TSUTAYAがない! 2 映画と字幕 編

2020年4月18日

シンガポールにはTSUTAYAがない。とても不自由です。

TSUTAYAは、ぼくの18歳以降の人生において絶えず存在していた空気のような存在です。
TSUTAYAがないことに気づいてタイヘンなことだ、と改めて思ってます。

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思えば幼稚園の時分から映画が大好きでした。

生まれて初めての映画の記憶は幼稚園の年中さんの頃。
ゴールデン洋画劇場でやってた『大脱走』にしびれました。幼心にも余りに面白く、翌週の放送(後編!)が楽しみでたまらなかったことを鮮明に覚えています。

それからというもの主演のスティーブ・マックイーンが大好きになりました。

74年(一年生)や75年(二年生)の封切られた『パピヨン』や『タワーリング・インフェルノ』を、2年生まで過ごした金沢八景の駅前にあった東宝会館に観に行っていたほどです。
(どこまで意味が分かっていたのか、甚だ疑問ですが・・・)

年長さんから2年3学期の引越しまで、同じ東宝会館に東宝のチャンピオンまつりも春休み、夏休み、冬休みと観に行っていたので、よく考えると月に一回ペースで映画館に行っていたことになります。

大阪に来てからも映画館通いは続き、小学校5,6年で梅田にいけるようになってからは北野劇場、三番街シネマ、OS劇場にハリウッド新作や角川映画、アニメ(ヤマト・ルパンの新作)と大学3回生の上京まで、月に1,2度は封切や試写会を観に行っていたような気がします。(高校・大学の頃は試写会によく行きました。愛しのLmagazineに深謝。合掌)

そしてレンタルビデオ。
大阪にいた頃は時間があったり、映画館の匂いが好きだったり、で映画は映画館で観るものって思ってたんです。ぼくが映画を頻繁にレンタルで借りるようになったのは、21歳で上京してからでした。それからは朝から深夜まで、ずっと恵比寿の会社にいたし、渋谷がおっくうだったり、映画に行く暇がなかったり、はじめて自分のビデオデッキ買ったのもその頃だったりで。

以降20数余年、中目黒でも、新宿でも、南青山でも、松江でも、六本木でも、渋谷でも、ずっとTSUTAYAで借りて、さまざまな映画を見続けて来ました。

そして多くの人にとってそうであるように、ぼくにとっても映画はこれまでの人生に大きな影響ときっかけを創ってきてくれたのです。

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ところが、シンガポールにはTSUTAYAがない。

ぼくはこう見えても(・・どう見えているかは知らんが)日本の、そしてハリウッドの映画が大好きです。いまも配役で気になる監督・俳優が出ているもの、或いは友人・先輩が制作や配給で絡んでいるものは必ず観ています。

でもレンタルCD屋とは違って、シンガポールにはVIDEO EZY(オーストラリア最大のチェーン)など、レンタルビデオは数多くあるのです。

しかし、ぼくにはほとんど意味がありません。

何故ならば、ほとんどの映画に日本語の字幕がついてないから。

中国語(マンダリン)は100%。タイ語もほぼついてる。韓国語・インドネシア語もほぼついてる。でも日本語字幕はほとんど付いてません。

つまり見たい洋画を観ても意味が分からないから借りても、ほとんど意味ありません。誰かなんとかしてください。