か前に熊谷さんに紹介していました。
しかし、ここで西山さんを起用とは。
これは楽しくなってきました。
僕は、どうしたら、その新会社「まぐクリック」の売上を伸ばせるのか、をネット広告業界を俯瞰して考えました。
というのも、ネット広告会社として日広はヤフーやmsnの取り扱いでは、既にかなり成果を挙げていましたが、この99年当時はサブ・アンド・リミナル(後のセプテーニ)やオプト、トランス・コスモスなども躍進し、それこそ雨後の竹の子のように自称ネット広告会社が出現し続け、競争も激化しつつあったからです。
一方で、そのようにネット広告会社が増える中でも、CCI、DACの2大メディアレップ、さらに米国からのアドネットワークサービス ダブルクリックや、クリック保証型の広告ネットワーク バリュークリック、そしてサイト掲載のクリック保証広告サイバークリックを営むサイバーエージェント × オンザエッヂ・・・・と日広のような広告会社にとっては、仕入れ先であったメディア会社/メディアレップが乱立し、業界も過熱混乱気味でした。
ネット広告の売上は、営業の人数に比例して伸びている ・・・。
ネット広告業界のプレイヤーは把握出来ないくらい急速に膨張している ・・・。
ウイークリーまぐまぐのヘッダー広告枠は、日本一の人気枠 ・・・。
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そして僕は、一つの戦略に辿りつきました。
ネット広告業界全体の勢力図を見渡し、考え抜いて、僕が出した結論としてのアイデアは、新合弁会社である広告枠の総販売元まぐクリックは、ウイークリーまぐまぐ、そしてクリック保証型広告の「まぐクリック」ともに【大前提として、メディアレップを通じて販売を行う】というものでした。
つまり、広告代理店・広告主むけの商流として、それまでのウイークリーまぐまぐと同様にcci、DACを介して売りましょうと、熊谷さん西山さんに提案したのです。
「しかしながら、それだけでは今までとなんら変わらないですし、売上を急伸させるドライブもかからないので、あともう一社だけメディアレップを増やさせてください。それを僕が責任を持って経営し、まぐクリック社の業績向上にコミットします。」
「日広がやるの?」
「いえ、日広はあくまでも広告代理店として動きます。100%子会社としてメディアレップ・ドットコムという会社をつくるので、そこもCCI、DACと同じメディアレップとして口座を開いてください」
当時、まぐまぐは広告枠をまずメディアレップに30%の媒体マージンで卸していました。そして日広のような広告代理店はそこから枠の融通を受けていました。その代理店マージンは15%でした。
僕は、新会社メディアレップ・ドットコムから卸す広告代理店マージンを20%にすれば、CCI、DACから商流をひっぺ返せるし、日広だけでなく、多くの広告代理店に発破をガンガンかけられる!とアピールしました。
予定通り99年9月、インターキューが店頭公開を果たした直後に、まぐまぐを運営していたユナイテッドデジタル、ネットアイアールディーとインターキューとの合弁会社 まぐクリックは設立されました。その会社は広告枠の総販売元でしたが、これまでどおりCCI、DACなどメディアレップを通じた販売をするという方針を打ち出しました。もちろん一社増やすことは発表せずにw。
僕は、ほぼ同時に日広の100%子会社としてメディアレップ・ドットコムを設立し、すぐさま当時、パチンコの出玉情報サービス会社を営んでいた、リョーマの後輩である森輝幸さんをスカウトしました。
森さんの猛烈な営業パワーも奏功し、当初の予測を遥かに上回るペースでメディアレップ・ドットコムの業績は急伸しました。設立直後の卸先顧客は、それこそ日広しかありませんでしたが、当時のヤフーやmsn、サイバークリック、バリュークリック、ダブルクリックを売りまくっていた自称ネット広告代理店を片っ端から攻略し、ウイークリーまぐまぐの仕入れの商流をCCI、DACからスイッチしていったのです。 実に痛快でした。
2000年9月、まぐクリックは見事ナスダック・ジャパンに上場を果たしました。設立から僅か一年の史上最短上場です。(この記録は今も破られていません。)
そして上場を果たした直近の四半期のまぐクリック社における、メディアレップドットコムの売上比率は64%を超えていました。 そうcci、DACを足しても4割を切っていたのです。これはちょっと出来過ぎ、なほどでした。
翌10月、日広はインターキューにメディアレップ・ドットコムを株式交換で売却しました。森さんはそのままインターキューグループに移り、いまはGMOメディアを率いています。
< 私も履歴書 37 https://katou.jp/?eid=248
>私も履歴書 39 https://katou.jp/?eid=253
※メール広告市場の展開については、「インターネット広告創世記」
第13話「エキサイト/ライコスの日本市場参入と『ネットエイジ』」で関連する市場動向が解説されています。