ひろのぶと株式会社の資本と経営に参画して一年経過の御報告。

2019年12月8日、生きていれば82歳の誕生日となるその日に、実父の通夜を執り行った。
有難いことに30年来の仲間である田中泰延さんが焼香をあげに来てくれるという連絡が前日に届いた。田中さんには2年半前の実弟の告別式にもご参列いただいている。恐縮至極である。

「少しお時間いただけませんかね。相談している会社つくる件、やはりやりたいと思っていまして。」
「明日か。 ま、確かに。」

会って話すとしたら、通夜のあとの時間帯しかなかった。

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それまでの何度かの打ち合わせで、 田中さん自身が「オーナー」会社を創るのが、最善策という結論に行きついていた。

が、僕は「出版社」には半信半疑だった。今から紙の書籍をつくる会社を新たにやるのは、クレバーには思えなかったからだ。でも一方で、田中さんがそれこそが己の進むべき道だ、と決めるのであれば、諸手をあげて賛同する気ではいた。

この構想の特徴は以下の3つ
1 田中泰延のための会社。田中泰延のつくりたい書籍を出版する会社。
2 著者への印税2割。
3 支持してくれる人を株主にしたい。でも上場は目指さない。

3はよくよくきくとユニークだった。「小口の株主をたくさん迎えたい」という。小口というのは… 田中さんのイメージは驚くほどに少額だった。そして、そこがけっこう譲れない点だった。

そもそも株式事務がたいへんだ。それに会ったこともないような人にも広く呼び掛けたいと。いやいや、それは日本ではかなりグレーだぞ。

しかも直ぐにやりたい、ようだ。
まぁ、そりゃ会社なんて、本人にやる気と行動力があれば創れる。1日あれば十分だ。が、起業経験のない青年失業家にはハードルは高い。

6月に出版したダイヤモンド社から上梓した処女作「読みたいことを、書けばいい。」が16万部を超えるスマッシュヒットとなっていた田中さんのもとには様々な事案が押し寄せていた。

が、多くが彼の手元で処理が淀んでもいた。 電通に新卒入社以来24年間ずっとクリエーティブ局でコピーライター一筋だった田中さんは事務作業をやったこともなく、出来もしない。つか全く向いていない。請求書を1枚作って投函するのに1週間は必要な男なのだ。なんとかするには分業すべきだ、ということは明らかだった。

そこまではわかる。個人事務所会社みたいなのをやるもんだ、と思っていた。
それが「出版社」だという。

そうなのかよ。
印税2割のアイデア聞いてはいたけどさ。本気とはな。
僕は桃山台駅前のカフェでその決意の深さに驚きを隠せなかった。正直、そこまで決めきれると思ってなかったのだ。

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年明けから、僕の家業の相棒である奥村さんにもサポートを乞い、新会社設立の準備に着手。当初は田中さんと僕だけで始めることにした。

お声かけするリスクテイカー(支持者、賛同者)については、先ずは田中泰延の才能と価値を認め、応援してくれる奇特な大口の篤志家だけにすることになった。これを僕は 「タニマチ」とした。リターンがあんまり見込めないからだ。
そして、田中さんが強く望んだ…小さい単位の応援団に株式取得をお声かけするのは、近未来の実施とすることにした。

想定内ではあったが、進行は遅々モタモタした。すった揉んだの末の2020年3月17日、会社は登記できた。なかなかの難産だった。

会社名は、ひろのぶと株式会社 とした。
意味は、泰延と仲間たち(Hironobu and Company) とそのままだ。

そう、今日で設立一周年なのである。
この日は田中さんの出版社構想に多大な影響を与えた敏腕編集者  「読みたいことを、書けばいい。」の今野良介さんの誕生日に合わせている。

この会社名を思いついて伝えたとき、田中さんには当初ピンと来てなかった。
あれれ…僕的にはかなりMake Senceだったんだけどな、とけっこう落胆した。なんせドメイン名まで先回りして取得していたのだ。

のちに時間差で腹に落ちたようで一転、気に入ってくれた。糸井さんにも褒めてもらったようだ。彼がもともと考えていた社名案は 株式会社ペーパー だった。
かたや僕はすっかり吹潮社にするものだと思っていたが…そこは本意でないとを聞いて、丸一日考えた果てに我ながら合点きたのが、この「 ひろのぶと 」だった。

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6月になった頃からタニマチ集めが始まったが、これが当初想定の何倍も難航した。

僕はスタートアップの資本金集めに25年以上取り組んできた。ドタ感では、田中泰延のタニマチ集めはすーっと進む算段だった。それだけのコンテンツ力、人物ポテンシャルはしっかりある!。

どっこい新型コロナ禍である。出資のお願いをする田中さん自身がZOOMやメッセンジャービデオを通じた対話に慣れるのにも時間がかかった。会えば、伝わるはずなのだ。ところが一切会えない。だから、だいじな話しをうまく切り出せない。

ちと無理あるのが「上場はしない」と決めていることだった。なかなかすごい。つまり出口:ゴールがないのだ。いい出版社つくりに株主としてご一緒いただく、そこまでしか決めずにやる。となると、リターンは主に配当になる。でもタニマチの皆様には会社が相当に儲からないと出資相当のリターンはなさそう。普通に考えると無茶な投資。それでも出してください、と田中さんはほうぼうにお願いして回った。

いくつかの出資が決まり、続々と入金も積みあがってきた2021年1月になって、いよいよ田中さんの首も回らなくなっていた。なんせ事務作業をやったこともなく、出来もしない。つか全く向いていない。請求書を1枚作って投函するのに1週間は必要なのだ。

そこで僕が、マルチな領域で活躍を期待したい手練れなスーパーメンバーとしてみつけてきたのが、20年くらい前からなんとなく良く知っていて、田中泰延に合いそうな、現役バリバリのネットメディアの編集者であり、長年管理職を務めてきた岩﨑綾さんだった。ジョイン以降はまさに八面六臂、獅子奮迅の活躍で、一気に堰滞しまくっていた業務が音を立て動き始めている。(4月からは社員第一号にお迎えする!)

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ということで、今日で一年経った。
どんな会社になるのか、はちょっぴーさんとの対談で田中自身の口から説明されているので、お暇が許せば是非ご覧いただきたい。 https://www.flatpeer.com/contents/series/htnk-and-choppy-talking/20201229.html
この対談自体はひろのぶと株式会社の設立直後に行われたもので、まさに設立建白といえるものになっている。

さて具体的には、なにをやるのか。
先ずは8月にダイヤモンド社から、編集者が今野良介さんで、著者が田中泰延の ”人と会って話すことについての” 自著が刊行予定だ。
ひろのぶと株式会社としての刊行物については既に3冊の書籍の企画が進行している。ぶっちゃけ、ダイヤモンド社の自著を通じて、実務のさまざまを見様見真似で挑むことになりそう。

不肖加藤順彦は取締役として、「オーナー」田中に次ぐ株主として、微力尽くして社業の発展に寄与する所存。今後の ひろのぶと株式会社 の活躍に乞うご期待!の心境である。