Profile
加藤順彦の身上書です。どこで生まれ、何をつくり、いま何に取り組んでいるのか。
加藤順彦かとう よりひこ / Yorihiko Paul Kato
1967年生まれ。大阪府豊中市・箕面市出身。関西学院大学商学部卒業。学生起業家としてキャリアを始め、インターネット広告、シンガポールでの事業、スタートアップへの出資と経営参画、そして家業の承継と、時代と国境と産業の枠を越えて事業に携わってきた。
| 生年 | 1967年(昭和42年)4月7日 東京生まれ |
|---|---|
| 出身 | 大阪府豊中市・箕面市 |
| 学歴 | 関西学院大学商学部 卒業 |
| 拠点 | シンガポール(2008年移住、2010年永住権取得)/大阪/新潟県燕三条 |
| 現職 | 株式会社ラジオ大阪 代表取締役会長/丸1グループ 四代目/MARUICHI PTE. LTD. Group CEO |
| 著書 | 『若者よ、アジアのウミガメとなれ 講演録』、共著『シンガポールと香港のことがマンガで3時間でわかる本』ほか |
1986年、関西学院大学に入学して間もなく、運転免許合宿を斡旋する学生企業マイライセンスの創業に参画する。同社は翌1987年に株式会社リョーマとなり、加藤は大学生向けのプロモーションや情報誌づくりを通じて、事業を立ち上げ、組織を動かし、人と資本を結びつける面白さと難しさを学んだ。1990年には東京に移り、ダイヤルQ²の情報サービスを手がけるダイヤル・キュー・ネットワークに加わる。急成長と、その後のあっけない破綻。その両方を、20代の前半で間近に見た。
1992年8月、25歳で有限会社日広(現・GMO NIKKO株式会社)を創業する。雑誌広告の代理店として出発した同社を、インターネットの普及を見据えてネット広告へと舵を切らせ、市場の黎明期から事業を伸ばした。1997年からのビットバレーの熱狂のなかでは、得意先や関係会社の上場にも深く関わり、日広はグループ180名規模のインターネット広告専業代理店に成長した。
2008年、日広のGMOインターネットグループ入りを機に経営から退き、シンガポールへ移り住む。自ら創った会社を育て、次の経営者に託し、新しい挑戦へ移る。この経験が、その後の投資家・事業家としての歩みの土台になっている。
シンガポール移住後は、東南アジアを拠点に、日本人起業家への出資と経営支援に取り組む。お金を出すだけの投資家ではなく、経営陣の一員として現場に入り、起業家とともに考え、手を動かす。加藤はこの立ち位置を「エンジェル事業家」と名付けている。
日広の時代から、テイクアンドギヴ・ニーズ、DeNA、ザッパラスなど、創業期の企業に出資して上場まで伴走してきた。2014年にはビットバンクの創業に参画し、2018年まで取締役を務めた。その後も株主として見守り、2026年8月、SBIホールディングスによる買収を迎えた。2003年にエンジェル出資から共同創業したLENSMODEは、シンガポールとバンクーバーを発送拠点に、9カ国の個人にコンタクトレンズを届ける越境ECに育っている。2018年から2023年までは、アルビレックス新潟の取締役も務めた。
こうした活動を象徴する言葉が「ウミガメ」だ。海の向こうで挑み、経験と資本と人脈を携えて、いつか日本とアジアの新しい産業づくりに還ってくる起業家たち。加藤は自らも国境を越えて事業を営みながら、次の世代が挑戦できる機会を増やし続けている。

2017年5月、実弟の急逝を受けて、家業の丸1グループを継いだ。1945年に祖父・加藤源太郎が大阪で興した鋼材流通をルーツとするグループの、四代目である。
いまは新潟県燕三条に本部を置き、ものづくり、旅、住まい、AIによる業務革新などの事業を束ねる。シンガポールの持株会社MARUICHI PTE. LTD.のGroup CEOとして、日本とシンガポールをまたいで経営にあたる。2019年からは、マレーシアの提携クリニックで受けられる他家由来の間葉系幹細胞の点滴を日本の方にご案内する事業も手がけ、これまでに100名を超えるゲストを迎えてきた。新しい会社を自ら創ることと、歴史ある家業を守り、変え、次の代へ渡すこと。その両方を経験していることが、事業家・加藤順彦の大きな特徴である。
2025年8月、株式会社ラジオ大阪の代表取締役会長に就任した。丸1グループが責任株主として出資し、1958年に開局した大阪の放送局の再生に取り組んでいる。
目指すのは、AI時代にフィットするコンテンツIPスタジオとしてのラジオ局である。音声コンテンツ、声優、ファンコミュニティ、AIといった放送の枠を越える領域と、ラジオ局が長く培ってきた地域とのつながりや番組づくりの力を結びつけ、次の時代の事業へと育てる。起業、投資、事業承継のすべての経験を注ぐ、新しい局面である。
加藤は2008年のシンガポール移住を機に、ブログ「katou.jp」で発信を続けてきた。リョーマの時代から、日広の創業と成長、海外への移住、出資先での格闘、家業の承継に至るまで、仕事と人との出会い、事業への考えを書き残している。2025年7月からは、Webマガジン「街角のクリエイティブ」で毎週火曜日のコラム「街角diary」も執筆する。
新しい市場を切り開くこと。起業家とともに事業を育てること。歴史ある企業を次の世代へ引き継ぐこと。そして、既存のメディアを新しい産業へつなぐこと。加藤順彦の歩みは、ひとつの会社や業界にとどまらず、事業をつくり、資本と人をつなぎ、次の担い手へ渡していく営みの連続である。
現在はシンガポールを拠点に、丸1グループの経営とラジオ大阪の再生を中心として、国内外の企業への出資と経営参画を続けている。