TOKYO PRESS ROOM/東京PRメイトを宜しくお願いします。

 

1992年8月、生れて初めて代表取締役になった広告会社:有限会社日広を始めたのは、齢25と4か月。

 

何故にイージーにその会社を創業するに踏み切れたかというと、その一年ほど前から僕はアフター5に、友人 石川清雪さんの営む通販会社兼広告代理店の運営を手伝っており、雑誌広告の取扱がどんなものなのか、ということは知っていたからです。

で、その前に在籍していたダイヤル・キュー・ネットワーク→徳間インテリジェンスネットワーク での仕事を通じて、知り合った(後にいう)出逢い系サービスのオーナー社長2人から『加藤ちゃん、広告の仕事やるから』とほだされたような恰好で始まったのです。

 

当初から得意先には恵まれたものの、雑誌広告を売り捌くには出版元から広告枠を仕入れなくてはならないのですが、前後して取締役を引き受けていた石川さんの会社=株式会社リバーストンでの取引実績があったので、当初は回し取引もらったりしてスムーズに商売を立ち上げることが出来ました。

 

やがて日広も雑広最盛期:1994~5年はわずか3~4人のメンバーで月に500ページ!もの雑誌広告を販売するまでに成長したのですが、翌年のインターネットの登場を境に主取扱とお得意先筋を成人誌からパソコン誌にスイッチ。その後は徐々に石川さんとの共同戦線も方向がずれていったこともあり、僕は1997年11月末付にてリバーストン取締役を退任しました

 

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時は経ち…2008年6月の、日広のGMOインターネットグループの傘下入りに伴い、僕は設立以来16年務めていた同社(現GMO NIKKO株式会社)役員を退き、シンガポールに居を移しました。

 

で!それ以来~現在までの10年半は、日本を外から揺さぶり刺激を与えるべく、日本人が主に東南アジアで起こすベンチャー、スタートアップの資本と経営に『エンジェル事業家』として参画してきました。

 

そんなグローバルな僕のはずではあったのですが、石川さんと夜中まで呑んで騒いだ席上の流れで…2016年5月から18年半ぶりにリバーストンの取締役に復職しています。(復職時のブログはこちら: http://katou.jp/?eid=542

 

ここんちは今も新聞、とりわけスポーツ新聞と夕刊紙の広告とバラエティに富んだジャンルの雑誌媒体を取り扱う日本ローカルな中堅広告会社です。久しぶりに取締役を引き受けたのは、まぁ僕が広告の仕事がいまも大好きということもありました。この再び乗った船で、独立した頃の僕を育んでくれた紙媒体の機能を活かし、日本でもいろいろと面白いことを仕掛けていきたい!と張り切って仕事作りに取り組んでいます。

 

そのリバーストンが、記者発表のイージーオーダーのような仕組みの ”お手軽記者発表” 事業を始めたので、年初にアルビレックス新潟シンガポールの2019ユニフォームパートナーをLENSMODEとしてお引き受けしたことの契約締結の発表記者会見を開催させていただきました。 https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/1242742/  多くの報道の…在京のスポーツ紙、夕刊紙の記者の皆さんに取材にお越しいただき有難かったです。

 

 

これから東京PRメイト所属の”ピアドル”が、媒体社様を突撃キャラバンで巡回したり営業したり!各メディアへの露出を図っていくつもり https://www.tokyopress.jp/ なので、予算をつけた広報展開をご検討の皆さま宜しくお願いいたします。

 

 

アルビレックスに限らず、全国津々浦々多くの種目のスポーツチーム/クラブ/サークルが地域や年齢をまたいで星の数ほど存在していますし、うまくタイアップした企業の認知促進やCSR活動をしっかり運営受託できるマーケティングサポートの会社もまだまだ余地はありそうだな、と感じている昨今ではあります。

 

ということもあったりで…最近は東京に入る度に、腐れ縁の石川さんと文京区本郷の自社ビルで顔を突き合わせて暗号通貨から東南アジア・インド、新潟の話題まで四方山話をしています。僕は僕で、指おればリバーストンは設立29年目、日広→現GMO NIKKOも8月から28年目で、そら僕らもオヤジになるわけです。