ヤンゴンのフードデリバリーHi-So無期限休業の御報告

2021年4月29日

2020年1月、ここで僕が資本と経営に参画したことを公表するに至った https://katou.jp/?eid=677  ミャンマーの首都ヤンゴンで、フードデリバリー事業に挑戦するHi-So。

前後して、社長である高田健太さん、僕と同じタイミングで参画をお誘いした関泰二さん(2011年にクロスコープシンガポールを始める際にご一緒した相棒)と共に、次の調達に向けて本格的に動き出した矢先:2月に新型コロナウィルス禍が世界を覆いつくすことになってしまいました。

高田さんは日々のオペレーション全般の経営・指揮を執るべくヤンゴンに居るため全く身動きが取れなくなったのです。

これはこたえました。
大前提として(Hi-Soに限らず、全ての在外スタートアップに発生した難ですが) 新コロ禍となったことで資本を用意する側が、出資に対して慎重かつ保守的になったのです。

個人によるデリバリーのような シェアリングエコノミー事業は、もとより世界の、或いはASEAN各国の其れに比して、2周回遅れ(他国では既に優勝劣敗の決着がついている)ビジネスモデルでした。

ですので、最終的に投資を決めてもらうには、僕自身や関さんがそうであったように、ヤンゴンの状況を実際に目で見て、肌で感じて、ピンと来てもらう必要があると当初から思っていたのです。 ただ逆にいうと、実際にヤンゴンに一歩踏み入れさえすれば、大きな可能性を認めてもらうことは容易なはず、と僕はタカを括っていたわけです。この目算が崩れてしまいました。

予定していたベンチャーキャピタル・事業会社を挨拶して回ることはもはや現実的でなくなりました。
僕らは高田社長が動けないなか、如何にして、その先に待つHi-Soの成長シナリオとビジョンを示していくのか、と試される事態となりました。間もなく新しい株主候補に対してのアピールはZOOMを介して行っていく…消去法の一択となったのです。

逡巡の果て…5月になった頃には、僕らは12月を目標においていた、優先株発行によるシリーズA増資の実施を諦めました。軸(リードインベスター)となるベンチャーキャピタルを決められるような状況には当面なりがたい、という判断です。当初の想定株価(バリエーション)に対する考え方を改め、株式の種類を普通株式に置き換え、一株あたり価格も、調達目標額も変更しました。基本的に個人を対象としたエンジェルラウンドとしたのです。

 

切り替えは奏功しました。

高田さん、関さん&僕による断続的なソーシャルメディアへのアウトプット、そして日系のメディア或いはASEAN発の英文テック系メディアへの取材記事がお問合せ・ご関心へのパイプラインへ繋がっていき、一人また一人と個人のエンジェル投資の輪が広がっていったのです。

方向を替えて半年弱=11月、置き直した調達目標を充たす額(2021年一杯は駆動できるであろう軍資金)のコミットを獲得できた高田さんは、並行して準備していた ミャンマーで最も知名度と人気の高いアーティスト/俳優である 森崎ウィンさんとのブランドアンバサダー契約を獲得したのです。 この報は、一緒に資金調達活動で動いていた関さんと僕にも嬉しい誤算でした。

2020年12月:エンジェルラウンドの資金調達時のプレスリリース:  https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000053401.html

森崎ウィンさんブランドアンバサダー就任発表時の宣材:

高田さん、会心の一撃。
新たに迎えた株主の皆さまからもオフィススタッフ、配達員メンバーからも森崎ウィンさんのアンバサダー展開には喝采を頂戴し、機運もかつてない程に高まりました。

折しもヤンゴンの新型コロナ禍はピークアウトを迎えていました。2021年のシリーズA調達と事業の躍進を高田さん、関さんと誓ったのです。

 

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2021年2月1日、国軍によるクーデターによって、平和で、元気で、成長の可能性に満ちたミャンマーは失われました。

正直言って、僕はこんな事態になることを想定はしていませんでした。 甘い、と言われれば、その通りでした、としか言えないのです。しかし、こんな不条理があっていいのか、という想いは今もなお日々感じています。

僕にとってミャンマーはASEAN最後のフロンティアでした。 2010年7月、初めてその地に渡った時に感じた無限の可能性の感触は今も鮮烈な記憶と共にあります。銀行もマクドナルドもコンビニもないヤンゴンの街並み、子供たちの笑顔が思い出せます。 往時のブログ:https://katou.jp/?eid=224

クーデターさえなければ、いまもミャンマーは、1990年代にはじまったASAEN奇跡の成長の最終走者として大きなストライドで走っていたと思います。

 

Hi-Soが断続的に休業と営業再開を繰り返すなかで、高田さんは諦念したようでした。

そんななかで高田さんが「最後の恩返し」 と位置付けた最貧困層にお米を配る活動(RDM)https://rdm-myanmar.com/ の準備は猛スピードで進行していきました。そして、Hi-Soを始める段階で封印した「ミャンマーでいちばん有名な日本人」トゥーン・カインとしての顔をFacebookやウェブに晒し、RDMの告知、実行のコマを進めていったのです。

大阪に動く日が固まり、従業員に対する無期限休業の告知が終わってからもなお… 最後の最後までめいっぱいRDMの活動を続けた高田さんは、4月9日、シンガポール経由でヤンゴンを出ました。(多くのインフルエンサーや報道、芸能人が軍によって、逮捕/指名手配されてたことを知っていた株主の皆さまと僕は、無事に出国できることを祈っていたのです。)

普通に考えれば、RDMの活動は高田さんにとって危険なアクションだったと思いますが、出来る限りのことをやりきることが、跡を濁さない唯一の手段、という覚悟が痛いほど伝わっていたのです。

 

年末に増資をお引受けいただいた全てのエンジェル株主の皆さまに、フードデリバリーサービスHi-Soの無期限休業に賛同していただいたことは感謝の念に絶えません。いっぽうで、これまで多くの応援を日本、ミャンマーそしてシンガポールの同胞の皆様から頂いていたにも関わらず、志し半ばで事業を途絶するという結論に至ったことを心苦しく思っております。

高田さん自身による Hi-So 無期限休業の経緯(ブログ) https://startup-in-asia.com/hi-so_close_story/

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僕がエンジェル投資を始めて、もう四半世紀になります。その道程のなかで、僕は80名を超える起業家の資本と経営に参画してきました。

そのなかでも、高田さんは飛びぬけて優秀で、可能性に満ちた若者であることをここで改めて書き記しておきます。

高田健太はアジアで財閥を創ります。

その最初の事業として、ヤンゴンでフードデリバリーのサービスから鍬入れしたのです。想定してなかった軍の横暴によって事業は無期限の停止となりましたが、財閥形成への途はまだ端緒に過ぎないと思います。これからのHi-So PTE.LTD. そして高田健太にご期待いただきたい!のです。