当社の資本は人です。|2002年8月25日 日広グループ10周年記年冊子

1999年前後かと思うのですが、設立前から深く関与した まぐクリックが上場 https://katou.jp/?eid=202 して、絡んで僕に様々な気づきがあって、会社経営について根本的に改めたんですよね。

ざっくり書くと、ひとりの限界を感じたというか。自分よりも優秀な人を取締役としてお迎えすることを決めたんです。チームでやろうと。リョーマからの仲間でメンバーだった森輝幸さんが、メディアレップドットコムと共にインターキューへ移る運びにあったことも大きかったなぁ。

そこで!ワンマン会社だったのを改めようと、優秀な人を役員・幹部に迎えようと、決めたんです。そして2000年にかけて、3名の取締役(橋口誠さん、本間広宣さん、名児耶和峰さん)を日広にお迎えしました。3名ともお声かけした段階で「取締役」として打診したのです。この閃きは正しかった。生涯最高にイケてるキャスティングだったと、今も思います。ちなみに他の方には声かけませんでした。すなわち成約率100%でした。

そして僕は社是・社訓「在るべき組織」を掲げました。

・仕事を通じて社会貢献を果たす、誇れる組織

・目標に向かって走り、期限の成果を互いに褒め叱れる組織

・個々が時間と健康の管理を最低限のルールと心得る組織

3名を迎えてからは、僕は自分が採用の是非を決めることを止めました。

どんな人材が日広やメディアレップジェイピーに必要なのかを、橋口さん、本間さん、名児耶さんとはよくお話をしましたが、そのうえでお任せすることにしたのです。最終面接・面談に出るのは、専ら決裁者が社長(加藤)の顔をみせたほうが採れる感じがするときだけでした。これも06年頃までは成功だったと思います。

 

この10周年の記念小冊子は一語一句、僕が書きました。久しぶりに目を通しましたが、あの頃(2000年~05年)こそ、僕が中小企業経営者としては最も冴えていた時期だったなぁ、と改めて感じました。

シンガポールから東京に動いて3週間、僕は長らく封印していた日広の時代(1992~08年)の資料の箱を開けてました。20年6月~7月という節目に往時を振り返り、資料を紐解き、ブログを数多く書くなどして…自主隔離期間を過ごしました。良い機会となりました。ブログ開設来の多投にお付き合いいただき恐縮でした。

 

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当社の資本は人です。その資本を見てやってください。

History of nikko group

平素は格別のご厚情を賜り誠にありがとうございます。日広グループの加藤順彦です。たいへんお世話になっております。
2002年8月25日、おかげさまで日広グループは登記設立10周年を迎えることが出来ました。これもひとえに広告主の皆様、仕入先の媒体社の皆様のお蔭でございます。

株式会社日広は1992年夏、週刊誌・グラビア誌などの雑誌媒体の広告を取り扱う小さくトラディショナルな広告代理店からスタートいたしました。そして、その生業の延長線にあったパソコン雑誌のお取り扱いを通じて、1995年インターネット革命に邂逅することが出来ました。以降、インターネットという新しいインフラを利用したマーケティング手法の提供を通じて、新たな文化と産業の創造を広告会社として取り組み、社会と人々への貢献を果たそうと日々取り組んでいます。

2002年7月現在、日広グループ3社の年商は26億円を超え、社業に従事する者も40名近い所帯となっております。

2000年秋には多くの雑誌広告会社の諸先輩のご推薦を頂戴し社団法人日本広告業協会(JAAA)に入会させていただきました。

そもそも加藤は大阪の鋼材問屋のぼんちとして生まれ、『将来は社長になるんや』という漠然とした夢を抱えたまま、16年前の1986年、神戸の関西学院大学商学部に入学いたしました。半年経った11月、大学の3歳上の先輩である真田哲弥氏(現・株式会社サイバード 取締役副社長)とその同級生西山裕之氏(現・まぐクリック代表取締役社長)に導かれ運転免許合宿の斡旋を行う株式会社リョーマの創業に参加しました。新大阪駅前のワンルームマンションにて3人からのスタートでした。

そのまま大学生活は思い切り学生ベンチャーを楽しみ、大学4年の秋にはその株式会社リョーマのスタッフを母体にした日本ではじめてのダイヤルQ2を利用した有料情報会社である株式会社ダイヤル・キュー・ネットワークに出資・参加いたしました。1年多く大学に在籍して、就職活動もせずにそのままベンチャーをやっていたのですが、いつしか大学を卒業していた春先、卒業証書を郵送で受け取る頃にこの会社が破綻し企業経営の恐ろしさを身にしみて体感したわけです。

瓦解した株式会社ダイヤル・キュー・ネットワークを救っていただいたのは、いまは亡き徳間康快御大率いる徳間書店グループでした。徳間社長は30年にわたるメディア事業の次期シナリオ作りに際し情報技術の可能性を見いだし、積極的な取り組み策として電話情報サービスの新会社を設立され、一度死んだ我等に活躍の場を与えてくださいました。

1年強の出版事業グループ勤務を経て、見いだした光は雑誌媒体を使ったマーケティングでした。有限会社日広は広告によるレスポンスマーケティングを切り口とする事業主の皆様に、趣味性・ニッチ性に富んだ専門誌への広告出稿によって見込む顧客層を予め絞り込んだ雑誌媒体の出稿計画(メディア・プランニング)を提案することで、コスト・パフォーマンスの高い成果を出し評価していただくことを主眼に、営業を開始しました。

これは10年経ち、インターネット(PC・モバイル)媒体が90%近い売上構成になった現在も褪せることなく日広の基本的な営業上の立ち位置となっております。また自社で媒体の運営や販売一括受託をせず、基本的に受注→発注(無在庫)で自由度の高い仕入れを行うことにより最大成果を出すことに集中する、お客様第一主義のアカウントセールススタンスを堅持し続けて参りました。

1999年3月、新たにメディアレップドットコム株式会社という名の広告会社向けの媒体プロモート会社を設立いたしました。スタッフの尽力と「まぐまぐ」という素晴らしいメディアパワーの相乗効果もあり、順調に成長をしていましたが、同社設立のミッションともあいまって2001年10月、日広の最大の取引先であるグローバルメディアオンライン株式会社に売却いたしました。(2002/1 株式会社まぐクリックと合併)。

しかしながらインターネット広告市場の健全な成長と発展、ネット広告取扱会社の裾野の拡大を期し、自分なりの考えを実現すべくメディアレップを設立したという思いもあり、2001年11月、新たに同社事業の志を継承すべくメディアレップジェイピー株式会社をスタートいたしました。まだ設立間もない会社ですが、旧社より人脈ネットワーク資産を活かし、おかげさまで2002年8月現在、80社を超える広告会社様に主にモバイルインターネットのアドネットワーク枠の提供を果たしております。

また、兼ねてより構想していた非広告事業への挑戦として、子会社株式会社ダブルオーワンによって、モバイルコマースプラットフォームを開発いたしました。今後はさまざまな携帯サイトと提携して物販・物販サポートにチャレンジしていきたいと意気込んでおります。

日本最大の非上場企業の一社である出光興産の創業者・出光佐三さんの経営理念は『当社の資本は人である。資本金は無をもって理想とする』だったといいます。規模は小さいですが我等も同じだ、と加藤は思っています。今回の10周年記念小冊子はそんな日広グループそのものである社員たちのオンショット/オフショットをお世話になっている皆様にお見せしたい、という気持ちで制作いたしました。ご笑納ください。馬鹿馬鹿しいものもありますが、楽しく、真剣に、生き生きとやっている、我等の素の表情をみていただければ幸いです。

いま全職員がインターネット・マーケティングの手法提供を通じて新しい産業の発展に貢献するのだ、という高い誇りを持って、日々知恵と匠を磨いています。これからも他の広告媒体とは全く異なり、結果がばっちり出る嘘のつけない真剣勝負の舞台上で、依頼主様と御一緒により高い成果を出すべく奮闘していきます。日広グループが世に問う新しい成果にご期待ください。今後ともご指導ご鞭撻を賜りますよう、何卒よろしくお願いいたします。

2002 8.25

日広グループ代表  加藤 順彦