若者よ、アジアのウミガメとなれ (テキストのみver)

2020年2月15日

Techwaveに寄稿させていただいた掲題の読み物を、テキストのみ&ハイパーリンクバージョンで再掲いたします。ご高覧ください。

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天動説による古代の地球儀をみたことがある方も多いでしょう。
子供の頃に百科事典や学校の副読本に載っていました。
海の向こうの、そのまた向こうには断崖絶壁があって、そこまで行くと真っ逆さまにあの世に落ちちゃう、四隅で象が背負ってる、箱庭模型のようなアレ。

『僕は2006年の秋まで、その世界にいたんだな』と思うことが、今でもままあります。
あの頃までは、日本以外の国で起こっていることは、私にとっては絵空事…まるで『また別の世界』での出来事のように観えていたのです。そして、そんな自分にとっての日本という国は、まさに安全な箱庭だったんだ、なと気づかされるのです。

私が社会に出た89年は、史上空前、未曾有の大バブルの時期、まさにJapan as NO.1の頃です。それから20年弱、私は経営者として他国のプレーヤーなど全く眼中におくことなく、日本の中だけで、社員を、御得意先を、仕入先を、協力会社を見つけていました。
つまりは、それだけで事足りていたのです。それだけ日本という国は潤沢すぎる内需=バブルの遺産があったと言えるのかもしれません。

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私、加藤順彦は先日44歳になりました。少し長いですが、最初に僕自身の半生について書かせてください。

ぶっちゃけ大阪育ちの『エエ氏のボンボン』(御金持ちの息子)として育ちました。大学に行くまで、ナニ不自由なく階段を上っていたと思います。

86年、大学一年生の夏に真田哲弥氏(現:KLab株式会社 代表取締役社長)西山裕之氏(現:GMOインターネット株式会社 専務取締役)と出会い、いわゆる学生企業(株式会社リョーマ)に参加、その後89年に株式会社ダイヤルキューネットワークの起業に参画したのが、わたしのベンチャー人生の始まりでした。
ダイヤルQ2とは民営化されて間もなかった日本電信電話=NTTが89年に開始した情報料金回収代行サービスのサービス名称です。同社はこのダイヤルQ2を使ったコンテンツ・プロバイダでした。
これまでの通話料金だけではなく別途の情報料金を通信キャリアが代行回収するというモデルが、アメリカで大成功しており、また日本で開始されると知って立ち上げました。

読みが大当たりし、風を掴んだ同社は、創業1年で社員70名、月商1億へと急成長しました。
バブル絶頂期にも相まって高度情報化社会=マルチメディア時代の旗手とまで持ち上げられました。
同社だけではありません。ダイヤルQ2は「電話回線を通じて情報を流通させる」という日本で初めての試みを、僅か一年足らずで1千億円以上の市場にしたのです。私もメンバーも有頂天になっていました。

ダイヤルキューネットワークはしっかりとした番組企画を提供していたのですが、一方で虚偽の企画書を出して審査が通ってから番組をツーショット回線に変えて しまう業者も大量に横行しました。市場の爆発的な成長と同時に、こうした負の部分も社会問題化していったのです。ただ私たちは自分たちがまっとうなビジネ スをしていたので、そうした問題を対岸の火事として眺めていました。
ところがNTTは、こうした不良業者を排除する目的で、料金の支払サイクルを改定したのです。91年初頭、月末締めの翌月払いだった支払サイクルが、翌々々 月払いに引き伸ばされました。不良業者のほとんどは零細業者でしたので、とたんに給料や機材のリース料が支払えなくなりました。この突然の変更で、思惑通りに不良業者が次々と潰れていきました。

かたや、私たちも所詮は学生が作った零細業者です。規模が大きく、急激な膨張をしていた最中だっただけに一溜まりもなく、改定に連座する格好で91年4月末あっけなく破綻してしまいました。
私は事業の受け皿となってくれた徳間書店の関連会社の社員となりましたが、、翌92年8月、移籍後も引続き担当していた事業が終了することとなり、私は徳間グループに居る意味を失いました。

そして半ば成り行きで、雑誌広告専門の広告会社、有限会社日広を起業したのです。(以下NIKKO 現社名:GMO NIKKO株式会社)
正 直ダイヤルキューネットワークのときは、会社ごっこのノリで、ゲーム感覚で会社に関わってました。そのことの罪深さや、人を雇用する責任にも気付いていませんでした。破綻を経て、痛みが身に沁みていた僕はこの会社を資本金300万円、従業員2名という、身の丈に合わせてスタートすることにしました。人を雇うということは、それだけで原罪がある。だから小さな会社で、出来るだけ小さく、責任が取れる範囲で会社を設立しようと思ったんですね。

最初の3年間弱は、ツーショットダイヤルの雑誌広告のみを扱っていました。95年頃からでしょうか、通常の雑誌広告業務と平行して、通信回線とCTI(コンピュータ・テレフォニー・インテグレーション)を組み合わせた雑誌広告もパソコン雑誌に掲載するようになってました。

丁度その頃、米国の軍用技術が民用化され、インターネットとして自由に通信ができるようになると、その出稿先のパソコン雑誌にそのことが相次いで掲載されたんです。

一目見て、一昼夜考えて、これから、インターネットの時代がくる。 そう感じました。

僕らがダイヤルキューネットワークで為さんとした次世代の情報提供サービスは、インターネットを通じてやれるのではないか?
プロバイダーが情報提供サービスを併用して提供すれば人気が出るのではないか?

もちろん私以外にも、そんなふうに考える人が数多くいました。CTIの世界の人たちは、そうしたビジネスセンスに長けている人たちが多かったので、彼らは次々とインターネット・サービス・プロバイダ(ISP)業務を始めていきました。

私はツーショット以上にISP産業が今後急成長すると読み、ISPの販促広告の取り扱いに大きく舵を切りました。

程なくYahoo! Japan、asahi.comといったネット・メディアが相次いで立ち上がりました。インターネットそのものがメディア、広告媒体になり始めたのです。
NIKKOは97-98年、雑誌広告からインターネット広告に乗り移りました。しかし当時はネット広告マーケットはまだ超ニッチ。周囲の理解も得られず、99年は前年16億あった売上が9億まで減ってしまい少し焦りましたが、もうネット経済圏の大成長を確信していました。

そして、急速にビットバレーを軸にしたネットバブルがやってきました。
NIKKOも新規顧客が次々と増加していきました。2000年3-4月のバブル崩壊後も、直後は若干停滞したものの、順調に従業員・売上は増え、2006年6月期には売上高103億円まで成長しました。
NIKKOはインターネット広告産業の急激な成長の追い風を完全に掴んだのです。

私 個人もお取引先のなかから将来有望と感じたベンチャー企業への投資にも力を入れました。個人で資金注入し、法人(NIKKO)で広告プランを提供し、突っ 込んだお金を回収していきました。もちろん先方のビジネスが立ち上がらなければ、それは還ってきませんでしたが(笑)。

累計で34社に投資し、結果として8社が上場しました。

・インターキュー株式会社  (現・GMOインターネット 9449) 1999年8月 ジャスダックに上場 現・東証一部
・株式会社ディジット  (後にSBIホールディングスに吸収合併) 2000年9月 ナスダックジャパンに上場 
・株式会社まぐクリック  (現・GMOアドパートナーズ 4784) 2000年9月 ナスダック・ジャパン上場 現・JASDAQ
・株式会社おりこんダイレクトデジタル  (現・オリコン 4800) 2000年11月 ナスダック・ジャパンに上場 現・JASDAQ
・株式会社テイクアンドギヴ・ニーズ  (4331) 2001年12月 ナスダック・ジャパンに上場 現・東証一部
・株式会社デジタルアーツ  (2326) 2002年9月 ナスダックジャパン上場 現・JASDAQ
・株式会社ディー・エヌ・エー   (2432) 2005年2月 東証マザーズに上場 現・東証一部
・株式会社ザッパラス  (3770) 2005年5月 東証マザーズに上場 現・東証一部
時は、まさに『大公開時代』。新しく若きベンチャーの時代の到来!と意気込んで明日を視ていました。

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ところが2006年1月16日、堀江貴文さんが逮捕されました。このライブドア事件を契機に僅か一年ほどでインターネット業界が、いやベンチャーの市場全体が暗転しました。
ネット銘柄の株価は総崩れになりました。楽天やヤフーなど軽傷でも株価は一年で三分の一程度に、GMOなど、まともな経営状況の会社でも十分の一程度、酷いところは百分の一まで株価が下落し、信用が収縮しました。

各社の広告宣伝費はあっという間に、極限まで切り詰められました。NIKKOのクライアントはネットベンチャー企業が大半でした。ライブドア事件後には、そうしたネット銘柄の株価が下落し、信用収縮と相まり、宣伝費を削る動きが巻き起こりました。

さ らに同じ時期にグレーゾーン金利の過払い返還が可決されました。当時、同社はSEM(検索エンジンマーケティング)に力を入れており、外資系大手の消費者 金融が最大顧客でした。一斉に消費者金融が出稿を取り止め、御得意先も日本市場から撤退。数多くあった新興のマンションデベロッパーも姉歯事件以降、建築 確認が行政から出なくなり、資金繰りが極端に酷くなっていました。さらに当時の優良顧客であった短期業務請負業者も、様々な理由?により、事実上の廃業にまで追い詰められ、広告も止まってしまいました。

遂に、NIKKOは06年3月度には月商10億円超あった売上が、同年末には一気に月商5億強にまで落ち込んでしまいました。翌2007年になって、僕は、この圧倒的な負け戦を諦観せざるを得ないところまで追い込まれたのです。

万事休す。地獄をみました。

仕事上のライバルに負けたというのなら、悔しくてもまだ諦めがつきます。
しかし、この売上げの下落は、競合との競争に負けたのではなく、外部要因による市場消滅が原因でした。企業間競争とは関係のない世界の影響を受けた結果でした。不条理を強く感じました。ベンチャー潰し、官製不況ではないか、とも思いました。
ともあれ、私は己の不徳ゆえNIKKOの経営に行き詰りました。

そして07年末、創業以来の取引先であり、親友でもあった熊谷正寿さん(GMOインターネット)に会社を託す決意をしました。僕は経営者として負けたのです。

06~07年の様々なルール変更は、内需の縮小が原因中の原因になっているのではないかと思います。
パイが縮小する中でイス取りゲームが始まって、ルールを決める人たちの間で保守的な傾向が出てきたのではないでしょうか。
その結果、日本をとりまく市場縮小という椅子の減るゲームの敗者として、若く新しい起業家・新興企業・ベンチャー企業が追いやられ、排除されたのだと思います。世論としても「若者の起業ほど危ないものはない」という雰囲気も蔓延してしまいました。

今後も日本の内需縮小は止まらないでしょう。
こうした状況が続く限り、ベンチャー企業を育む社会にはなりにくいのではないか。
米 国のFourtune500といった指標には創業10年以内のベンチャー企業が何社も名を連ねています。しかしこんな...新しい事業、新しい会社から潰 していくような日本で、日経225などの指標に創業10年以内のベンチャー企業が数多く含まれるようになるとは思えない、と感じるようになりました。
そんなときに目にしたのが、各国GDPの2005年と2030年の比較した成長予想グラフ(2006年)です。
 
購買力の変化、一人当たり購買力平価(PPP)がどれくらい成長するのかを表しています。
当 時BRICsは成長地域のように言われていたけど、実はブラジルもロシアも官業中心で購買力は伸びない。天然ガスや石油、石炭を国営企業が掘り進めても、 国民は少しも豊かにならない。儲かるのは、国の指導者だけなのです。ロシアもブラジルもGDPが大きくならないのが見えている。ところが中国・インドひとりひとり生活者のGDPが伸びているんです。
僕が手掛けてきた広告会社のビジネスは、日本の消費財の成長とともに大きくなってきた産業でした。
そう、日本ではなく、アジアで、新しい「市場・内需」という名の椅子が猛烈に増えていく…椅子取りゲームがアジアで始まっていることに気付いたのです。
私はアジアに希望の灯を見出しました。

かたや日本は少子高齢化で人口がどんどん減っていきます。今は、平均年齢が45歳ですが、毎年0.4歳ずつ上がっていくんです。既に日本は、2人に1人が50歳以上。
2055年には、日本の人口は8,933万人に、うち労働力人口(15-64歳)は4,595万人となります。

思えば、奇をてらうことばかりに挑むトリッキーなベンチャーだったと思います。
そ んな僕は、バブルに端を発した学生企業のブーム(80年代後半)も、ダイヤルQ2の社会現象(90年)も、ツーショットダイヤル市場の爆発(90年代前 半)も、ISPやネットビジネス塑像乱造&ビットバレー(90年代後半)も、iモード現象+新規IPOブーム=大公開時代(00年代前半)も、それらの渦 の中にいました。
いや、生きていく中で少しずつ次の波の予兆を見出すこと、これから渦が出来そうなとこを見つけることに少し長けていて、なんとなく見つかるたびに半ば習性のように、反射的に飛び込んでいたのかもしれません。

そんな中で、私は追い風を受けるだけで成長できることも、逆風になればあっと言う間に倒産することも、身を持って経験してきました。
だからこそ追い風の吹く場所に立っていたい。そして追い風の吹く場所で勝負しようという若い人たちを支援したい、と思うようになったのです。

2008年7月、NIKKOの経営から退くタイミングで、東南アジアに、その中心のシンガポールに、出たのです。
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日本でベンチャーとして起業しても、既得権層の政官財からの複合的な要素で結果的に廃業に追いやられるのであれば、日本の外で成功して日本に戻って日本に貢献するというやり方のほうがいいのではないか、という仮説が降ってきました。

事実、韓国も中国も台湾もこのやり方で多くの起業家を生んでいました。

中国では、主に米国で頭角を現し成長・成功し、中国に凱旋・貢献した起業家のことを「ウミガメ=ハイグイ 海亀/海帰」と呼んでいます。ウミガメのように大きく成長して、故郷に卵を産みに帰ってくる、という意味です。
百度のロビン・リーさんやアリババのジャック・マーさんは新世代の華人にとってはウミガメ族のシンボル的存在です。

日本では堀江さんや三木谷さん、熊谷さん、村上世彰さん、起業家が非難の的となっていた時代に、立ち寄った上海ではジャック・マー社長ら新しい世代の起業家をヒーローとして尊敬し、評伝や自伝は本屋に山積みです。
「これは勝てるわけがない。このままだと日本は滅びる」
そんな危機感に襲われました。

シ ンガポールは移民の国です。520万人の人々が住んでいるのですが、75%が国民、25%が外国人です。米国では、米国の主流社会に溶け込めない外国人だ けが集まる居住地域を見かけることがありますが、シンガポールでは遍く民族が一緒に生活しているんです。外国人にとってやさしい国だと思います。シンガ ポールは最も外国人が成功する可能性が高い国であるともいわれています。

ま たそもそも英語が母語ではないため、シンガポールの国民でもあまり英語は上手くない。ただ英語は第一共用語ですので、常識としてだれもが身につけていま す。でも英語がへただからといって、ばかにされることがないんです。日本ではなく、そんなシンガポールに足場をおいて世界にチャレンジしようという若者を 支援したい。それをこれからのライフワークにしたい。そう思うようになりました。
そして移住以降の2年半あまり、私は既に幾つかのシンガポールで起業した日本人経営の企業に資本&経営に参加しています。

 satisfaction guaranteed  (ファッション・ブランド)
 Social Wire Holdings   (サービスオフィス運営/ニュースリリース配信)
 Langrich Holdings     (オンライン英会話/セブでの英会話学校 の運営)
 Duckbill Entertainment  (アニメーション制作/オンライン・トイ・ショップ運営)
 MJ Tokyo holdings     (美容室チェーン)
 Pan Asia Partners    (日本企業のアジア進出支援コンサルティング) ・・・

実 はインターネット産業やサービス業だけではなく、アジアでは、喫茶店の店主から、数千人規模の工場の経営者まで、多くの産業で日本人もまた孤軍奮闘してい ます。韓国や台湾と比較すると、そうした人たちの人数はまだまだ少ないでしょう。ですが彼らは不退転の決意で世界に飛び出ています。そういう人たちが次に 続こうという日本人のロールモデルとなればと思っています。
なぜ、かつてのNIKKOがあそこまで短期間に急成長できたのか。
それはインターネットの広告産業自体が急成長したからです。
私は成長の風を掴むということが、いかに大事であるか身を持って体験してきました。

ベンチャーと中小企業の違いは一つしかないと思います。成長を志すか、志さないかです。
もしもあなたが経営者で、若きベンチャーで、これから成長を志すのであるなら、成長する市場の追い風を受けるべきだと思います。
どこに風が吹いているのかを知り、風を掴むことが大事なんです。極論、背中に追い風を受けていれば、止まっていても前に進むんです。

反対に逆風になれば、前へ進むことすら難しくなる。
これからの日本はベンチャーには逆風が続くと思います。
前進できなくもないとは思いますが、成長を志すのならば追い風の吹いているところに立つべきです。
そして大きく成長したあとに、日本に戻り日本の社会に貢献すればいいのだ、そうすることが日本に変革を起こす上で、もっと効率的だ、と強く感じています。
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地球は丸かった。天動説ではなかった。世界は繋がっていた。
日本を飛び出てみましたが、アジアの果てまでいっても断崖絶壁はありませんでした。私たちは海を渡り、大きな世界を市場と見出せるのです。

「ウミガメ」が一つのロールモデルです。
私はシンガポールの地から、沸騰するアジアの各地から、まるで自らが外圧となったかの如く、日本の若きウミガメ候補に、ネットを経て外から揺さぶり、刺激を与えているつもりで日々生きています。
僕は、いまの日本を覆っている【漠とした 閉塞感】の存在、が最大の問題だと思っています。
が故に微力ながら、日本からも後進の手本となるような「ウミガメ」が生まれること、海外起業で成功した企業を作るということ、に寄与したいと心に決め行動しています。

そのためにこうやって文を書いたり、お話ししたり、様々なアジアの国に出て起業している日本人を訪ねて歩いています。

ウミガメ候補たちの背中を押し、鼓舞し、ともに悩み、成長を勝ち得ていくことに、私は残りの半生を賭けたいと思っているのです。

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イケてるブログメディアTechwaveの湯川さんに講演を依頼され…去る3月1日喋ってきたのですが、そのまま内容を文章にして寄稿して、という命を受け、先日寄稿いたしました。

まず、そもそも1時間半に及んだ僕の冗長な講演を文字に起こすだけでも、お忙しい湯川さんがたいへんだった…と思います。有難うございました。

とにかく、加藤史上でも最長に近いほどの文字量ではあるのですけど、こちらに再録します。寄稿した記事にはままパワーポイントの資料が貼ってあるわけですが、この再録版はこれまでの作法どおり、リンク参照としており、そのあたりの繋ぎや若干の表現を変えてあります。長文ご拝読いただき有難うございました。