和僑アジア大会シンガポールで基調講演しますた  前編

2020年5月14日

 
2012年11月24日、不肖加藤はシンガポールにて開催された第四回和僑アジア大会にて、諸先達ご臨席のなか、たいへん僭越ながら基調講演の大役を務めさせていただきました。

200名を超えるアジアの和僑会各国の皆さまに聴いていただけて光栄至極でありました。
多くの皆さまにこの講演を支えていただきました。
特に、シンガポール和僑会の大会運営スタッフの皆様のご尽力には脱帽の思いです。

和僑アジア大会、2010年の第二回沖縄大会、2011年の第三回上海大会、、と毎年参加させていただくたびに、超絶烈しい刺激を、僕に与えてくれました。

特に沖縄・上海大会ともに『基調講演』からは大きな大きな刺激を受けました。
ていうか、いずれも僕の人生を左右するような講演でした。

であるが故に、遠く日本の各地から、中国から、ASEAN各国から、わざわざシンガポールにお越しになり、早朝から開催のアジア大会の講演にお越しになられる200名超の参加者の皆さまに対し、僕がどれだけ大きな気づきや刺激を提供できるか、これはとても大事なことだと、、強いプレッシャーを感じていました。

結果論ですが、 その首尾のほどはさておき、僕はとても運が良かった、と思います。
前日から繰りかえし、イメトレしてきた、話したいこと話さなければいけないことを、舞い上がることもなく全て漏らさずに、きっちりとお話しすることが出来たからです。
日頃の行いはそんなに誉められたものでは無いのに、有難い限りです。

僅か40分の短い講演時間でしたが、自己満足度99%の、自分なりのパフォーマンスとしては最高レヴェルの『若者よ、アジアのウミガメとなれ』の講演が出来たと思います。

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シンガポール和僑会の現代表である、シンガポール経済新聞編集長の岩田弘志さんから、アジア各国の和僑会が一年一度の総会をおこなう、という第二回和僑アジア大会への参加を誘われたのは、2010年の初秋でした。

わりと二つ返事というか、誘いをうけて・・なんか面白そうだなぁ、沖縄懐かしいなぁ。などと感じ、そんなニュアンスだけで相乗りさせていただくことにしました。

岩田さんは、シンガポールにて和僑会を設立しようと、当時準備室を運営されていた最中でした。
よくよくお話しを伺うと、このアジア大会にて開催される和僑総会にて、正式に和僑会として承認をうける、のだ、ということでした。ふーん、けっこうたいへんなんだなぁ、とか。

ま、かくして2010年11月25日26日、僕は成田往復で、第二回和僑アジア大会に参加すべく、那覇のナハテラスへ。。

25日の和僑総会にて、みごとシンガポール和僑会準備室は正式な和僑会として承認を受けました。岩田さんと加藤含めて、シンガポール和僑会からは坂本さん、斉藤さん、坂田さんと合計5人参加しました。
こちらは、このときの梅さんと岩田さん。 梅さんは泡盛の女王とも写真を撮っていました。

翌朝26日の琉球新報の5面。和僑アジア大会はこんな感じで報じられていました。
午前は和僑アジア大会アパレル分科会に出席しました。当時も今も中国では観られないFacebookページですが、この頃のsatisfaction guaranteedのファン数が18万超で当時日本一、とお話ししたら、みなさん誰一人sgのことはご存じなかったですが、興味深々でした。

そしてお昼からの基調講演に立たれたのが、香港貿易発展局 日本主席代表の古田茂美さんでした。
演題は「香港から見た日本の未来!~和僑ネットワークと琉球の果たす役割~」。

もちろん既にシンガポールでの生活も当時二年を経過しており、ある程度は中国のこと、香港のこと、そして華僑のネットワークのことを知っていたつもりでしたが、、古田さんから連射される華僑の世界中に広がっているネットワークのについての克明なデータやその解説には、正直、度肝を抜かれました。
僕はこのとき、はじめて、華人を、華僑を、その凄まじさを知ったのです。
背中の皮が一枚ベロンと焦げて剥けたような痛みを感じました。

たった一日二日で、深センや上海、北京の日本人経営者の知人が一気に増えた!HPが20上がった!!と感じたりもしました。
【おいおい、海の向こうの日本人は面白すぎるぢゃないか♪】
僕はこのとき 前月末に決めていた世界一周の旅のテーマを 「世界中の日本人事業家を訪ねて歩く」ことに明確に固めました。 

参加者400人以上が集まった夜のパーティ、懇親会での伝統芸能の披露、フィナーレの壇上での「カチャーシー」大暴れ、と、初めての和僑大会はとにかく刺激が強かったのです。

和僑会

Posted by ykatou