レンズモード、雲抜けまでの経緯とシンガポール永住権(PR)の取得と。|LEON連載 Vol.4再掲
2003年2月、東京で広告会社NIKKOを営む傍ら、楢林悦朗さんとシンガポールにてコンタクトレンズの越境EC企業、LENSMODEを創業しました。期待に反して初年度売上は2500万円とまるでダメでした。二年目は1億円ペースまで伸びましたが赤字でした。
僕はCEO楢林さんに「やはり二足の草鞋ではうまくいかない。貴方が東京で営む制作会社をNIKKOでケツを持つから」と進言し事業を引き取りました。すると3年目の売上は4億円まで伸びたのです。
大赤字でしたが手ごたえはありました。4年目の2006年、彼はシンガポールに居を移しました。そして売上は12億円に達したのです。その年もまだ赤字でしたが。
当時、販促などは日本人だけを対象としていましたが、当初より日々のオペレーションはシンガポールで行っています。受注後できるだけ早く発送するというプロセスの細かな改善の積み重ねが、顧客満足度の向上にしっかりと繋がることを確認できました。
そして2008年、遂に累損を一掃し、配当が実施できるところまで雲抜けしました。
不本意にもNIKKOを退任することになったタイミングがこの折と重なったのは偶然ですが、これも何某の思し召しでは、と楢林さんの後を追うようにシンガポールに移りました。
というのも、シンガポールで永住権(PR: Permanent Residence) を取得するのであれば40歳までに申請しないと難しい、と会計事務所の先生から釘を刺されていたからです。移住時の僕は41歳だったので、あってもワンチャンだと言われていました。
シンガポールの永住権申請は6つのカテゴリ・種類があります。
■ プロフェッショナル向け:シンガポールで労働ビザ(Employment Pass又はS Pass)で居住と就労の実績を積んだ人
■ シンガポールで就学している外国人学生
■ 外国人投資家向け:GIP (Global Investor Programme)
■ 親族対象:シンガポール人もしくはシンガポールPR保持者の配偶者
■ 親族対象:シンガポール人またはPR保持者の未婚の21歳以下の子供
■ 親族対象:シンガポール人の高齢の両親を持つ者
2010年7月、僕はプロフェッショナル向けの過程にて、シンガポール永住権を取得できました。はい、投資家としてではありません。
労働ビザを取得し、僅か1年半(税務申告2回)というタイミングでしたが、取得にはギリギリと感じつつの永住権申請でした。取得できた背景にはLENSMODEが生んでいた10名弱(当時)のシンガポール人雇用と、しっかりと右肩上がりで伸びていた利益があったと思っています。
僕個人としてのメリットで最も大きかったのは、PRとなったことによって複数の企業・団体から報酬を取ることができるようになったことです。
僕はエンジェル投資家であると同時に、参画先の多くで役員(Director)として仕事をしています。労働ビザでは発行元一社のみからしか給与・役員報酬を受け取ることができません。株主配当(シンガポール法人であれば無税)は受け取れますけど。
シンガポール永住権の名称は文字通りPermanent Residenceではありますが、5年更新の長期滞在ビザというのが実際のところです。これは再入国許可=REP (Re-Entry Permit) と繋がっており、REPとは、PR保持者がシンガポールに再度入国する際に必要です。
PRに期限は無いのですが、このREPは5年におきに更新が必要なのです。このREPが更新時にいくつかの事由で却下されることがあるのです。
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LENSMODEは今年15周年を迎えました。そんな僕らは数年前から売り上げ世界一を目指しています。
日本の消費者に向けてコンタクトレンズを“越境EC”にするために創業した同社は、いまはシンガポールから韓国、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドへとマーケティング・物流を拡げています。
また現段階で世界一の市場である北米でも、2013年よりカナダのバンクーバーに自社拠点を置き、カナダ国内、そして米国の消費者の皆さまへと展開しています。
カタチを伴うECにおいて最重要なのは、在庫の安定仕入れ、物流の確かさと着荷までの時間です。僕らがシンガポールに15年間本拠としているのは、商品の仕入れにおいても、発送においても、その地の利や品質が最大限に活きるからと言っていいでしょう。
人材の確保も重要です。LENSMODEグループは時差・距離を乗り越えて多国籍の運営を実現していますが、シンガポールにあることが大きく関係していることは間違いありません。
そのバンクーバーに2017年の夏、実に20年ぶりに訪れることができました。なんとなくすっかり落ち着いた美しいオトナの街になった気がしました。僕が初めて赴いた1997年は返還前の香港からの移住者が大金をバンクーバーの地に溶かしている頃で、さながら沸騰しているかのようなムードを感じたものでした。
いまや20名の規模となった現地法人においては、唯一の日本人である繁野ミツさんがGMとして辣腕をふるっています。彼がバンクーバーに移り住んで早5年が経ちましたが、昨年あたりからチームの陣形が整ってきたような気がしています。
バンクーバーでもボストンでも改めて思うのですが、やっぱ北米の英語はまったく違うなーと。それ以上に思考回路、価値観もまったく日本のそれ、東南アジアのそれと異なります。刺さる表現も違いますね。(米国市場向けECサイト:https://www.lenspure.com/ )
オーストラリア生まれの帰国子女だった繁野さんもまたアジア人だったので、バンクーバーに移って以降の数年はその違いの大きさに苦しんでいました。ですが、ようやくギアが噛み合ってきたようです。
初出: LEON.jp 加藤ポールの「激動の投資家人生」 連載 Vol.4 (2018年11月20日)