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世界一周27日目(6月6日)|ひとりで世の中すべてを変えた人を知り、やる気でた。

 

僕の訪ねたトルコ共和国は、ブラジルに匹敵する、たいへんな親日国でした。観光中、どこに行っても、ちらちら衆目を集めているような気がします。
トプカピ宮殿などでもカメラをもって近寄ってくるので『シャッター押してほしいのかな』と身構えていると、一緒に撮ってほしい、と。なんで~ww。

カッパドキアでは、普通に遺跡観てたら、どうしたことか15人程のトルコ女子高生に囲まれました。何故か、彼女たちから「Japon!Japon!」と記念撮影をお願いされまくり…です。



代わる代わる写真…。おかしい…途中で怖くなり、怪現象の証拠を僕のiPhoneでも撮って貰いました。もうこんなことは一生ないでしょう。



親日国とは知っていましたが…ここまでモテるとは…。どっきりカメラか?と疑いたくなる程でした。

あまりにも不思議なので、ツアーガイドのYusufくんをはじめ、お逢いする方みんなに『なぜトルコでは、日本のイメージがいいのか』を訊いたのです。

そしたら皆さん、口をそろえて「エレトゥールル号遭難事件」のことを知っていて、イメージがいいのだ、というのです。

えっ!? なんすか、それ。

1890年に、今の和歌山県の串本で、トルコの船が沈んで、遭難した乗組員を助けた・・・そうです。っておれ知らんがな、そんなこと。このエピソードは随分前から、トルコの小学校の教科書に載っているそうです。

でも、その僕の質問のやり取りの中で、こんな声もありました。
『ケマル氏の行財政改革は明治維新を研究している』
『ケマルの執務室には、明治天皇の写真が執務室にあった』

なるほどです。このエピソードも含めて、ケマル氏は日本を好きだったということなんでしょう。エレトゥールル号を教科書に取り上げたことも、氏の思し召しかもしれません。

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トルコ共和国は 1923年、それまで実に624年もの長きに渡り権勢を誇ったオスマントルコを革命により終焉させ、新たに始まった国家です。

その革命の指導者であり、初代大統領がムスタファ・ケマル・アタテュルク氏。僕は、この人の存在を、今まで知りませんでした。

第一次世界大戦後、オスマントルコ帝国は、連合国に分割支配されつつありました。軍人だったケマル氏はその抵抗運動に指導者として参加、占領されたイスタンブールを脱出し新たにアンカラに政府を樹立、議長となりました。休戦後、ケマルは大国民議会に帝政を廃止させます。1923年に総選挙を実施、共和制を宣言して自らトルコ共和国初代大統領に就任したのです。

そこから、がすごい。
革命の直後、ケマル大統領は新憲法を採択させて、脱イスラム国家化の動き・西欧化・近代化を一気に押し進めます。
・政教分離(イスラムを国教と定める条文を削除)、
・西欧諸国を手本にした法整備、
・トルコ語の文字改革(アラビア文字からラテン文字に)、
・姓の創始(それまでは名字がなかった)、、、
一気に政治、社会、文化、と全方位の改革を断行しました。

ケマル氏は一党独裁下の大統領として、世俗主義、民族主義、共和主義を柱とする、現在のトルコ共和国の基礎を一気呵成に作り上げました。まさに近代世界史の奇跡だと思います。

新生トルコは国家の安定に成功した例となり、「正しい独裁者」「救国の英雄」「近代国家の樹立者」… とケマル氏は、現在も国父としてトルコ国民から敬愛を受け続けています。

トルコでは、街の主要な通りや広場にはアタテュルクにちなんだ名前がつけられたり、銅像が建ってます。学校や公共施設、一般の商業店舗にまでケマル氏の肖像画や写真が掲げられています。



通貨であるトルコリラ全ての紙幣に肖像が刻印、印刷されています。

イスラム国家トルコを現 共和国に変えたケマル氏。
亡くなる前から神格化が始まっていたとか、現在でもアタテュルク擁護法=不敬罪があるとか、きいてたのでカルトっぽいのかな、とか思ってたけれど、皆さんからお話を聞いて…どうやらそうじゃない、と思いました。
今も国民にとても尊敬されている、ということが何度も直接この目て確認できました。

いやぁ大いに感銘をうけちゃいました。
…一人の人間がこんなにも世の中を変えることが出来るということに。

トルコの現在の人口は7500万人。統計資料とかにはムスリム98%とかかれているが、実際は半分くらい(しか帰依していない)ということです。

ガイドのYusufくんは『トルコ共和国になってから宗教が自由になった。革命がなかったら今のトルコは サウジアラビアみたいにだったろう』。
確かに、そうだとおもいます。やる気でました。はい。



※P.S
ネットでエレトゥールル号遭難事件の事を調べていたら、こんな後日の物語(以下の転載エピソードは、リンク先の文末 )があったことを知りました。これかなり感動したので、件の部分のみ、以下に全文をそのまま転載いたします。

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イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。
イラクのサダム・フセインが、「今から四十八時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と、無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。

日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。

日本政府は素早い決定ができなかった。空港にいた日本人はパニック状態になっていた。そこに、二機の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機であった。日本人二百十五名全員を乗せて、成田に向けて飛び立った。タイムリミットの一時間十五分前であった。

なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。

前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。
トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」

文・のぶひろ としもり
Posted by 加藤順彦ポール | comments(0) trackbacks(0)
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