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ブラジルの日本、日本のブラジル (前編)

 
ただいま世界一周中の加藤です。ナイジェリアの治安が更に悪くなってきたことが因で、移動数日前に多くのラゴスでのMTGが流れてしまいました。

急遽5月27日の移動当日、私たちもケニアに留まり、渡航を見合わせることになりました。
いまナイロビのSAROVA STANLEY HOTELの部屋からこのコラムを書いています。


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今回の世界一周は、流したナイジェリア含め9カ国を訪ねる旅なのですけど、さすがに日本とはあまり縁の薄い新興国ばかりを回るので、世界一通用する万能査証と言われている日本のパスポートでも事前に申請→発給を受けるVISAが必要な国が6カ国!もありました。(ナイジェリア、ケニア、インド、バングラデッシュ、カンボジア、そしてブラジル)

なかでも、とりわけ申請に必要な記入書類や補足資料(銀行の残高証明書など)が多く、かつ申請から査証発行まで時間の掛かった国(平日勘定で11日必要)がブラジルでした。実はどうやら日本もブラジルからの渡航ビザ審査は非常に厳しく実施しているそうです。お互い様だったんですな。

因みに僕はブラジルは在シンガポール大使館に申請しました。僕は日本人ですけど、銀行の残高証明も、長い申請書類も要らず、VISAは3日で出ましたYO!。

    ◆    ◆    ◆

地球の裏側ブラジルは世界で最も日系人※が多い国です。こちらの日系人協会資料によるとコレくらい違います。(アジア・欧州は含まれていません。)
 
こちらでは140万人となっていますが、それ以上、150万とも180万とも言っている方も多いです。すごいでしょ。



(※主にブラジル国籍の日本人、および子孫を指します。加えて日本国籍のままのブラジル永住権所有者は6万人=主に戦後移民の一世です。ここ十年くらいのブラジルへの永住者は2000人程度ということでした)



それにしても
日系人!・・・実に感慨深い、私たちの同胞です。


そこで前後編に分けて、東洋人街リベルダーデにある移民史料館に行って勉強したり、様々なブラジル日系人の方から伺ったお話をサマリたいと思います。



入国管理法が変わって、ブラジルから日本への日系人の出稼ぎが始まったのは バブル絶頂の1989年。

以来、雪崩をうったように、ブラジルから大量の日系人が出稼ぎに日本にやってきました。それも当然、こちらの(現地ガイドの)カシマさんのように、90年代当時は日本で一年働けばブラジルの10年分の稼ぎが見込めた のです。



90年代後半あたりのブラジルからの出稼ぎ最盛期は100万人以上いたんじゃないか。と言う方も多かったです。

ところが、この新しい入管法の適用許容されている【日系人の出稼ぎ】は日系三世までが範囲、だそうです。

いまも我が国日本には30万人超の、いま在日ブラジル人(日系人、ブラジル人)が働いている(愛知県がいちばん多い!)そうですが、

・徐々に第四世代に世代交代が進んでいること、
・ここ十数年の驚異的なブラジル経済の成長により、いまやブラジル国内にも日本の労働収入に比肩する仕事が増加していること、
・日本国内の製造業の空洞化の進行が加速していること、

を考えると、今後の日系人の出稼ぎ労働者は激減していくだろうな、と加藤は思いました。

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いまから100年以上前、ブラジルでもまたアフリカからの黒人奴隷制度が廃止されました。
前後して19世紀には多くのアラビアシリア人やイタリア人が既にブラジルには来ていました。
ブラジルは新しいフロンティアを求めていたのでしょう。

1908年、後のブラジル日系人のルーツである、最初の移民となった781名を乗せ神戸港を出航した「笠戸丸」が出発しました。(2008年にブラジル移住100周年を迎えています)。



◆ 参考サイト;みんなでつくる移民百年祭

年を経るごとに日伯間は関係を強化。当時の日本の国策も働いて、その後もどんどんブラジルへ入国しています。その総数は戦前戦後あわせて27万人!超え。

ところが、第二次世界大戦に向かう戦乱のなかで、日伯の袂は分かれていきます。
そして遂に1941年、ブラジルは国内での日本語の利用を制限。
翌1942年にはブラジル国内での邦人向け新聞の発行禁止 そして国交断絶、ブラジル国内の日本人の資産凍結、 サンパウロなど湾岸部での日本人の強制立ち退き処分。。。
不幸は終戦後も、日系移民同士の対立などに続いたようです。

第二次大戦後、1955年から日本からの移民は再開されました。日本政府直営の移住地(コロニア) に入っていきます。またコチア青年と呼ばれた青年層(20代中心)の移住も始まりました。手当てが日本政府から出るので移住後4年間の農業雇用が義務だった、そうです。

そう、日本人移民は主に農民としてブラジルに入りました。最初の数年は小作として働きお金を貯めます。そして3~4年後、貯めた金で(主に)土地を購入し、農園の経営を開始したそうです。

また1968年~74年ごろは、日本を代表する大企業のブラジル進出(建築・不動産・鉱業・工業関連が中心)の大ブームあったそうで、その折にも非常に多くの日本人が駐在、移住しています。

ここに来て、またブラジルへの投資熱は盛り上がり始めました。

2010年、サンバウロのJETROには年間550社の問い合わせがあったそう!です。進出機運高まっていますねぇ。

後編に続く>>

 
Posted by 加藤順彦ポール | comments(0) trackbacks(0)
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