世界一周13日目(5月23日) |ナイロビで太田英基さんとディナー!
5月21日、サンパウロから機上に9時間、アフリカ大陸の最果て南アフリカ共和国に到着。東京都の時差は12時間から7時間に、5時間も詰まりました。
南アフリカ航空のフラットシートでぐっすり眠れて最高でした。映画は日本語字幕、さすがにありませんでしたけど。
ナイロビへの乗り継ぎは、世界最悪といわれる治安状況の南アフリカ共和国のヨハネスブルグ。さすがに空港に着いたときは、ビビリまくってました。…しっかり空港のポーターやホテルの送迎マンには計30USドルも巻き上げられる始末orz。マジで目つきとか怖すぎなんだもんな。
乗り継ぎ待ちで一泊だけした空港近くのMondiorホテルのサービスは最低。ていうかネットが速やかに繋がらないのはほんと勘弁してほしいもんです。
明けて22日ヨハネスブルクからナイロビは再び南アフリカ航空で4時間半。更に時差が一時間縮まりました。
ナイロビ空港に着いて、早速サファリコムのプリペイドSIMを購入しました。が、10ドル以上もぼったくられました。みなさん、余裕があればぜひ町に出てから購入しましょう。SIMはわずか100シリング(約100円)です。プリペイドカードの度数もは1000シリングもあればiPhoneでも3,4日は十分です。
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ケニア共和国。農業、観光が主産業の国。
ぶっちゃけ建物がどれも古い。大自然、豊富な耕作地、勤勉な国民性、海・港など非常に確かな資源を持っていますが、さまざまな要因で成長ドライブが掛かっていません。やはり政治は大事です。
ガイドのデビッドさん。もとケニア大使のお子さんで89-95年、まる5年住んでいたそうです。「スワヒリ語の挨拶はジャンボ」「ありがとうはアサンテサナ」そしてサファリは旅を意味してます。
彼はナイロビに居る大半のケニア人同様に、国語であるスワヒリ語と英語がしゃべれます。また大方のケニア人は42ある部族のどれかがルーツということで、みんな自分の部族の言葉が喋れるのです。デビッドさんはキク族、ということです。
そしてデビッドさんも含め多くのサファリのツアーガイドはマサイ語が話せます。更に!彼は日本語がとても上手。実に頼もしいです。語学力は素晴らしい付加価値能力だと改めて感心しました。
ところで
加藤はたかぽんの紹介で、スターアライアンスの世界一周周遊チケットの存在を知ったのですが、それを使って『世界で活躍する日本人に逢いに行こう』と決めたのは、太田英基さんの存在をtwitterを通じて知ったからでした。
85年生まれの太田氏は、中央大学商学部在学中の2005年、学生向けの無料コピーサービス『タダコピ』を展開する株式会社オーシャナイズを創業。
昨年1月末、同社取締役を退任され、現在一年半をかけて世界を一周するサムライバックパッカープロジェクトを敢行中です。
その背景と思いは、こちらにご本人がつづられています。
これを読んで、僕は大いに影響を受けました。そして、僕も一年半も充てられないけど、一ヵ月半くらいなら、世界を観て回るのに充てられそうかな!みたいに世界一周に行くことを決意したわけです。
加藤が3月末に1週間フィリピンに英会話合宿に行ったのも、ズバリ太田さんの真似です。(ちなみに、太田さんは3ヶ月滞在して勉強。本当はそれくらい行ったほうがいいです。)
◆参考;なぜ韓国人は英語が話せるのか。――フィリピン格安留学のススメ
(太田さんのコラム)
5月22日の夜。
そんな尊敬する太田さんに、なんとまさにこれから長期滞在したナイロビを発とうという前夜にお会いし、ディナーをご一緒させて貰いました。宿泊先のノーフォークホテル(写真は優しかったフロントの皆さん)に迎えに来てもらいご対面。
いえーい!!アゲアゲだ。
さっそくドキドキしながら、はじめてのナイロビ街歩きしています。
謎のいすゞのバスがものすごく排気ガス出しながら爆走してます。
いやーやっぱ、みんな黒人さんだと、普通に怖い。
太田さんとインチキ携帯電話屋さんの前で。
そして、太田さん行きつけのレストランに。鯉ちゃんと三人でハイチーズ。
そして2次会はノーフォークホテルのバーで。…たくさん旅についてのお話をしました。やはり太田さんは素晴らしい方でした。
よかった。初心に戻れた。
やっぱり僕は誰かさんのために『日本を外から揺さぶり刺激を与える』ことがミッションなんだな、と痛感。
そして、世界で頑張る日本人と出会う、というこの旅の意味も、まさに目的そのものの存在である太田さんとお会いすることで、再確認できました。
それにしてもtwitterって、ブログって、インターネットって、素晴らしいな。
今回の旅行のアポのほとんどが、そこが起点なんだもんね。大感謝。