私も履歴書 2 |運転免許合宿で、先が見えて少し凹む
それは、合宿免許 とか運転免許合宿、と呼ばれていました。
地方の運転免許学校にて、18~20日間程度、集中して自動車の普通車免許に必要な学科と実地の技能教習を受けて、運転免許取得にむけて学習するという短期プログラム。
学校の近くのホテルや旅館の相部屋に生徒同士で泊まって、毎日通うナニです。
宿泊費・食費(一日3食付)そして教習費(学科教習料・技能教習料・修了検定料・効果測定料・仮免交付申請料・適性検査料・証紙代・教材費・原付講習費、高速料等)オール込みで〆て25万円。
もちろん大金ではありましたが、払ってしまった以上、もう免許をとるだけです。
まだ肌寒い、鯖江の駅前から、ほど近く…
そこは、自動車学校近くの旅館というか、なんというか。
二段ベッドが4つというそのタコ部屋には、大阪大学の学生さんが既に入居していました。
晩ご飯は二段の弁当箱を配給してもらいました。
そして、数日が過ぎ
大阪を離れているけれど、これは旅行ではないのだなと、感じてました。
そう、合宿というのは同じ場所・時間を共有している者たちが、同じ目的を目指している空間でした。
学校と宿を往復する毎日。くりかえし。
こんなにも親元を離れたことはな生まれてこのかた無かったし、つい数日前まで毎日追い詰められていた受験勉強からも開放されたので、そういう意味では新鮮だったのですけど、、
いっぽうで大学合格という目標が達成された 虚無感のようなものも、ずっしりきてたのです。
『よしよしカッチン、巻き込みよし。』
一日で受講できる学科は何時間、教習用の自動車に乗れる時間は何時間、と決まっています。それ以外は何もすることがありません。
受講生たちは、予習復習をしたり、本を読んだり、昼寝をしたり、散歩をしたり… それでも僕もシミズも、時間をもてあましていました。
特に週末は休みだったので退屈でした。もちろん僅か3週間強の春休みを活用してるわけで、カツカツの授業スケジュールではありましたが。
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二度ほど、同じ部屋の阪大生に鯖江の駅前の居酒屋に連れて行ってもらいました。
そこできく、これから始まる大学生活。
勉強、部活動、サークル、深夜のアルバイト、恋愛。
いわゆるキャンパスライフなるもののお話を聞きながら、慣れないビールを飲みつつ、ホッケの干物を食べました。
しかし、どうもその、どれも僕にはピンときません。
それなりに楽しそうにお話ししてくださるのですけど。
テニスのサークルも、プールバーでのバイトも、その…憧れるような、そんなかっこいいイメージも湧きませんでした。正直『そんなもんの何が面白いねん』って感じで。
受験勉強をしていた頃にいろいろと妄想していた、大学での経営学の勉強も、学校の様子や授業についてのお話しを聞けば聞くほど、、どうやらぜ~んぜん面白くなさそうです。
こりゃまいったな。
予定通り、4月3日に試験に、僕もシミズも合格しました。
実車の時に坂道発進の信号があって、前のトラックが積み荷を落とした時は少しパニくりましたが…。
1986年4月7日。
無事、関西学院大学に入学。その日、僕は19歳になりました。
時代は、後にバブル景気といわれる頃の絶頂期へ向かって疾走していました。