SingaLife No.177にインタビューが掲載されました。(後編)

 

在星邦人向け情報誌最大手の『SingaLife』No.176及びNo.177(2019年9月12日号)に、同誌をメディアパートナーとして開催される ホリエモン祭inシンガポール(2019年10月12日:於 マリナベイサンズ)の登壇者として不肖加藤のリレーインタビューが2回に渡って紹介されました。このエントリでは、その後編の内容を『SingaLife』様のご厚意により、転載させていただきます。前編 http://katou.jp/?eid=660 

 

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–––来星後、すぐに現在のエンジェル投資家の活動を始められましたか?

 

移ってきたときはコンサルをやろうと企業進出のコンサルを始めたのですが、向いてないとわかって10ヶ月ほどでやめてしまいました(苦笑)。広告会社をやっていた頃は、中小企業の社長やネットベンチャーの人たちばかり。トップの方と一緒に仕事をするとアドレナリンというか、ドーパミンが出ます。

 

「海外で起業する人をもっと増やさなければ」ともう10年ほど思い続けてきました。中国では、海外帰国組をウミガメと呼ぶことをライブドア事件の直後ぐらいにアメリカで知りました。80年以降に生まれた中国の富裕層が海外で英語や資本主義を学んで、ノウハウを身につけて中国に戻ってくる。21世紀以降の中国に雇用が生まれるようになったことで、ウミガメたちは尊敬されています。2000年には、中国でインターネットが繋がるようになりました。

 

自分がシンガポールにきて思ったことは、中国でウミガメと賞されるような、海外で新しいことをする日本人の若い層が圧倒的に足りないということです。僕が若い頃は内需が成長していたので、国内でぶら下がっているだけでも大丈夫な世の中でした。かたや今、日本のGDPも新生児数も減り続けています。日本を活性化するには、新しい若い力が、ウミガメが如く日本の外へ出てアジアの成長と繋ぎ、新しい架け橋を作っていく必要があると。

実は明治維新初期の大臣は幕末の留学生が多いのです。江戸幕府がいわゆる少年使節…諸藩を代表する優秀な10代をオランダやイギリスなどに留学させていたのです。皆、海外で英語や文化を学び、明治維新の折に帰ってこいと引き戻されました。沢山の知恵を身につけた若者が戻ってきて活躍したのです。

 

 

–––ところで、エンジェル投資家とは、体系的にはどういった活動をされているのでしょうか?加藤さんは複数の会社に関わっているそうですね?

 

私は投資するだけでなく、その多くの経営に参画しています。ほとんどダイレクター(シンガポール在住役員)です。私の場合は、事業計画を一緒に考えたりします。お店を一個増やそうとか減らそうとか、海外に進出しようとか、新規事業を始めようとか、そういった話をします。あとは、新しい株主を増やすための計画を練ったりもします。20数社に関わるペースはバラバラで、月に1回行く会社もあれば、2回の会社もあるといった感じです。あと、社員に相談しにくいことの相談を受けたりもします。ほぼ毎日役員会議をしていますね。

 

–––出資をしておしまい、ということはないのですね

 

社長と合宿するような感覚で相談にのることもありますね。

 

–––新事業に関する会議をする機会も多いですか?

 

新たなマーケットを作らないと、2000年前後に台頭したネット起業組を超えられないですね。前の世代たちが作った土台の上で、プレイヤーで居続けないといけないのはしんどい。若者には、新しい土俵でやることに挑んでほしい。AIとかインドやアフリカね。そういう意味ではクリプトはネクスト・インターネット。ここは若い世代牽引していくのではないかと期待しています。

 

10年前、日本人のエンジェル投資家はあまりいなかったのですが、今は30代、40代の投資家が10代や20代のスタートアップを支援しています。それはとてもいいことだと思っています。すなわち世代交代ですね。逆にいま僕は、僕だからこそできる、次のことをしようとしています。

 

–––それは何ですか?気になります!

 

ひとつは、スポーツビジネスです。9年前からアルビレックス新潟シンガポールというシンガポールプレミアリーグのクラブに関わっていたのですが、去年の秋、同社の是永大輔社長が日本のアルビレックス新潟のCEOも兼務することになり、その御縁で僕も日本の取締役に就きました。なので、スポーツのマネジメントを勉強し始めています。アルビレックス新潟を通じて新しいビジネスをやりたいですね。今、東南アジアに空前のサッカーブームが起こっています。各国にプロリーグができて、富裕層がリーグを盛り上げています。ますます広がっていくだろうなと思っています。

 

–––もうひとつの構想は何ですか?

 

もうひとつは、骨髄由来の間葉系幹細胞の再生医療です。幹細胞治療は、新しい医療の主流になると確信しています。アンチエイジングにも効果があります。この施術を望んでいる人に届くように広く発信していきたいです。堀江さんはロケットのビジネスで広告塔・情報発信の起点の役割を担っていますが、私はそれを幹細胞治療の分野で取り組んでいきたいと思っています。ご案内する施術は、自分の細胞ではなく、他人の骨髄から摂取した間葉系幹細胞を使用します。日本国内ではまだ規制があり施術ができません。マレーシアでは230万ほどで受けることが可能です。僕自身、強い関心を持っており実際に投与しています。 

 

–––将来は、施術の価格が現在よりも下がるかもしれないですね。間葉系幹細胞を投与すると、実際にどのように体に影響がありますか?

 

人によって異なるのですが、僕の場合は睡眠の質が上がりました。今も昔も寝つきが悪いのですが、投与前までは寝ても朝までに一、二度は目覚めていたのですが、幹細胞治療を受けてからは朝まで起きるまでぐっすり眠れています。また投与以降は30年以上ずっと8.0以上だった尿酸値が6.7前後になっています。日本でもこの5月から自分の骨髄由来の間葉系幹細胞を使った脊椎損傷の保険適用が始まりました。脳梗塞や痴ほう症での治験のフェイズも順調に進行しているようなので、他の疾患での実用も次々と決まっていくと思います。

 

–––新しい時代が来ますね!最後にバイタリティ溢れる加藤さんから、読者の方にメッセージがありましたらぜひお願いします

 

そうですね、大人はもちろん、若い世代の人たちには特に、いろいろな事を経験して欲しいです。特に、積極的に楽しんで欲しいのは旅です。海外に足を運び、自分の目で見て、自分の耳で聞き、様々な出来事を五感で感じて欲しい。貪欲に動いて欲しいです。インターネットで外の世界を覗いて、行ったこともなく触ってもいないのに知った気になってしまうのが一番良くないですね。若い人には、例えばミャンマーのような国にも行って欲しいです。みなさんご存知の通り、東南アジアは英語が話せなくてもOKじゃないですか。普通に聞く耳を持ってくれるでしょう。そこはアメリカとは違います。躊躇することなく英語でどんどんぶつかっていって欲しいですね。

 

–––貴重なお話をどうもありがとうございました!

Posted by 加藤順彦ポール | comments(0) trackbacks(0)

SingaLife No.176にインタビューが掲載されました。(前編)

 

在星邦人向け情報誌最大手の『SingaLife』No.176(2019年9月5日号)及びNo.177に、同誌をメディアパートナーとして開催される ホリエモン祭inシンガポール(2019年10月12日:於 マリナベイサンズ)の登壇者として不肖加藤のリレーインタビューが2回に渡って紹介されました。このエントリでは、その前編の内容を『SingaLife』様のご厚意により、転載させていただきます。

 

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–––シンガポール在住の実業家としてご活躍の加藤さんですが、これまでのプロフィールについてご紹介を頂いてもよろしいでしょうか?

 

はい。まずは最初の仕事として、92年に表参道で雑誌広告の会社をスタートしました。その後、95年からインターネットが本格的に日本で使われるようになりまして、インターネットの革新性に感動しました。それまでメインで手がけていた雑誌広告も調子は良かったのですが、電通の存在があり、序列があって、その他大勢の中でしかなかったのです。どこまでいっても限界があることを感じ、仕事はうまくいってはいるものの、モヤモヤしたものがありました。当時、これからインターネットの時代が来るなと確信し、ピボットしました。

 

––– 加藤さんが起業をされたのはおいくつの頃ですか?

 

19歳の頃から、学生起業のメンバーのひとりとして、既に仕事を始めていました。当時、僕を可愛がってくれた先輩がいたんですね(笑)。そこで6年間仕事をして、25歳で、日広という雑誌広告の会社を設立しました。

 

–––その風潮の中で、どのように行動されていましたか?

 

Yahoo! Japanがサービスを始めた頃、インターネット接続入門誌が凄く売れていました。アスキーやインプレスが入門書を月刊で出し始めた頃です。その頃、当時のinterQ (現:GMOインターネット)というプロバイダの広告を担当してたこともあり、ビット・バレー(渋谷六本木で起業する人たち)の初期の人たちとも深く関係することになりました。大体20代後半から30代前半の頃ですね。そこの集まりに参加してれば広告主が見つかるのと、自分と同じ世代のもっと若い人たちと知り合えました。

 

そういう文脈の中で、インテリジェンスをお辞めになった藤田晋さんがサイバーエージェントを始めました。同社が開発したクリックインカムというメールマガジン広告を日広も代理店として売らせて貰いました。そのシステム開発をしていたのがオン・ザ・エッヂ社長の堀江貴文さんだったのです。出会いはその頃に遡りますね。

 

–––堀江さんとのおつきあいは長いのですね。今回、10月12日にシンガポールで行われる「ホリエモン祭」で加藤さんは対談をされるそうですね。

 

はい。最初はサイバーエージェントを通した間接的な取引でしたが、オン・ザ・エッヂが上場した頃から堀江さんには注目していました。会えば挨拶する程度の関係からで。その後、同社がプロバイダのライブドアを買収しました。で「広告を売って」と、堀江さんが日広に営業に来てくれたこともありました。2003年ぐらいからM&Aを凄い頻度で繰り返していましたねぇ。2001年以降はIT系の起業家が沢山生まれたのですが、堀江さんはまさに筆頭格でした。それから衆院選に立候補したり、近鉄バッファローズを買収したいと宣言したり、面白いな〜と動向をいつもウォッチしていました。そんななかでライブドア事件は、2006年1月に起こりました。

 

 

–––その後、ライブドア事件が起こり、堀江さんは収監されてしまいましたが……。

 

ライブドア事件は、世の中の理不尽さを強く感じました。わかっていましたが、堀江さんの状況を見てそれが証明されてしまったと思ったのです。その後、2年後にリーマンショックが起こりましたが、自分の歴史の中ではライブドア事件の方が何倍も意味があった出来事で、人生のターニングポイントになったと思います。

 

ライブドアの時価が下がっただけではなく、ビットバレー以降のIT系企業の株価が軒並み暴落していきました。ヤフーや楽天のような優良企業でさえ3分の1になりましたし、GMOは10分の1、ひどいところは100分の1になってしまいました。2001〜05年はミセス・ワタナベと呼ばれた主婦やサラリーマン投資家がへそくりで日本の新興小型株に投資をするムーブメントもあったのですが、それが一気に崩れてしまった。

 

僕がシンガポールに移住した理由のなかのひとつに、ライブドア事件のような若い起業家が痛い目にあった日本の嫌なところを見たくないという思いもありました。僕は今も堀江さんは無実だったと思っています。今も昔も自分をしっかりもって、物事を網羅的に考察しているところを尊敬しています。

 

––– 理不尽な気持ちは、シンガポールに移住するきっかけになったのでしょうか

 

シンガポールに来て11年になりますが、理不尽さを感じて日本を窮屈に感じましたし、日本は限界だなという思いも正直ありました。2008年の5月頃にこちらに来ましたが、その3ヶ月後の9月14日にリーマンショックが起こってしまいました。そこで一度、世界経済の底が抜けています。アメリカも中国もヨーロッパも東南アジアもガクンと落ち込んでしまいました。そんな中で東南アジアは一番回復が早くて、翌2009年の3月ぐらいには株価も地価も戻りました。

 

一方、アメリカやヨーロッパが長く不況をひきずってしまいました。底が上げ底になっていて支払い能力がない人に売ってしまったり、貸したらいけない人に貸してしまったり。いわゆるバブルでしたね。実体以上のオーバーローンをしてしまうことによって、サブプライムローンが破綻してアメリカが大爆発してしまいました。日本は深刻な不況に陥り、民主党政権になってしまいました。東南アジアはオーガニックに伸びていたので、これからはこっちだなと感じました。かたや、それまで右肩上がりのインターネットの時代の尻馬に乗って日広も自分も伸びてきたので、この先、日本が左前になるとすれば、僕がやる限り日広にはマイナスになるだろうな、と思ったのです。一方で東南アジア経済がこれから伸びていくのであれば、出ていけば共に成長できるのでは? と気づいたのが日本を出たきっかけになったと思います。

 

2003年にLENSMODEというシンガポールのコンタクトレンズECの会社の起業に参画して、売上は伸びていたものの赤字でした。ライブドアショックの影響も受けた日広を手放そうというタイミングで、LENSMODEの社長から「今年から配当が出せます」と言われて。25歳から41歳まで、日広だけに専念していたので、次にやること用意していませんでした。それで、渡りに船というか、シンガポールに行ってみようかと。

 

いいタイミングでGMOに日広を救済してもらえたことは感謝しています。今考えると、あのタイミングしかなかったと思いますね。

 

一緒に働いていた当時の専務は、いま同社(現社名:GMO NIKKO)の親会社の社長になっています。幹部の多くも残ってくれています。2017年に日本で25周年パーティがあったのですが、創業者として呼んで頂きました。嬉しかったです。

 

後編 http://katou.jp/?eid=661

 

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